真っ白いマムシ

 マムシ。

 日本原産の蛇で、とんでもない猛毒を持つ軟体生物。

 人によっては、見かけただけで殺してしまう生き物だが、なぜか母ちゃんは部屋の片隅にあるケージ内で、こいつを飼育していた。


 6畳半ほどの寝室。


 信じられないかもしれないが、ボクは母の部屋に入ったことがない。

 父は物心ついた時には、すでに他界した後。

 だから、父との思い出もなければ、放任主義の母との思い出もない。


 虐待か、と疑う人もいると思う。

 ボクからすれば、殴られたり罵声を浴びせられたりなどはされていない。それに、必要最低限の事はしてくれる。

 だから、虐待ではないと自負している。


 ともあれ、カーテンを閉め切って、真っ暗にされていた寝室。

 明かりを点ければ、片隅にあるガラスケースが目についた。

 ガラスケースから離れた位置に小さな冷蔵庫。

 母は敷布団で寝ているので、布団は畳まれている状態だった。


 さて、ボクは下見という形でガラスケースの前に立つ。

 しゃがみ込んで、ケースに顔を近づけると、そいつは首を持ち上げた。


「うぉぉぉ……きめぇぇぇ……」


 母の言う通り、真っ白だった。

 持ち上げた顎の下まで白く、目じりには赤い小さな斑点。

 目は猫のように細い。


 これは、後から予備知識として仕入れた情報だが、同じ蛇でも特徴が違うのだそうだ。


 アオダイショウと言うのは、スリムな美人さんか。

 体長は2mに達するというし、目はくりくりと丸い黒。

 非常に温厚で、なにより腹が真っ白なのだそうだ。


 対して、マムシは一言で表すのならデブ。

 いや、人間の女で表すのなら、グラマーってところか。

 ただし、体長は1mくらいが最大と言われている。

 とても小さいのだ。

 頭は三角形なので、非常に分かりやすい。

 目は猫のように細くて、顔の側面には赤や黄色、黒の斑紋はんもんがあるという。


 この時のボクは、蛇の知識なんてメジャーな物しか知らなかった。

 だから、体長まで気が回らず、「気持ち悪いぃ……」と怯えることしかできなかったのだ。


「なにこれ。mあるじゃん」


 大きなケージの中で、アルビノのマムシは3mほどの長さにまで達していた。体はしなりを作り、舌をチロチロと出して、ボクの顔を覗いている。


「はぁ、はぁ、……嫌だよぉ。きめぇよぉ。これ、マジかよぉ」


 噛まないというが、本来のマムシは全く違う。


 


 分かりやすい例で言うなら、目が合っただけで絡んでくる頭のおかしいヤンキーだ。

 あれが一番適切だろう。


「う、わぁ。マジで真っ白だ。あ、これ何だろう。……肛門かな」


 こんな馬鹿な事を言わないと、正気を保てなかった。

 気のせいか、蛇は尻尾を振って、奥の方に隠してしまう。

 と、思いきや、ジッとボクの事を見つめた後、尻尾の裏側をケースに張り付けてきた。


「細い線が……あるけど。あれ、本当に肛門? マジで?」


 傍から見れば、ボクはヤバイ奴だった。

 独り言を呟いて、蛇の腹を眺めているのだ。


 ちなみに、肛門らしき切れ目は、尻尾の先端ではなく、胴体から少し進んだ先くらいに見えた。


「あ、アナルを押しつけやがって……。ふふ。お前は、……痴女かい。ええ?」


 正気がメリメリ減っていく。

 アホな事を言わないと、とっくに発狂してる。

 まず、ボクのように爬虫類愛好家はちゅうるいあいこうかでもない男は、家の中にそれがいるというだけで、本当に恐怖だった。


 下見にきたつもりが、発狂寸前に陥ったボクは、さらにアホな事をしでかしてしまう。

 ズボンをずり下げ、自分の分身を持ち上げて見せたのだ。


「ほ~ら、お仲間だよぉ」


 気のせいだろうか。

 蛇が食い入るように見つめていた。

 よく考えたら、蛇に人の言葉が通じるわけがなく、ボクの行動を観察しているだけかもしれない。


 でも、この時は本当にボクの言うことが分かっている風に頭を振るのだ。


 ボクは自分の分身をぶらぶらと揺らし、ふとケージの上に注目した。


「……え?」


 生涯、母を心から憎んだことはなかっただろう。

 ケージの真上を見ると、のだ。

 空気を取り入れるための穴が空いているのは分かる。

 でも、そうじゃない。


 ケージのふたが、そもそもなかった。


「お? ……おぉ。うおおおおおお⁉」


 慌てて、蓋を探した。

 どこかにあるはずだ。

 だけど、ケージの裏には見当たらず、部屋のどこにも蓋はなかった。


 そうこうしている間に、奴は恐れていた行動に出た。

 首を持ち上げて、ケージの外に出てきたのである。


「ま、ちょ、ごめん! ごめん! からかい過ぎた!」


 ズボンをずり上げる事を忘れ、ボクはフルチンで後ずさる。

 途中で、足が取られてしまい、派手に真後ろへ尻餅を突いた。

 奴は三角形の頭をスルスルと伸ばし、ボクに近づいてくる。


「ほ、おおおおお!」


 その距離、約30cm。

 至近距離まで詰められたボクは、分身と蛇が対面する様を見守ることしかできなかった。


 蛇はボクの分身の先端をジッと見つめている。

 噛まれたら、正気を失うどころではない。

 本当に死ぬ。


「ん”、ぐお”お”お”っ」


 変な声が漏れてしまった。

 脛を這い回る冷たい感触。

 太ももの上に乗った奴は、真横や前から分身を見つめた。


 ここで、奴は最も人間らしい動きを見せる。


 分身を見つめた後、ボクの方に顔を向けたのだ。

 何気ない所作だが、一連の動きが、まるで疑問を抱いている人間さながらの動きに見えて、ボクはおぞましさから言葉を失った。


『食べようか?』


 どこからか、女の声が聞こえた。

 その瞬間、蛇はボクの分身に飛び掛かったのであった。


 冷たい感触が敏感な場所に当たった時、ボクの視界は真っ黒に染まる。

 教訓としては、蛇はからかっちゃいけない、ということだ。

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