3・幕間 王子の衝撃
(アルのお話)
よっ、と片手をあげてジョーが部屋に入ってきた。
今日はこれからぼくの出立挨拶を兼ねたお茶会がある。そのために彼は新しくあつらえたと思われる、深い緑色の上着とキュロット、アイボリーのブラウスを着ている。ただひとつ、見覚えがあるスカーフ。レティの瞳の色に近い。
急に決まった婚約なのに、意外とやるなあと嘆息する。
彼はぼくの向かいに座ると、何の用?と訊ねる。
そう、ぼくが彼を呼び出したのだ。お茶会の前に二人で話したいと。だってレティとの婚約の一件から、お互いに忙しくてまったく話していないのだ。それなのに、彼は本気で用件がわかっていないらしい。
「レティを助けてくれてありがとう」
ジョーは、そのことか、と頷いた。
「まったく、レティもお前ももっと早くに相談しろよな」
「面目ない」
妹の婚約者に厳しい条件がつけられていることも、彼女がそれを納得していることも、幼少の頃から知っていた。いつの頃からか、ジョーに思いを寄せていることも。兄としてなんとかしてやりたいと常々考えていたが、なにぶんジョーはレティを友達としか思っていない。
もう少しジョーが色恋に目覚めたらと様子を見ていたのだが。
自分が留学の準備で忙しくしている間に、状況が激変していたのだ。宮廷の高官と大臣たちしか知らないことだったので、慌ててフェルとアンディに助けを求めたのだった。ジョーがこのことを知ったらどんな反応をするかみてほしい、と。
二人はぼくにとって兄のようなものだ。実際、早くに亡くなった兄の友人だったらしいし。
それにしても、ジョーの反応は予想外だった。自分から、レティを助けるために婚約すると立候補したのだから。あくまで義憤と友情からのようだけど、今日というめかしこむ日に、わざわざレティの瞳色のスカーフをしているのだ。多少は彼女を意識してくれているのではないか。
「でも、どんな話をしたんだ。レティは強情だからね。ジョーを巻き込みたくない思いは強かっただろう?」
そうだな、とジョーはため息をついた。
「友達だろう。そういう問題じゃないのにな。俺に迷惑はかけられないって泣くんだ。あいつが泣くのなんて、ヴィーの件以外で見たことがない」
それはぼくもだ。
「で、どう説得したんだよ」
彼女に聞いても、顔を赤くするばかりで教えてくれないのだ。
「キスして、俺が唾つけたから、もう俺しか選べないよって言ったら素直に受け入れた」
「はあぁっ!?」
なんてことない顔をしているジョーに、動転する。
「え、な、何してんの。もう手を出したの? キス? 唇に?」
「そう。いいだろ、それくらい。丸く収まったんだから」
いや、おい、待て。
「待て待て」
思わず頭を抱える。まさか、ジョーに先を越されるなんて! 色恋に興味のない奴だからとあなどっていた。
いや、先が勝ちなわけではないが。
いや、勝ちだ。
くそっ。
「ど、どうだった?」
「何が?」
「……キス」
「レティが真っ赤になってかわいかった」
「いや、そうじゃなくて……」
感触とか、感想とか……
って、くそっ。
「いや、いい」
ぼくは悔しさを呑み込んで、平静をよそおう。ふと侍従と目があった。その眼差しに、憐憫がみてとれる。
くそっ。
侍従の視線が痛いので、話題を変える。
「ヴィーとミリアムにはお茶会で伝えるのだろう?」
ああと彼は頷く。この三日ほど、会えていないと聞いている。
「驚くかな?」
「驚くよ」
双子もぼくと同じく、レティの気持ちは気づいているけれど、ジョーにはその気がないと思っているはずだ。どんなに仰天するか見てみたいけれど、きっと無理だろう。今日の招待客はいつもの数ではないのだ。
「今日は二人のこと、よろしく頼むよ」
それなあ、とジョーは言いながら顎をなでた。
「何かあったか?」
彼は、うーん、と唸ったきり何も言わない。そしてようやく口を開いたと思えば、
「俺たち、来年には入学だな 」
と言った。そうだねと頷き返すと
「いつまでも今のままって訳にはいかないんだよな」
と真剣な面持ちだ。
「……だからこそ、ぼくも留学を決めたんだ」
「そうだったな。お前の決断は尊敬する。気をつけて行ってこいよ」
もちろん、と首肯する。ぼくだって本音を言えば留学なんてしたくない。一年も幼なじみたちと離ればなれだなんて、つまらない。それも子供でいられる最後の一年だ。けれど、ぼくにだって矜持はある。
「ああ、そうか」
ジョーはにやりと笑った。
「お前、俺に先を越されて悔しいのか。キス」
「!」
唐突に確信を突かれて、顔に出てしまった。ジョーは更にニヤニヤ笑った。
「悪いな」
「っ! 別に。気にしてないし。ていうか、お前がそんなに手が早いとは思わなかった」
そうだ。ジョーはレティだけじゃない。女の子全般に興味がなさそうに見えたのに。いやでも、黙っていればそう見えるのに実際は……って奴をひとり知っているぞ。こういうタイプほど、危ないのか。
ジョーは少し考えていたが、
「かわいかったから?」
と疑問形で答えた。なんだそれは。レティをかわいいと意識してもらえるのは、進歩と喜んでいいのかもしれないけれど。兄としては、
「助けてもらってなんだが、レティを泣かせるなよ」
釘を刺しておかねばならない。しかしジョーはまた首をかしげて、考える様子だ。そして。
「いつもしっかりしているレティが泣いてるのは、かわいい。また泣かせたい」
「おいっ」
唖然とする。ジョーは真顔。本気で言っているのだ。何か変なスイッチでも入ったのか?レティの好意にすら気づかない天然だと思っていたけれど、本当は肉食系S気質だったのか。
「わかってる、泣かせたりしない」
ぼくの顔を見て、首を竦めてそう言ったけれど、これは安心できない気がする。
「傷つけたら、絶交するよ」
「大丈夫だって」
なんでだろう、全然そんな気がしない。
どこか普段と異なるように思えるジョーを、むぅとした思いで見ていると。
「仕方ないだろ、そう思ったのは事実だから」
しれっと言いやがったよ。
盛大なため息がもれる。
「もしやぼくは、まずい選択をしたのか?」
「知るか」
レティだってジョーがこんな奴だとは、露ほども思っていないはずだ。
侍従がそろそろ中庭に向かう時間だと告げる。仕方ない、追及はまた今度だ。
他愛もない話をしながら、期せずして一歩先へ進んだ幼なじみを観察する。今回のレティとの婚約は、本当に男前でかっこよかった。母や侍従たちも、彼の対応に一目置いたくらいだ。
長い付き合いなのに、意外な一面を隠し持っていたんだなあ。
そういえば。
キスして、唾つけたからもう自分しか選べないよって。ちょっと強引な感じがかっこいい気がする。
いつかぼくもやってみたい。
いや、ジョーの真似だとばれるかな。
うーん。
それにしても、本当に、まさか、ジョーに先を越されるなんて。
くそっ!
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