4・幕間 騎士の秘密 2

(アンディのお話)


 人が怖くなった。不眠症になり、少年団の鍛練がある日は朝から身体が震え、食べては吐き、高熱を出した。

 だが根っからの武人である父は、俺を引きずって連れて行った。彼は俺の苦しみは、強い精神力で乗り切れるものと信じて疑っていなかった。

 少年団では不調をおくびも見せてはならなかった。少しでもそんなそぶりを見せれば、父の部下から報告が行き、精神修行という名目の過酷なトレーニングが課された。


 父は単純に、俺に自分の能力を克服してもらいたかっただけだ。今ならわかる、彼には悪意はなかった。

 けれど当時の俺には地獄の日々だった。


 俺の精神が危うい状態にあることに、フェルディナンドはいち早く気づいた。当時ですでに付き合いは四年目。少年団には彼のほうがふた月早く、入団していた。


 フェルディナンドは、少なくとも俺に対しては、裏表の差がほとんどなくて、気持ちのいいヤツだった。

 思いきってすべてを打ち明けた。

 あのときも彼は泣いた。号泣だった。

 まだ七歳だ。俺の話をすべて理解できた訳ではなかったらしい。けれど、とにかく辛い状況にいる、家族さえ敵になっている、ということは察したそうだ。


 フェルディナンドが俺のために激しく泣いてくれた。彼から流れ出す感情も俺への憐憫がほとんどで、少しだけある別の感情はなぜか自分への怒りだった。

 そのことが俺を楽にしてくれた。

 自分のことを真摯に思ってくれる人間が、ひとりここにいる、と。


 その日以降、鍛練場に入る前に必ず、フェルディナンドは何も言わずに俺の手を握りしめた。その手にどれだけ安心しただろう。

 少しずつ他人への恐怖が薄れ、症状もよくなった。

 時間はかかったけれど、なんとか自分の特異な能力を克服できたのだ。


 今でも時たま、他人の感情に気分が悪くなるときがある。けれど精神の安定を損なうほどではない。


 俺が最高責任者としてペソアへ行くということは。見知らぬ人間たちの中に放り込まれ、腹のさぐりあいをしなければならなくなるということだ。フェルディナンドはそれを危惧している。また俺が潰れてしまわないか、と。


 だが俺ももういい大人だ。そこまでの脆さはとうにない。本当はフェルディナンドだってわかっているのだ。


 彼はただ、陛下が俺をペソアに行かせることに文句を言いたいだけなのだ。本音を言えば、俺だって親友と妹の結婚式に参列したい。騎士団に入ったときに家族の冠婚葬祭に立ち会えないことは覚悟した。とはいえ、残念な気持ちは生涯けっして拭えないだろう。


「わかってる、お前が行くのが国にとっても、殿下にとっても一番いい」

 しばらくの沈黙の後に、フェルディナンドは吐き出した。彼の本心だとわかる。

「僕たちはいつかペソアに行くと約束をしたんだ。いい機会なのもわかっている」

「……お前が一緒じゃないのが残念だけどな」

「そうだな。だけど双子を置いて旅行には行けない。あいつは薄情だと怒るかな」


『あいつ』とは十五年前に亡くなった第一王子のことだ。フェルディナンドと俺は三歳のときに彼の友人にと選ばれて出会った。

 王子は身体が弱かった。癒し魔法も効果がなかったと聞いている。会うのはいつも彼の私室で、できる遊びも彼の身体に負担がかからないもの。ボードゲームやトランプくらいだった。ごくたまに、中庭の薔薇園や花園に散策に出掛けることもあったけど、彼はすぐに息を切らせたものだ。


 それでも俺たちは仲良く楽しく過ごしたのだが。王子は七歳の誕生日を迎える数日前に、静かに亡くなった。


 その王子とした約束が、いつか三人でペソアに行くことだった。彼の母親がペソア出身だったから憧れていたのだろう。だが生前、その願いが叶うことはなかった。

 王子が亡くなった七年後、母親も亡くなった。その時に、ふたりの遺髪をペソアに送り埋葬してもらっている。

 俺が今回ペソアに行けば、三人で、ではないけれど、少しは約束を果たしたことになるのではないだろうか。


 先ほどフェルディナンドが涙ぐんでいたのは俺のことだけでなく、王子との約束や昔のことを思い出したこともある。彼から流れでる感情でわかってしまうのだ。


 いつだったか、彼にこの能力が嫌ではないかと尋ねたことがある。

「嫌だね」

 と即答された。

「でも嫌だと言ったからってなくなるもんじゃないんだろう? 仕方ないじゃないか」


 そんなこんなで、もう十年も付き合っている。確実に、家族よりも密な時間を過ごしている。


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