7・幕間 王子、異国にて 1

 ぽっ、と傍らの燭台に灯りが灯った。

 顔をあげるといつの間に来たのか、ペソアの至宝とも呼ばれる大師が静かに立っていた。窓の外は橙に染まり、室内は薄暗くなっている。

「ペソアに来たせいで、目を悪くされては困ります」

 七十に手が届こうかという齢の大師は穏やかに言う。彼は僕たちに特に友好的な人物だ。素直に頷いて、

「今日はここまでにします」

 と言い、古い魔法書を閉じた。


 ペソアの王宮の奥にある図書室。古から王家に伝わる魔法書が何千とあり、本来ならば王家と大師しか入室できない。その大事な場所に僕と、僕の護衛のトップであるアンディは入室の許可を得ているのだ。

 そのことをおもしろく思わない人間は山といる。そんな中で親切にしてくれる大師は貴重な人物だ。


「アンディ」

 書架に隠れてどこにいるかわからない古馴染みに声をかける。ただいま、との返事のあとにすっと姿を見せる。彼は大師に深い一礼をして僕の側によった。

「続きはまた明日にしよう」

 彼は無言で頷く。


 昼間はペソアの王立魔法学院で学び、その後はこの図書室で魔法書を読む。それが僕の日課だ。時々大師や、既に退位し隠居をされている前国王と魔法について話し合うこともある。


 前国王は、僕の留学をバックアップしてくれている方だ。八十歳というお歳で、足腰はかなり弱まっているようだが、未だ聡明な頭脳をお保ちになられている。彼の末娘が、僕の父の最初の王妃だ。僕とはまったく血はつながっていないのだが、まるで孫のようによくしてもらっている。早世した兄の友人だったアンディは、思い出話をお聞かせしたりして、それゆえに、かわいがってもらっているようだ。


 大師は、前国王とは異なる思いで僕たちに友好的なようだ。兄の生前、その病を治すためにペソアを訪れたことがあるそうだ。


 呪いまじない魔法を元に発展した癒しの魔法。これは諸刃の剣だ。どんな系統の魔法でも、魔法が衰えてしまった現在では、大きな魔力を使った術は使うことができない。無理に使えば命を落としてしまう。だが、水・火・風ならば、無理をしてまで魔法を使うような場面がない。それに比べ、癒しの魔法は――


 例えば、擦り傷や風邪を治すくらいなら、簡単にできる。これが出血が止まらないほどの大怪我や、重い病いならば。術者は使う魔力が大きすぎて体力を消耗してしまう。ひどければ自分自身が倒れてしまう。


 けれども、人間というのは欲深い。術者のダメージが大きいとわかっていても、自分のため、あるいは大事な人のために限界を越えた癒しを欲しってしまう。


 大師がペソアの至宝と呼ばれるのは、その秘めた魔力が特別に大きいからだ。普通の人間ならけっして治せない悲惨な怪我も重篤な病気も、自分自分の命を損なうことなく治せるのだ。とはいえ全能ではない。一度強大な魔力を使えば、次に癒し魔法が使えるまでひと月はかかるそうだ。そして治せなかった病も幾つかはある。


 そのひとつが、兄の病だ。大師のお歳では往復ふた月もかかる旅程は身に堪えるだろうに、二回もシュシュノンまで足を運んで下さったそうだ。しかし兄の病が癒えることはなかった。

 そのことが大師の心に深い傷となっているのだろう。

 僕たちへの優しさは、自分への後悔から来ているのだ。



 三人で図書室を出ると、扉の両脇にアンディの部下が二人立哨していた。僕の護衛であり、僕たち二人が図書室をお借りしていることの顕示でもある。

 大師とはそこで別れ僕たちは自室へ戻る。僕の隣にアンディ、その後ろが騎士二人。


 アンディ率いる小隊は長と精鋭十名のみがペソアに滞在している。ペソア側への配慮での少人数だ。たった十一人で二人一組を作り、半日交代で僕を守っている。側にいないのは、王族と共に食事をしている時と、学園にいる間。ここではペソアの王族と同じように、専用控え室で待機してもらっている。これを夜勤もいれて十一人で回しているのだ。しかもアンディなんて、僕が秘密の図書室にいるときも、王族と食事のときも一緒だ。なかなかに大変なスケジュールだが、頑張ってくれている。


 当初の護衛役だったベテラン騎士ではきっと、図書室も食事も同席の許可は得なかっただろう。ブルトン家はこちらでも名の通った名門であり、その次期当主という肩書きがものをいったのだ。シュシュノン側にはそんなつもりは毛頭なかったのだが、極めて幸運なことだった。


 ただ、ちょっとむかつくのは。

 ほら、まただ。


 柱の影からどこだかのご婦人がアンディに手を振っている。投げキスでもしそうな勢いだ。当のアンディは、表情を変えずに軽い会釈でやり過ごしている。

 こちらに来て以降、一応彼も自制をしているようで大人しくしているのだが、ペソアの女性が彼を放っておかない。

 先日も物陰でやたら色っぽいご婦人が、彼にしなだれかかっているのを見た。


 別にうらやましい訳ではない。

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