完璧な日曜日

百目鬼 祐壱

完璧な日曜日

完璧な日曜日(英: Perfect Sunday)とは、近代以降のホモ・サピエンスが遍く志向するとされる時間概念を指す。現実には存在しえない思考実験的概念であるとする向きもある[1]。


歴史

・曜日概念を人類が獲得するのは近代産業革命により労働者階級が誕生してからのことである。当時の英国の労働者階級の生活について記録した「バーミンガムにおける労働者の生活状況について」には、「完璧な日曜日こそが労働者階級の目指す理想である。あらゆる労働者は起き抜けに溶岩のように熱せられた珈琲を口にし、リバー・ティムの河原を散策しながら心の安らぎを獲得し、夜はカフェでよく冷えた麦酒を流し込む。そのような時間があったからこそ、彼らは翌日から始まる蛆虫を煎じ詰めたような地獄(注:労働を指す)を乗り切ることができた」とある。

・20世紀に入ると「完璧な日曜日」は一種の人権として認められるようになる。たとえば、アメリカ合衆国憲法においては、1903年に採択された修正条項第148条に「すべて国民は完璧な日曜日をその最愛の家族と過ごす権利を有する」との文言が追記された。

・第二次世界大戦後の日本において、GHQによる「完璧な日曜日」推進キャンペーンが展開された。これは、社会主義陣営に対する対抗(社会主義陣営において「完璧な日曜日」を公的に保証している政府はこれまで存在しない)と見る向きもあり、カナダの歴史学者、Tアンダーソンは、このようなGHQによる活動を「週末の弾丸」と呼んだ。[2]


論争

・ドイツの哲学者、リーゼン・ホイヤーは、「完璧な日曜日などというものは存在しない。それはすでに終わりの概念を含んでいる。どんなに素晴らしい日曜日も翌日に忍び寄った月曜の影を前に輝きを失うことしかできない」と述べ、「完璧な日曜日」を否定した。

・21世紀に入ると、日曜日を休みと定めないサービス業などの従事者から大きな批判が上がるようになる。社会学者の新崎智弘は、「完璧な日曜日」という言葉は労働者階級の分断を煽る「正しくない言葉」であるとして、「完璧な休日」に言葉を改めるべきと主張した。一方で、文学者の山崎創は自信のエッセイ「黒服と雷鳥」でこの件に触れ、「それでもまた、日曜日が終わってしまうという悲しみを人類は遍く背負っているのです。日曜日に「サザエさん」を見ている時分の人類は、幼少期より自然と見に着いた曜日感覚の結果、心のうちで袖を濡らさなければならないのです」と綴った。

・2020年には、労働が続く限り「完璧な日」など存在しえない、と主張する過激派集団「大日本無限怠惰協会」が主導するストライキが世界各地の自動車工場で頻発するようになり、国際的な緊張が高まったが、ストライキもまた労働であるという声明を発表して以来、活動は停止している。


脚注

1:Emily Bennett, Perfect Sundays: Cultural Significance and Representation in Literature and Film, 2018

2:Susan M. Anderson, The weekend Bullet, 1988


参考文献

満田清持『曜日をめぐる世界闘争』1998

John A. Smith, The Concept of the Perfect Sunday: A Historical Perspective, 2005

Emily C. Johnson, Sundays Unveiled: A Sociological Analysis of the Perfect Sunday, 2012

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