新体験

 決して、開発者は

 作者の意図しない事が起きるのは、それこそ珍しいことではない。


「へえ。あったか~」


 走って家に帰ってきたボクは、早速リツに買ってきた下着類を着用させた。その破壊力たるや予想以上であった。


 下は黒いタイツで、上はヒートテック。

 直に履くと、タイツは尻の割れ目や股の間がハッキリと浮き出る事に気づいた。

 ヒートテックの下は、そもそもブラなんかしないだろう。

 締め付けがキツいタイプの下着類だし、あったら邪魔だ。


 小さくはなく、大きすぎない。

 絶妙な大きさをした胸の輪郭りんかくが、ハッキリと浮き出ている。


 両方の膨らみには、ポッチリと膨らむ何かが見えた。

 それが何かは、あえて言わない。


「どう?」

「ん。いいんじゃない」

「……そう」


 ボクは早く部屋に行きたかった。

 色々と、辛抱堪らない状態になっている。

 せめて、リツがとんでもないブサイクだったら、「へえ。似合うじゃん」とか、気取った態度で返すことができた。


 でも、相手が絶世の美女ときたら、そうはいかない。

 ボクは真顔で股間を押さえ、チラチラと天井を見つめる。


 男特有の悩みが、ボクを襲っていた。


「ねえ」


 リツはソファに腰を下ろし、赤い舌を出した。

 艶めかしく、長い舌が振り子のように揺れる。


「ネズミ。食べ飽きちゃった……」

「ネズミ?」

「サチコさんの部屋にあったネズミ。全部食べたけど。まだ足りないのよねぇ。あいつら、放っておけば増えてくれるから、すっごい楽だけど」


 下から睨むようにして、リツがこっちを向く。

 舌先がチロチロと動いていた。


「わたし。いっぱい食べるからさぁ。足りないのよ」

「食費、大丈夫かな」

「平気よ。たくさん食べれば、一週間は食べなくていいから」

「え? そうなの?」

「抜くときは、一カ月とか、抜くときあるから。平気よ」


 ダイエットの達人がいた。

 大幅にプラスした分、大幅にマイナスをする。

 大きいけど体型が崩れないのは、そういうことらしい。


「アオ」


 彼女はため息を吐いて言うのだ。


「ネズミ。飽きちゃった……」


 赤いイチゴに蜂蜜を塗ったような艶のある舌。

 先端が折れ曲がると、左右に振られたり、真っ直ぐに伸びたり、自在に動き回る。


 再び、同じことを言われ、ボクは何となく察した。

 他の物が食べたいのだろう。

 あと、一週間は持つとか言っていたが、昨日は昨日で食べていたし、単純に燃費が悪いだけなんじゃないか、とも思ってしまう。


 立ち上がった彼女は、股間を押さえるボクの前に近づいてくる。


「女。知らないでしょ」


 マムシとは思えない色香を振りまき、リツはボクを色欲で狂わせてきた。彼女の交渉では、気持ち良くしてくれる代わりに、指一本を食べさせてほしいとの事。


 絶対にお断りだった。

 というか、なぜ快楽と痛みがワンセットになっているのか、疑問である。


 必死に抵抗した後に、リツは後ろから抱き着いてきた。

 蛇のように足を絡ませ、耳の裏を舐められたり、リツは甘えてきた。


「た~べたいな~」

「ちょっほ、だめ。だめでござるよぉ」


 気色悪い返しをして、ボクは顔のにやけを抑えた。

 一生掛かっても、こんな美人に言い寄られる事なんか、もうないだろう。

 彼女がもしも『ビッチ』とかいう類なのであれば、間違いなく高級娼婦ってやつだろう。

 一億円貢がないと抱けないレベルの女だ。


 そうこうしていると、家のインターフォンが鳴った。


 ピンポーン。


「はーい」


 返事だけはする。が、なかなか、玄関に辿り着けない。

 台所の近くで膝を突いて、背中に乗ってくるリツにジッと耐えた。


「んじゃ~さ~。――はい」


 背中からスルスルと下りたリツは、目の前で正座をした。

 何だろうと思い、顔を上げると、リツは上を向いて口を開けていた。


「え、なに?」


 ピンポーン。


「おためし」


 大きく口を開けたリツ。

 グロスを塗っていないのに、光沢を帯びた唇は、紅色に輝いている。

 ふっくらとした唇は、今では大きな丸を作り、「あー」と上下に開いていた。


 ボクは思う。


 お試し?

 お試しってなんだ?


 非常に困惑する一言だった。

 大きく開いた口にボクは何をすればいいんだろう。

 もちろん、口に出すことはできない下品な思考は持ち合わせている。

 ただ、忘れてはいけない。


 彼女はマムシだ。


 いくら、口腔内こうくうないに糸を引いた唾液が、雨露あめつゆに濡れた蜘蛛くもの巣のように、幻想的な魅力を放っていても、ボクの前にあるのは、マムシの大口である。


「んぁー」


 屈んで、口の中を覗いてみた。


「ま、マジで牙があるんだけど」

「えは」


 上顎うわあごの両側に、半透明の牙があった。

 肉に半分埋もれているけど、たぶん牙だ。

 細くて、魚の骨みたいな針の形をしている。

 ボクが調べた限りでは、牙の形にも色々とあるみたいだけど、リツの牙は針状のものだった。


 ただ、マムシの人外ということもあり、本来のマムシとは違う口の形をしている。前歯や奥歯はしっかり並んでいるし、真っ白に輝いていた。


 例えるなら、人間の歯と歯の間に挟まった魚の骨みたいな感じか。


 長い舌は外に出しているため、大量の唾液が床にこぼれている。

 奥を見ると、口蓋垂こうがいすい(喉ちんこ)が丸見え。

 奥行きがあって、円状に開いている。


 明らかに人間の造りとは、異なっていた。


「えー……ぁ……」


 リツは、ボクの腕を掴むと、自ら口の中に持っていく。

 袖をきちんと捲って、指先から咥えていく。


うおははいへへ動かないでね


 牙に当たらないよう、配慮してくれているみたいだ。

 大きく開いた口が、さらに大きく開いた。


「え。え。え?」


 言葉を失った。

 今、リツはボクの手の平を丸のみにしている。

 手の形は握らないで、指を揃え、縦に入れている。

 少しずらせば、牙に当たるからだろう。


「んっ、ぐむっ。――ごきゅ、ごぐっ――」

「うお、おお、おおおおお!」


 手首を通過し、肘近くまでが、リツの口の中に入った。

 口が切れちゃうんじゃないかと心配したが、そんなことはなかった。

 リツの口は、180度開くらしい。

 余裕で呑み込んでいた。


「んふー、ふー」


 腕を下にずらすと、細く呼吸をした。

 それから、息を止めて、さらに呑み込んでいく。


「あわ、わわわ。ねえ。ちょ、ヤバいって」


 不思議な感触だった。

 ボクの腕を肉の壁が歓迎していた。

 ギチギチに引き締まった肉の壁が、指先から肘に至るまで、別の生き物みたいに擦り合わせてくるのだ。


 たぶん、胃袋を直に触ってる。

 指を動かすと、うねうねと動いているが、熱くなってくる。


 そして、ボクは気づいた。

 指先に、何か当たっている。


「こ、これって……」


 ネズミだ。

 たくさんのネズミだった物が、ボクの指に触れていた。


「んもぉ……ぉぉ……っ」


 ズルズルと引きずり出されていく腕。

 透明な唾液で濡れた腕は、信じられない事に無臭であった。

 徐々に口の形が戻っていくと、リツはにっこりと笑う。


「ど? 気持ち良いでしょ?」

「……奇妙だよ」

「えー、昔はこれでブイブイ言わせてたんだよ」


 見世物小屋で働いていたんだろうか。

 ボクは唾液に濡れた腕を見て、未だに驚きの状態から抜け出せなかった。

 そこへ、さらに驚きをぶちかまされた。


「おい」


 声に反応して、顔を上げる。

 リビングの入口には、怖い顔をしたワカナさんが立っていた。

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