色白美人と褐色美人

 ワカナさんがソファに座ると、信じられない事が起こった。

 ソファのバネが外れたのである。

 バネの外れる所を見たわけではない。

 明らかに、『バシン』と金具の壊れる音が室内に響いたのだ。


 そして、ボクはワカナさんの膝の上に乗り、向かいに座るリツと見つめ合う。


「えへ」


 と、笑い、リツは長い舌をチロチロと揺らす。

 まるで、何かを舐めしゃぶるように誘惑する舌だが、絶対にわざとしていた。


 良く言えば、陽気なお姉さんだ。

 マムシとは思えない。

 一方で、ボクの背後からは低い唸り声が聞こえてきた。


「ウ”ウ”ウ”ウ”……」


 男以上に低い唸り声。

 でも、聞いたことがある喉の震わせ方。


 気まずい沈黙に耐えていると、二人は同時に言った。


「……


 知っていた、と言わんばかりにお互いが言った。

 正確には、薄々感づいていたってところか。

 不思議なのは、ボクの腕を丸のみにした現場をワカナさんは見たはずだが、そこに関しては驚きがなかった。


 見た目は人間の口が、180度開く光景は、人によってはショッキングである。歯や歯肉が部屋の明かりに照らされ、なにより頬肉が伸び切っているのだから、クリーチャーさながらだ。


 いや、人外なのだけど。


 それでも、ショッキングな姿を見てボクが怖がらなかったのは、リツが初めてのボクに手ほどきというか、怖くないように優しく腕を掴んでくれた事からだ。


 冷たい温もりが、何だか心地よかった。

 あと、美女の口の中にかなり興奮を覚えてしまったからだ。


「どういうことか。説明しろよ」

「や~だ」


 リツが答えた直後、ボクらの間に置かれたテーブルが、真っ二つに割れた。

 たぶん、拳を下ろしただけなんだろう。

 しかし、力があまりにも強すぎて、テーブルはくの字に変形した。

 一瞬、折れた状態で浮遊した後、テーブルだったものが床に転がる。


「あの、リツさん。煽るスタイル止めて」

「や~だ」

「お前、マジでぶち殺すぞ」

「あぁ、火に油が投下されてく」

「ば~か」

「重油だよぉ。油は油でも、重油が投下されてるよ!」


 本来のマムシは臆病で気性が荒いとかいう生き物だが、サイズが違えば気持ち的余裕も違うみたいだ。

 リツは、ギャルが浮かべるような、意地の悪い笑みを浮かべて、ニヤニヤとしていた。


 人を馬鹿にして、からかう笑顔だ。

 だけど、全体的に艶がありすぎて、一つの魅力となってしまっている。

 ただし、その魅力は同性に通用しない。


「お前……」


 ワカナさんが立ちあがった。

 


「ちょ、待って! ボクが、説明するから」


 まさか、ワカナさん。

 もしかして、――。


 頭に浮かんでいた言葉が、焦りで消えていく。

 ワカナさんは鋭い目をカッと見開き、犬歯を剥き出しにしていた。

 気のせいか、体臭まで濃くなっている。

 あと、一番分かりやすいのが、髪の毛が逆立っている事か。


 ボクのお腹に当てられた手が、メリメリと肉を握ってくるので、とても痛かった。


「実は、リツの事は母ちゃんから頼まれて……」

「サチコさんが?」

「うん。初めは、白いマムシだったんだけど。なんか、……うん。いつの間にか、美女になってたんだ」

「いぇーい」


 腰を突き上げるようにして、リツが体にしなりを作る。

 元気いっぱいに煽りまくるスタイルだった。

 ピースをして、まるでグラビアの撮影か何かみたいにして、ワカナさんを小馬鹿にしていた。


「それで、母ちゃんに言われた通り、面倒見てたってわけ。今日で、2日目だけど」

「初日は、わたし抜いてあげたけどね。んふ。タンパク質欲しかったから。張り切っちゃった」

「はは。……聞いてねえな。その話。あの、嘘はやめてもらって……」

「本当だって。寝てる間に、パクって。あ、安心して。ちゃんとこっちの姿でしてあげたから」

「ちっげぇよ! 何で、人が意識失ってる間に好き放題してるんだよ! ていうか、何で意識がない間に事を済ませるんだい⁉ ボクはその快楽を知らないよ! ああ、もう! 何か大きな魚を逃した気分だ!」


 エロいことは歓迎だが、意識がない間にエロい事をされても、それは果たして経験したと言えるんだろうか。


 その時に湧き上がる興奮や快楽は、一切記憶がないのだ。

 せめて、ボクの意識がある内に、エロい行為に及んでほしかった。

 何とも言えない複雑な気分でいると、耳元でギリギリと音がした。


 顔を上げると、ワカナさんが歯軋りをしている。

 それだけじゃない。

 拳を握ると、皮膚と皮膚が擦れ合って、骨が軋んでいた。


 マジギレである。


「殺し……やる……」


 片腕でボクを抱えたまま、ワカナさんがリツに掴みかかった。

 首根っこを押さえて、そのまま体重を掛け始めた。


「ストップ! やめてください! お願いします!」

「アオは、ずっと面倒見てきたあたしより、こいつの方がいいのか⁉」

「……そういうわけじゃ」


 正直、どっちも大好きだ。

 考えてみてほしい。


 線は細いが、出る所は出てるグラマー系で、艶しかない色白の超美人。

 太めで、筋肉がガッチリついた、健康的な黒肌の美人。


 あ、ちなみに、何度も言うが、ワカナさんは決してデブではない。

 ガッチリと筋肉がついているから、くびれがえげつないのである。


 ともあれ、東の白ギャル、西の黒ギャルみたいな図式が出来上がっていた。


 両方が違う魅力を持っているのに、選べるわけがない。

 ボクは選べる立場になかった。


「ボクは、その、どっちも魅力的というか。どっちも好きだけど。……ねえ。これ何の話?」

「もう料理作んないぞ」

「ボクに死ねと?」

「選べよ!」


 ワカナさんに詰め寄られ、仕方なくボクはワカナさんの名前を口にしようとした。その矢先、リツはまたしても重油を投下してきた。


「わたしぃ、尻まで舐められるけどぉ」

「嘘でしょ? ほんと?」


 いや、ボクは尻の穴は好きだけど。

 舐められるフェティシズムは持っていない。

 だって、汚いのが嫌いなので、不純物を一切取り除いた菊門が好きなのであって、それ以外に興味はないのだ。


 だが、リツのやたらと色香が漂う声色で言われると、黒が白に反転するように、興味がなかった分野まで開拓されてしまうのである。


「だ、まれぇ!」

「いやん」


 ギリギリと絞めつけているのに、リツは余裕だった。

 それどころか、長い脚を伸ばしてワカナさんの片腕に巻き付いている。


「う……」


 ワカナさんが顔をしかめた。

 十字固めってやつか。

 ただし、人間の技掛けとは段違いの締め付けだ。

 ボクの見ている前で、ワカナさんの太い腕が、徐々に変形していくではないか。


 肘は上に盛り上がり、肩が下にずれていき、いつの間にか首を掴んでいた手が離れていた。


「二人ともやめてくれ!」


 我慢できずに、腹の底から叫んだ。

 ボクはエッチな事をこよなく愛するから、言えることが一つだけある。


 美女の争いは見たくない。


 というか、家が壊される。


「いいかい? 全て、悪いのは母ちゃんだ。母ちゃんが、諸悪の根源なんだ」


 解決策として、ボクが口にしたのは、親のせいにする事であった。

 本人はここにいないし、この場を切り抜けるには、卑怯な手の一つでも使う必要があると判断したからだ。


「サチコさんは悪くないわよぉ」

「そうだぞ。親を大事にしろ」


 べちん。

 頭を叩かれ、ボクは俯いてしまう。


 ――いや、お前らさ……。


 喉の奥から出そうになった不満を呑み込み、ボクは沈黙した。

 二人は険悪の仲だったが、とりあえずワカナさんには落ち着いてもらえた。


 ワカナさんは眉間に濃い皺を寄せて、一旦家に帰った。

 だが、妙に胸騒ぎがしてしまうのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る