【伍】

第二十九話

   

   【伍】


 翌朝の八時半頃。快晴の陽差しを小さな庭園に見ながら、伏見稲荷大社近くの京都府右京区の一棟貸切の旅館にて……。


「ええと、何から説明願いましょうか……」


 和風の寝室での深い眠りからようやく目を覚ましたツユが、寝癖頭のまま一階の居間に降りて一番に目撃したのは、下着一枚の姿に剥かれて畳の上で正座をさせられている安城廻の悲痛な姿であった。


「ジョウロちゃん、オハヨウ。助けてくれッ!」


「麗らかな朝一番に見る光景ですかこれ?」


 昨晩から今日までの間に何があったのか、後ろ手にされた安城が胴を縄で締め上げられた姿で正座させられていて、向こうに見えるテーブルの前の座椅子でスウェット姿のフーリが気楽そうにテレビを観ている。視線だけでツユを認めて「おはよー」と言うが、すぐに画面の向こうに釘付けになってしまった。


「おはようございます……ぇえと、私混乱していますよ」


「縄を解いてくれジョウロちゃん、あ、足が痺れて……昨日からずっとここで縛られているんだ、この鬼畜狸!」


 右の頬を腫れ上がらせた安城は必死な様子で訴えて来る。

 やがてフーリが瞬きするのも忘れて齧り付いていた番組が終わってCMが始まった。すると彼は紫色の座布団の上を反転しながら、混乱したツユの方へと体を向けて来る。


「おいおい、解いてやるつもりかよジョウロちゃん?」


 丸い目をしたフーリの背後のテレビ画面では、丁度国民的俳優の安城廻が「グイッと飲んじゃいなよ。ほら……」と、清涼飲料水のCMでキラキラした姿をお茶の間に届けている。


「おのれぇ狸! 日本の貴公子こと、この安城廻の顔に傷を付け、あまつさえこんな鬼畜な仕打ちをした事を後悔させてやるからな!」


 ……しかし手前に視軸を移せば、鼻水を垂らした物凄い形相の安城廻が顔を赤面させながらパンツ一枚の姿で縛り上げられて悶えている。あらためて、いま一体どういう状況なのだとツユは自問したくなった。


「少し私も状況を思い出して来た様ですが……とりあえず、縄解きますね」


「ありがとう、ジョウロちゃん!」


「そんなお人好しだと、また狐に騙されるぜ? こいつは俺に猫をけしかけてきやがったんだからな」


 縄を解いて貰う安城はその間、潤んだ瞳でツユを見上げ続けていた。そうして解放された彼は結び目の赤く残った姿で四つん這いとなり、涙目になりながら猛省する姿勢を露わにした。

 テーブルの上の生八ツ橋をモソモソと頬張りながら、フーリは「あーあ」と残念そうな声を上げていた。


「昨日そいつにハメられて神隠しに遭う所だったんだぜ?」


 言われてツユはあの足元から寒気がする狛狐の異形の姿を思い出す。


 ……本当に死ぬ所だったのだ。あの時、機転を効かせて雲外鏡を井戸の中に見つけ出せていなければ今頃……。

 テーブルの上に雑多に投げ出された小瓶を目にして強烈に思い起こし、目頭を押さえてツユは誰ともなく問い掛けていた――。


「あっ、あの……記憶が朧げなので夢であったら笑って欲しいんですけど、その、ソレに昨日怪異を閉じ込めたりなんか……あはは、しませんよねそんな事!」


「おう、そこに封じてるだけだから、蓋を外したり割ったりしない様に気を付けてな。別に使役してる訳でもなんでもねぇから、出てきたらまた襲われるぜ?」


「え……?」


 小瓶を覗き込むと、透明な瓶の中に黒いモヤモヤが現れて醜い声を上げた気がした。思わず手から取り零して畳に落ちそうになった所をフーリが咄嗟に拾い上げる。


「ほら、危ねぇぜジョウロちゃん。メザメのの一つなんだからよ、逃したら怒られちまうだろうが」


ってまさか……!」


 テーブルの上に転がったままになっているインカムを装着し、こちらから声を投げ掛けるとすぐに返答があった。


『あらゆるに限らず、僕は怪奇を蒐集している』


 ――思い出すと、メザメの元に依頼に訪れた際も彼は栗彦の一件を聞いて「欲しい」と口走ったのでは無かったか。あれは専門家としての知識に対しての欲として解釈していたのだが、どうやらそうではなく、言葉のままの意味であったらしい。


「なぜ……そんな事を?」ツユがあっけらかんとそう聞くと、珍しく熱を帯びた声が返って来る。


『キミは世に居る様々な形の蒐集家コレクターが、いちいち理由を持って蒐集をしていると? 理由など無い。言うなれば、ただ魅せられたのだ。まだ見ぬ怪奇を、より多く、もっと質の良い物を、この手の元で愛でられる様に……。そう言った、言葉や理屈では言い表せぬ様な飽くなきロマンを持ち合わせるのが蒐集家だ。ある意味ではこれも、人の感性の持つ怪奇であると言えるやも知れぬ』


「メザメさんもロマンとか言うんですね。なんていうかもっとこう、現実主義的と言うか、お堅い人かと思っていました」


「どれ程凡庸に見える世の男どもにも、それぞれに何か必ず、子どもめいたロマンを持ち合わせているものだ」


 ――わかりませんよ、と首を振ったツユは本題へと戻るかの様に安城の方へと視線を戻した。ビクリと肩を跳ね上げた彼は、ぎこちない笑顔を見せながらそこで冷や汗をかいているみたいだった。

 嬉しそうな笑顔でフーリが横槍を入れる。


「おっ、鞭打つかジョウロちゃん? きっとこんなにいけすかねぇ奴を打つのは気持ちいいぜぇ?」


「どうして当たり前の様に鞭打つって単語が出て来るんですか、そんな事しませんってば。私は理由を知りたいだけなんです」


 つまらなさそうに唇を尖らせたフーリ。安城はと言うと、ツユの優しさに申し訳無さでも感じているのか、そっぽを向いて、真っ直ぐと向けられた視線に応えようとしない。


「まずは服を着てください。そうして朝ご飯の準備をしましょう。その後に全て説明して貰いますからね」


「ジョウロちゃん……」


「米と味噌汁とたくあんならもう準備してるぜ? いつもメザメの飯を作ってたからなぁ」


『こう見えて、フーリの飯は絶品だ』


 フーリの意外な特技にツユは舌を巻いた。安城はひとまず、情けの無い姿を終わりに出来てホッと一息ついていた。

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