第2話
出会いのお茶会から十数年が過ぎ、リヴェラはアカデミーへ入学していた。先に入学していたルキウスの代わりに、今では同学年のウラノスがリヴェラの護衛を務めている。
「やぁ、セラス、そろそろ僕に絆されてくれた?」
「まだ……です」
入学してからしばらくして始まったリヴェラのセラスへの訪問は、三年が過ぎようとした今も毎日のように続いている。
「まだ……ね。分かった。じゃぁ、またね」
あっさりとセラスの手を離したリヴェラは、ひらりと手を振って背を向けて歩き出す。初めて会ったあのお茶会と同じように。
「相変わらず懲りないわね、リヴェラ様」
「彼も私の返事を期待しているわけではないのよ。あれはきっと、日課になっているのね」
「要するに、セラスの顔を見る口実ってことね」
やれやれと肩を竦めたサラーサにセラスはくすりと笑う。リヴェラが毎日のようにセラスの下を訪れれば、おのずと行動を共にしているウラノスも居るのだから、それはサラーサにも当てはまるのだ。
「けど……これからはそれだけでは無さそうよ」
「ジルベール様が動き出した?」
ジルベールは、現王ヴィクトルの弟ジュリアンの息子だ。ジュリアンは臣下降下を拒み、王位継承権の放棄を条件に一代公爵として家門を持った。そのため、王のただ一人の子であるリヴェラに続いて、継承権二位となる。
「えぇ、あの無能……いえ、えっと勘違い野郎が」
「サラーサ、そんな言葉を使ってはいけないわ。それに全然、言い換えられてない」
「もう他に言い様なんて……ゴミくらいしか思いつかないわ。王族の血を引いているなんて信じられないくらいに」
リヴェラより年上のジルベールは既にアカデミーを卒業してメディウムに帰っている。そして、リヴェラの居ない今は好機と思ったのか、息のかかる貴族たちを抱き込みリヴェラの失脚を狙っていると、サラーサがアデラールから伝えられたのがつい昨日のことだ。それと同時に、セラスを妃にすると息巻いているとも聞いた。
「リヴェラ様と同じような顔なのに、あんなに醜く歪んでしまうなんて、一体、腹の中がどれだけ黒いのか知りたくもないわ」
嫌悪を隠す事もないサラーサは、ぶるりと身震いをして見せた。
まだアカデミーに入る前のこと、王宮を訪れた二人の下へジュリアンがジルベールを伴って現れたことがある。王族という立場をこれでもかと利用し、ジルベールの妻になるようにと迫られたのは、記憶から消したりたいほどの嫌な思い出だ。
『私たちの一存で決められる事ではございません。ですから、両親へ申し伝えいたしますと……』
『俺の妻にしてやろうというのに、なんだその態度は!』
逆上したジルベールが手を振り上げる。殴られると思ったサラーサは、背に隠したセラスをさらに片手で遠ざけて前に出ると目を瞑った。しかし、何時までも痛みが訪れることはなかった。
『お茶会に上った公爵家の子供たちは、皆、僕の庇護下に在る。当然、そこの二人もだよ、ジルベール兄さま。もちろん、ご存じですよね? 叔父さま』
『っ……。ふんっ、顔を見たからわしが自ら挨拶をしてやっただけだ。いくぞ、ジルベール』
引きずられるように連れていかれるジルベールが、憎しみを込めた眼差しでリヴェラを見ていたのをサラーサは今でも覚えている。
「とにかく、お兄様からもセラスを守る様に言われているから、窮屈でも私と一緒にいてね」
「窮屈だなんて……可愛い妹とくっついていられる口実が出来て嬉しいわ」
にっこりと笑ったセラスは、サラーサの手を取った。その途端、セラスの瞳は目の前の景色でなく、どこか遠くの景色を捉えた。その様子にサラーサは、ぐっと彼女の手を強く握る。周囲にどんな目があるか分からない。今は、とにかく何でもない風を装わなければならなかった。
セラスに先見の能力がある事は、アエラスティの家族たちと王、そしてリヴェラにも告げられている。ジルベールがセラスの能力を知っているとは思えないが、あの男のことである、恐らく、リヴェラが目をかけているからというくだらない理由でセラスを妻にと欲しがっているのだろう。
「サラーサ、もう大丈夫よ」
その言葉と共に自分と焦点のあったセラスの瞳に、サラーサは気付かぬうちに詰めていた息を吐いた。
その夜、寮の最上階にあるサロンには、リヴェラとウラノス、そしてアエラスティの子供たちの姿があった。セラスの能力に触れるため、本来ならクリスタであるウラノスの同席は認められないが、どうせ分かるからというリヴェラの一言でその場に在ることを許された。
「昼間、リヴェラ様と別れてから見えた景色があります」
セラスが見たのは、これから数年の後に起こるであろう出来事だった。
ジルベールが一部の貴族たちと共に王に反旗を翻し、国を運営するための議会へ混乱を招いた。理由としては、数代前の国王が君主を務める時に導入した貴族以外の優秀な民を議会で登用する制度に異を唱えるとした。導入当時には多くの貴族たちが反対していたその制度は、代を重ねる内に反対するは少数派になっていた。その状況をひっくり返そうと焦ったジルベールたちは、善良な貴族、登用されている民や家族までを引き入れようとして強引な手段に出る。時には家族を人質に取り脅された者もあった。当然、十分な基盤を整えないままのそれは、大きな反発を呼び、失敗に終わることになる。
「セラス、僕はもうアカデミーを卒業していた?」
「分かりません。ただ、見た景色の中にリヴェラ様のお姿はありませんでしたが、お兄様の姿は見えました」
「じゃぁ、アデラールが卒業して、僕が卒業するまでの間と考えるのが妥当だね。アカデミーにいる間、すぐには国に戻れないという状況を利用して、僕の留守を狙ったのだろうけど……」
くすりと笑ったリヴェラの瞳は、そこに浮かぶ笑顔とは対照的に酷く冷たい色を宿している。
「そろそろ、ちゃんと自分の立場というものを教えてあげないといけないみたいだ。何より、僕のセラスを手に入れようだなんて……万死に値するよね」
セラスは自分がリヴェラの妃になる未来を伝えていない。それはリヴェラだけでなく家族にも伝えていない景色だ。だが、目の前で冷たい笑みを浮かべるリヴェラは、セラスを隣に置くと決めている。
敵わない、と、セラスは思う。幼い頃に見た、何の色も移さない彼の瞳を恐ろしいと思ったこともあった。だが、何時しかその瞳に映る自分の姿が微笑ばかりであることに気付いた。もう、抗うことは出来そうにない。
「もう、二度と牙を剥かないようにちゃんと抜いてあげないといけないから、皆、協力してくれるよね?」
小さく息を吐いたアデラールの姿に、同じように息を吐いたウラノスは困ったように笑った。
それからリヴェラは、アカデミーの中にいながら影たちを使い、メディウムの動向を探らせ、父王と共にその時の備えを密かに始めていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます