近所のお姉さん

 ピンポーン。


 インターフォンの音で目が覚めたボクは、背伸びをして起き上がる。

 上体を曲げた時、微かに違和感があった。

 ぬめりというか、変な感触が股の下にあったのだ。


「うぇ、なんだ、これ」


 蛇の姿を見て、バカをやらかしたボクは気を失っていたようだ。

 確か、ズボンを脱いで、股間に蛇がキスをしてブラックアウトしたはず。けれど、目を覚ましたボクは、いつの間にかズボンを上げていた。


 パンツの中は、粘液か何かで濡れていた。

 視線を持ち上げると、蛇の入ったケージが目に入る。


「こ、こいつは、夢じゃなかったんだ……」


 恐る恐る首を伸ばすと、やはりケージに蓋はされていない。

 ブリーダーが見たら、「いや、それダメっすよ」とお叱りを受ける事だろう。


 当たり前だ。

 アオダイショウじゃなくて、相手はマムシなのだ。


 ボクが恐れていた白いマムシは、何事もなかったかのように、ケージの中に入れている木の葉に体を隠していた。


 じっと見ていると、奴は首を曲げて、ボクの方を見つめる。

 何だか、無性に悔しくなったのは、夢でこいつに襲われた事を思い出したからだろう。

 はたまた、自分の人間性が小さくて醜いからだ。


 だから、ボクは言った。


「君が人間の女の子だったら、絶対に調教してるよ。……エロマンガのようにね」


 指を突き付け、ボクは宣言した。

 奴はジッとボクを見つめ、持ち上げた顎を木の葉に沈めていく。


 ピンポーン。


 再び、インターフォンが鳴り、ボクは慌てて母の寝室から出た。

 で。


「はいはーい」


 寝室を出ると、左右に通路が分かれている。

 二階廊下の突き当りは、ボクの部屋。

 向かいがトイレだ。


 左に曲がれば、階段の踊り場がある。

 ボクは小走りで、左に曲がり、階段を下りていく。


 階段を下りると、すぐ目の前に玄関の扉が見えた。

 扉の横には磨りガラスがあって、そこには見覚えのある人影が映っていた。

 すぐに扉を開けると、三回目の呼び鈴を鳴らそうとしていた姿が、目に飛び込んできた。


「おっせーよ」

「ご、ごめん」

「なに。お邪魔だった?」


 向かいの家に住んでいる一人暮らしのお姉さんだ。

 名前は、ワカナ。

 ちょいヤンキーが入っているけど、優しくて面倒見の良い人だと知っているので、別に怖くはない。


「お邪魔って?」

「んー、……まあ、色々と」


 ワカナさんは、視線を下げて、鼻を動かした。

 何やら、臭いを嗅いで、すぐに指で鼻の穴を塞ぐ。


 ボクはというと、別にやましいことはないので、ワカナさんの顔をジッと見上げた。


 相変わらず、大きいお姉さんだ。

 毛先がボサボサとした、銀髪ロング。

 鍛えているのか、女性にしてはガッチリとした体型。

 肌は色黒で、目つきは野犬みたいにキツい。


 何より、見上げるほどの身長は、毎度のことながら惚れ惚れしてしまう。きっと、女子が好きなタイプの女性って、こんな感じなんだろう、と勝手に想像をしてしまった。


 ワカナさんはタンクトップにジャージのズボンというラフな格好だった。今は冬なので、結構寒いと思うのだが、いつも薄着なので慣れてしまった。


 ボクの下半身を睨んでいたワカナさんは、突然何かに反応を示す。

 眉間に皺を寄せて、ボクの後ろを睨み、こう言うのだ。


「誰かいんの?」

「いや。いないけど」

「へえ。……女でも連れ込んだ?」

「いやいやいや! 連れ込めるだけのステータス持ってないぜ?」


 前々から思ってたんだけど。

 ワカナさんって、異様に鼻が利くんだよな。

 食事を終えて数時間経った後に、突然訪問してきた際も、ボクが食べていた物を言い当てた。


 その時は、「カップ麺ばっか食ってんじゃねえよ」と、キムチ鍋を作ってくれたっけ。


「で、どうしたの?」

「サチコさんから聞いてない? あたし、面倒見るように頼まれたんだけど」

「聞いてないんだけど」


 あのババア。

 だから、大事なことは伝えてくれよ。


 すでに旅立った親に対して、ボクは怒りが湧いた。

 だが、四の五の言っても仕方ない。

 きっと、いつもの放任癖で言うのを忘れたのだろう。


 ワカナさんは扉枠に腕を突いて、やはりボクの後ろが気になるのか、ジッと階段の先を見上げている。


 顔を上げれば、ボクの前には大きなスイカが二つあった。

 鍛えているから、お腹が硬い。

 なのに、胸部だけは張りがあって柔らかい。


 タンクトップに染み込んだ濃い汗の香りに混じって、ボディソープの匂いが鼻孔びこうの奥にまで届いた。


 これだけ魅力的な人だ。

 きっと、交際している男性がいるに違いなかった。

 あるいは、今は時代が時代なので、付き合っているのは女性かもしれない。


 どのみち、ボクには縁がない人だ。


「アオ。ちと、ここで待ってて」

「え?」


 ぐいっ、と外に出されたボクは、訳が分からずに逞しい背中を見送る。

 ワカナさんは靴を脱ぎ、指の骨を鳴らして階段を上がっていった。


「なんだぁ」


 時々、分からないことがある。

 ワカナさんは、常に何かを警戒している風だ。

 聞いても何も答えてくれないし、しつこく聞くとキレるので怖い。

 だから、ボクは恐怖心を紛らわせる意味でも、大きくて引き締まった尻に視線を注ぐ。


「んー」


 階段の上から、唸り声が聞こえてくる。

 玄関先でしゃがみ込み、ボクは階段の方を覗いた。

 すると、ワカナさんが首を傾げて、下に戻ってくる。


「っかしいなぁ」

「なに。泥棒?」

「……かと思ったけどぉ。……んー、違ったわ」


 頭を掻いて戻ってきたワカナさんは、靴を履くのかと思いきや、横に移動してリビングに入る。


 いい加減寒かったので、ボクは扉を閉めた。

 靴を脱いで、ボクもリビングに入ると、中ではワカナさんが冷蔵庫の中をチェックしていた。


「あー、やっぱり、作り置きしてないか」


 奇妙に見えるが、これは非常にありがたいことだ。

 ワカナさんの一連の行動は、ボクの夕飯を作る流れの一つである。

 予想通り、ワカナさんは言った。


「ウチに来な。何か、適当に作ってやるよ」

「やった!」

「ったく。お前の家、どうなってんだよ」

「本当にね。まあ、そのおかげで、ワカナさんの料理食べれるけど」


 軽く頭を叩かれ、ボクはワカナさんの後をついていく。

 すぐ向かいなので、ボクはそのままの恰好で、お邪魔することにした。


 ワカナさんは肉料理が好きなようで、必ず肉を入れてくれる。

 なので、ボクとしては非常にありがたい。

 この日の食事は、シチューだった。

 ボクが好きな甘ったるい味が肉に絡みつき、ご飯がすすむ美味さ。


 つくづく、こんな人がボクの人生でヒロインになってくれたらな、と思うのだった。

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