3・ 2 七歳

 わたしはフリスビー事件より前に、一度、死にかけている。

 まったく記憶にないので、聞いた話なんだけどね。

 七歳の、季節が春から夏に変わろうかという頃。原因不明の高熱で、七日七晩生死の境をさ迷ったそうだ。幸いなことに一命はとり留めたけれど、どういった訳か、記憶をなくしていた。

 自分、家族、友達、使用人たち。そんな大事なこともすべて、わからなくなってしまった。


 周囲の懸命な努力と深すぎる愛情のおかげで、なんとか自分がヴィーという少年であること、ミリアムやフェル、父様母様が家族であること、アル、レティ、ジョー、ついでにアンディが友達であることなどを、実感できるようになった。


 けれど今でも、記憶を取り戻すことはできないままだ。


 でもさ、七歳より前の記憶って、普通でもそんなにないものじゃない? 前世のわたしだって幼稚園のころの記憶なんてほとんどないよ。

 だからまったくわたしは気にしていないんだけどさ。みんなの方が深刻に捉えているんだよね。


「そういえばさ」わたしは努めて明るい声を出した。「子どもお茶会って、愛称で呼ぶのはダメなんだろう? 正式名で呼び会おうよ」


 実はこっそり憧れていたのだ。この正式名呼びに。なんか大人になった感じがするじゃない。ヴィーの中身は大人のわたしだけどさ。そういうことじゃない。

 けれど三人は視線を交わしたあと、わたしを見て宣言した。


「ぼくたちは構わないんじゃないかな。今更不自然だよ」

 なんですって?

「そんな。楽しみにしてたんだよ」

「じゃあヴィーはそうしていいよ。ぼくは今まで通りにするけどね」

 じゃぁわたしたちもとレティ、ミリアムが追従する。

「……ヴィットーリオって呼ばれたい……」


 なんで?と三人揃って首をかしげる。本気で不思議そうだ。

「その方が大人っぽいじゃないか」

「まあ、ヴィー。そんなことに拘らなくても、十分大人っぽいじゃない」

 いつにも増して、ばいんとした胸を強調しているミリアムに言われてもなぁ。

「今日のあなたは本当に素敵よ。妹として鼻が高いわ」

「何を言うんだ。鼻が高いのはぼくのほうだ。君は薔薇の精のように美しく威厳があるよ」

「あら。ヴィーこそまるで月の精のようよ。真夜中、静かな海の上に浮かぶ孤高の月よ」


「……ぼくはこの辺りで失礼するよ。申し訳ないけれど、他の方たちの所にも回らないといけないからね。ミリアムとヴィーの美しさについては、明日じっくりと聞くよ」

 アルは立ち上がると首を巡らせ、それから片手を挙げた。

 すぐにジョーがやって来た。華麗なるスイッチだ。


 二言三言、言葉を交わしてアルが去り、ジョーが座る。


「ねえ、ジョー。ぼくたち、名前で呼びあわないか」

「いやだ」

 うわー、真顔で断られてしまったよ。

「ヴィーの名前って長いし発音しづらい」

「地味にショックなんだけど」

 またしても撃沈しました。そんなに面倒な名前かな。ヴィットーリオって。でもわたしもフェルのことをフェルディナンドって呼んだことないや。長いから。

「わかったよ。諦める」

 わたし、敗北しました。


 それからしばらくの間、ケーキをつつきながら談笑していたけれど、わたしはどうにも落ち着かなかった。なんとか他の子たちと話してみたい。他の子たちも遠くからこちらをちらちら見ているんだ。興味は持ってくれているはず。

 思いきって切り出してみる。


「ねえ、ミリアム。少し、庭園を見て回らないかい?」

「いいわね」

「それで……他の子とも話してみようよ」


 途端に彼女の顔が強ばる。


「その、さ。ぼくたちの世界は狭すぎると思うんだ」

「嫌よ」

 彼女はふるふると首を横に振った。そんな仕草も愛らしい。

「わたし、他の人は怖いわ。宰相の娘というだけで、お愛想を言ったり影で悪口を言われたり妬まれたりするのよ。安心できるのはレティやジョーたちだけよ」

「そうよ」とレティが加担する。「ミリアムが繊細なこと、ヴィーだって知っているでしょう? 無理強いはよくないわ」

「そんなつもりはないよ」


 けれどミリアムが繊細なのは、わたしたち以外の外の世界についてだけで、普段はけっこう豪胆なんだ。口も達者だし、ハートも強い。だってわたしはミリアムには勝てないもの。アルやジョーだってそうだ。彼女はたとえ妬まれて嫌がらせされても、きっちりお返しができそうだと思うんだけど。


 でもこのやり取りは、もう何度となくしてきたんだ。今までわたしの意見が通ったことはなかった。けれど今日は周りの状況が違う。負けるな、わたし。


「ねえ、レティ、ジョー。君たちは知り合いも多いよね。全員じゃなくていいから、せめて紹介くらいしてよ。君たちの友達に会ってみたいんだ」

 ふふふ。今までは『いつかね』『今度ね』とかわされてきたけれど、今日はそうはいかない。

 二人は顔を見合わせた。

「確かに知り合いは多いわ。でも、友達と言えるのはあなたたちだけよ」


 て、手強い。いや、まだまだ想定内。


「ねえ、ミリアム。いくら他の子が怖いと言ったって、来年には学園に入学するんだよ。ぼくたちが同じクラスになれるとは限らないし、今のうちに少しは慣れなきゃ」

「いいのよ。必要ないわ」


「あら、忘れていた」レティがポンと手を打った。「わたくし、みんなと一緒に来年入学することになりましたのよ」

「ええっ」

 ミリアムとわたしは声を揃えてレティを見た。来た、ゲーム設定だ!

「王族は色々面倒だから、在学期間が短くなるようにアルとわたくしをひとまとめにするのですって」


 面倒って。ずいぶん適当な理由だったのね。女子二人はキャッキャと喜んでいる。これはまずい。話を戻さないと。


「あとね」

 わたしより先にレティが口を開いた。なんだか頬が赤い。

「正式には週明けに発表になるのだけれど、ジョーと婚約をしましたの」

 来たよ来たよ、更にゲーム設定が来たよ!

「まあ、おめでとう」

 ミリアムは自分のことのように嬉しそうだ。でも、ダメ、これはフラグだよ! うなるとは分かっていたけど、やっぱり焦るよ。


「本当におめでとう」わたしはジョーを見る。「いったいいつの間に話がまとまったんだい?」

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