第二十一話


 程無く歩き始めた一行は長い階段へと差し掛かる。

 何やら安城が右手に押し並んだお塚の群れの方角を気にしている様にも見えたが、それが何故だかはツユにはわからなかった。しかし考えてみれば彼はこの伏見稲荷大社を訪れてからというもの、誰かの視線に怯えるかの様に縮こまっているというか、何かを恐れているという風にも見えた。やはり伏見稲荷大社に祀られる秘宝の一つを持ち出そうとの目論みは同胞達からの反感でも買うのだろうか? 考えてみれば当たり前の事でもあった。


 階段を上がると正面に濃密な闇が広がっていた。鼻を利かせるとそこからは水場の香りを感じられた。夜闇に紛れて判然としないが、正面にはいま新池が広がっていて、その水面を沿う形で眼下の道がT字に分かれているのであった。本筋は左手の方角であるのだが、ツユは何の気無しに右手の方の、お塚の続く続く細道の先を見る。


 ……月明かりを頼りにした仄暗さ。曖昧な輪郭が影を伸ばし、石畳が正面に伸びるその小道の奥に――雑多となったお塚の隙間に、奉納された無数の小さな鳥居の合間に――ツユは鈍く蠢いた眼光の群れを見た。


「手を繋ごうか?」


 気付けば目前に安城から手を差し伸べられていた。視線を戻すと、もうそこに怪奇は無かった。


 果たして今のは何だったのか、信仰に棲み着いた魔物の類か……そんな問答の余地も無く、ツユは安城に連れられて先を行くしか無かった。熊鷹社に並んだ無数の蝋燭台を横目に、三人は次に急勾配になった鳥居の道を上り始める。


 道は狭く、勾配の差が激しい。右手を見れば崖っぷちだったりもするのだが、律儀にも赤い鳥居は途切れる事無く続いている様子だった。まるでこの朱色に導かれている様な感覚に陥って来る。

 暗黒に浮かんだ赤い社の下を、ぼんやりとした外灯の明かりを頼りに上り始める。視界の縁が鳥居の赤に染まり、四角いフレームが連なっていく。幻惑的で少し不気味な光景。鳥居と鳥居の僅かな隙間からは月光が漏れ出して、鳥居の影を作り出していた。

 本当に人が居ない。それがどれだけこの地の幻想性を増すのかを多くの人は知らない。得体の知れない漆黒と紅蓮の妖気に包まれながら、この世のものとは思えぬ参道を行く。その内異界に到っていようと、なんら不思議はない光景だ。


「なんだか私、怖くなって来ました」


 程なく進んでからツユはそう言った。先程の不明の眼光然り、お塚を過ぎた辺りから、やはりどうにもを感じて仕方がないのだ。

 鳥居の上方に点々とある外灯の明かりが、途端に掠れて明滅を始めた。遠く向こうに見える鳥居の隙間の無限の闇から、誰かナニカがこちらを見ている。そんな気がして仕方がなくなって来た。


『恐れをなして目を背ければ恐怖はいたずらに増幅を続け、恐れに立ち向かいその目を開けばそこに真実の姿がある。怪奇とはそういうものだジョウロくん』


「ワーッ! 怖がらせないで下さいよもう!」


 いつしか恐怖に苛まれてダンマリを決め込んでいたツユに察しをつけたか、忘れ掛けていた耳元からの声にツユは肩を飛び上がらせていた。


 間も無く、一層激しい階段を上り切ったこの先に三徳社が見えて来た。その辺りは一時だけ石畳が平坦になって登山者を休ませてくれるのだが、階段を上り切り、疲弊した顔を上げるとそこに突如と現れた――目。


 目、目、目……目!


 闇に灯った気色い眼光の無数がこちらを覗いていて、ツユはフーリと一緒に飛び上がっていた。二人して上げた情けの無い悲鳴は山にこだましていく。先程まで平気なフリをしていたくせに、フーリはツユよりももっと驚愕として頭を抱え込んでいる様子だ。視線はそこでぬらりと光り、パチクリと瞬きを繰り返しては、一つ、また一つと集い始めている様子であった。


「いやぁあああ!! フーリさん助けて!」


「だだっ、ダメだあジョウロちゃんっ、そそ、ソイツはダメなんだ、早くどっかにやってくれぇ!」


 未だギャーギャーと喧しい二人を平坦な視線で見下ろしていたのは安城であった。彼は短く溜息を吐くと、ツユの側に跪きながらその背中をさすってやった。


「猫だよジョウロちゃん、化け猫ですら無い普通の猫」


「え、猫ですか?」


 目を凝らすと、呑気にそこで欠伸をする色取り取りの猫の姿があった。夜間の伏見稲荷には猫が多い。彼らは今宵ここを寝床に選んだのだろう。本来ならばこんな時間に人通りなど滅多に無いのだから。

 恥ずかしさと同時に猫の平穏を脅かした事に悪い気を覚えながら、ツユは安城の手を取って立ち上がる。そうしてしゃがみ込むと、チッチッチと口元でやって猫を誘き寄せようとする。しかしその瞬間「やめてくれえ!」と情けの無い男の声がある。猫達が驚いて散り散りになっていってしまうのを見届けると、足元には未だ蹲った大男の姿だけが残った。


「まさかフーリさん……そんななりして猫が怖い、とか?」


「猫だけは、猫だけは追い払ってくれジョウロちゃん!」


 ツユは泣きべそをかいたフーリに興味深そうにしていたが、安城は何やら小馬鹿にする様に目を細めながら腕を組んでいった。そうしてへの字に曲がった口元で、小さくなっている背中を指差して言うのだった。


「なんて情け無い奴だこの狸。昔“化け猫”にでもイジメられたのか、あっはっは!」


 フーリが懐から“シライちゃん”を取り出して土鈴を鳴らすと、蹲った彼の隣に転がって安城は悶え苦しんだ。


「ヒャッハッハッハ、もっぺん言ってみろこの狐!」


「この……卑怯者め、その呪具さえ無かったら!」


『馬鹿らしい。さっさと行け』

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