遠くの景色と藍の面影
沙霧紫苑
第1話
セラス・アエラスティが先見の能力を現したのは五歳の誕生日を目前にした時だった。
ある日、突然に頭の中にが流れ込んできたその景色。王妃となった自分と二人の息子の姿は、深い霧の中に佇んでいるようだった。未来は確定していない。けれど、彼らと出会う運命は定められていた。
ルーメンの東に位置するメディウムは、暁の女神と春の女神の加護を受ける海に面した豊かな国だった。民はその身に魔力を持ち、魔道具が多く使われた生活を行うのは、この国の文化でもあった。
その日、四大公爵家の子供たちが集められたお茶会の席に初めて出席するセラスと双子の妹サラーサは、兄のアデラールのエスコートでその場に足を踏み入れた。定期的に行われるそれには、王子の側近候補たちの顔合わせの意味合いも含まれている。正式に決まるのはアカデミーを卒業してからになるが、公爵家の子供たちは、このお茶会への参加と共に王のそばに侍るための教育が始まる。
「アデラール、今日は綺麗な花たちを連れているね」
「はい、妹たちが五歳となりましたので、慣例通り参上させました。セラス、サラーサ。ご挨拶をしなさい」
「セラス・アエラスティと申します」
「サラーサ・アエラスティと申します」
セラスに続き、サラーサが頭を下げるとふっと頭上で笑う気配がした。
「なにか?」
アデラールの少し冷たい声がして、セラスとサラーサは視線を下げたまま彼の様子を伺う。相手は王子なのに、こんな言い方をして罰せられないだろうかと心配になる。確かにアデラールは王子よりも年上で、彼の傍に着くと定められているが……。
「いや、アデラールが僕に紹介したくないと顔に書いていたから、君が本当に妹たちを可愛がっているのだなと思って、ちょっと羨ましくなったんだ」
「なっ……」
「二人とも顔を上げて……。うん、アデラールが隠したくなるのも分かるよ。初めまして、僕はリヴェラ、リヴェラ・レクス・メディウム。これからよろしくね」
爽やかな笑顔を浮かべたリヴェラを見た瞬間、セラスにはもう一つの景色が浮かぶ。暁の神殿でその頭上に王冠を乗せられる青年、目の前の少年の面影を残したその姿は、彼の未来だ。
「大丈夫?」
意識だけが遠くへ行く感覚から引き戻されたのは、その声と手の温もりだった。
「っ……いえ、御前で申し訳ございません」
笑顔のままじっと自分を見つめる瞳は、色を映していないような気がして少し怖いとセラスは思う。そして、何かを探るように顔を覗き込まれると、ふっとその瞳が細められた。
「気にしないで。こちらこそごめんね。許しを得る前に手を取ってしまった」
ふふっと笑ったその口が弧を描くのと、アデラールの咳払いが聞こえたのは同時だった。
「アデラールに斬られる前に僕は退散しよう。美味しいお茶もお菓子もあるからゆっくりしていくといいよ」
さっと身を離したリヴェラは、ひらりと手を振って背を向けて行ってしまった。
それと入れ違いにセラスの隣に立ったサラーサは、ぼぅっとその後ろ姿を見送る彼女に大丈夫? と声を掛けた。
「風の……ような方」
「風というより、嵐ね、あれは。それに、お兄様のそんなお顔、久々に見ましたわ」
くすりと笑うサラーサの視線の先には、苦虫を噛み潰したような顔をしたアデラールが居た。
「お兄様、他家のご令嬢たちが怯えてしまいますわ」
だが、ここにいるのは四大公爵家の子供たちだけだから横のつながりはもとよりある。アデラールが柔らかな表情を浮かべることの方が稀だと、知っている者ばかりだ。
「関係ない」
「そんなことありませんわよ。今からその仏頂面を直す努力をしませんと、お兄様の所へお嫁に来て下さる方が居なくなってしまったらどうしますの? アエラスティの血が絶えるなど、あってはならないことですのよ」
メディウムにおいて貴族は女神たちの血を受け継ぐ者と同義だった。
今はルーメンとされる五つの国は、遠い昔、中央にあるサンクティオとその周辺諸国での戦争を行った。それはやがて魔族となり果てたサンクティオ王とその軍、そしてサンクティオ王の息子率いる人々との戦いとなっていく。その戦において人々を助け、後にルーメンを加護することとなった女神たちは、安寧を取り戻したルーメンで人に下り、そこに在る人々と共に生きることにした。人と交わった女神たちの血は、その子孫に神子と加護を受ける者を生み、今もルーメンへ加護を与え続けている。
「よもや、お前に言われるとは思わなかったぞ、サラーサ。お前こそ、それを直さないと嫁の受け入れ先がなかったらどうする」
「まぁ! 女の幸せが結婚だけだと思っていらっしゃるのでしたら、その堅い頭をどうにかする方が先ですわね」
女神の、貴族の血を外に出さないとしているメディウムでは、国内の貴族たちで婚姻をするしかない。だが、それを繰り返せばいずれ立ち行かなくなる。そのため、メディウムでは婚外子を厳しく取り締まる反面、外からの配偶者を迎えることには寛容だ。それ故に様々なロマンスがあるが、同じだけの悲劇もあることは、また別の話である。
「アエラスティが優秀だということは分かっているけれど、他の子たちが君たちに近寄れないよ。それに……アディ兄様に言い返すだなんて、サラがまたお転婆になってるなんて、僕は認めたくないんだけど」
兄妹で平和とは言えない会話を繰り広げるアエラスティの子供たちを、他家の子供たちは遠巻きにしている。そこに近づいたのは、クリスタ公爵家のウラノスだった。
アエラスティが宰相として政を行う家門なら、クリスタは騎士団を率いてる武の家門だった。そして、ここには他に軍部を率い国防を担う同じく武のシオナール、魔術団を率いる魔のフルーミニスの子らもいる。
兄弟のいないウラノスは、アデラールを兄と慕い、同じ年の彼の妹たちともお茶会に出席する以前から面識があった。その場にいた誰もがこの兄妹を宥められるのは彼しかいないと思っていたが、実際には面倒事には関わりたくなかったのが本音だろう。
「レディに対してお転婆だなんて失礼ねラス。せっかくお兄様が言葉を濁したって言うのに」
「分かってるなら、問題ないだろ。いいから、そんなにうるさくしたらセラが落ち着かない。僕たちは、あちらでお茶をいただきに行こう」
反論を聞く前にサラーサの手を取ったウラノスは、テーブルが整えられている方へと彼女を連れて行った。
何だかんだと言葉を飲み込み、手を引かれるままについていくサラーサの後姿にセラスはくすくすと笑う。何時も兄を訪ねてくる彼の姿を屋敷の中に探しに行くのだから、彼女がウラノスの事を気に入っているのは明確だ。そして、その逆もおそらく。
「セラス、本当に大丈夫か?」
「はい、お兄様。ちょっと……殿下の瞳にあてられただけですわ」
「気分が悪くなったなら言え。すぐに退席すればいい」
「あら、またそんな事を仰ると、殿下に過保護だと揶揄われますわよ」
「お前まで……」
小さくため息を吐いたアデラールは、誰の目から見ても子供らしくはないだろう。それは彼に限った事ではない。ここにいる四大公爵家の子供たちは、生まれた時に神殿から『聖名』を授かる。それは何かしらの役目を持っていると表すもので、その役目の為の
次の日、武術の稽古を終えたリヴェラは自室に戻る途中、昨日お茶会が行われた中庭でその時のことを思い出していた。
セラスの瞳を見た瞬間に『欲しい』と思った。四大公爵家の子供たちは、幼いうちに何らかの能力を得る。それは家族以外に時の王のみに明かされるため、今のリヴェラは彼らのそれがなんなのかまでは知ることは出来ない。
「あの瞳には何が見えているのかなぁ」
ダイアンサスのような淡い色の瞳に吸い込まれると思った。自分を映したと同時に、その瞳は何処か遠くを見ていたあれはなんだったのだろうと考えると、リヴェラの興味を強く引いたのだった。
「今日はご機嫌ですね、殿下」
「ルキウス、アデラールの妹たちのことは知ってる?」
現大将軍の嫡男ルキウス・シオナールは、アカデミーへの入学を控えており、お茶会のメンバーからは外れている。その代わり、入学までの間は後学の為にリヴェラの護衛を任されているのだった。
「えぇ、存じておりますよ。あの男の妹君とは思えないほど、愛らしいお嬢さん方でしたね」
自分よりも少し年上のアデラールと更に上のルキウスは、互いに苦手意識を持っているらしい。始めの頃は間に立ってどうしたものかと思ったものだが、それが彼らのちょうどよい立ち位置なのだと知ってからは、そんな二人を眺めるのも楽しいとリヴェラは思うようになった。
「昨日のお茶会にいたんだけどね、セラスの瞳がとても綺麗だったんだ」
「さようでございますか。あまり不用意に近づくと、面倒なことになるかも知れませんよ。あれは妹たちを大層可愛がっておりますから」
「うん、知ってる。だから昨日も斬られる前に逃げてきた」
「なっ、アイツ!」
思わず声を上げてからハッとしたルキウスは、じっと自分を見つめるリヴェラの瞳に気付く。しまったと口を押えたその姿を見たリヴェラは、声を上げて笑う。
「あははっ、ルキウス、その方が良いや。取り澄ましてるお前より、絶対。二人の時はそうしてて」
「そういう訳には……」
「僕のお願い、聞けない?」
にっこりと笑っているがその瞳には否と言わさない強さがあって、ルキウスははぁっと大きなため息を吐くと、頷いた。
「うちの親父に見つかった時は、ちゃんと庇ってくださいよ。マジで殺されるから」
「分かったから、大丈夫。僕だって大人たちの前ではちゃんとしてるし」
何処か信用しきれないと顔に大きく書いたルキウスは、小さく息を吐いた。
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