第42話 反則級の笑顔
「フハハハハハ! タダ飯ほど美味いものはない! そう思わんか鏑木!」
「……俺は正直思いませんね」
別にタダ飯を嫌っているワケではないが、相手や状況次第では遠慮や貸し借りの意識が芽生えやすいため、個人的にはあまり美味いとは感じられない。
そういったことを一切考えず遠慮なく奢られるタイプの人間もいるので、こればかりは性格によるとしか言えないだろう。
正直、細かいことをは気にしないシンプルな思考を羨む気持ちはある。
ただ、それ以上に妬みや反感といった感情の方が強いため、そういったタイプとは相容れない――と思っていた。
今となってはそれを少し微笑ましく感じてる辺り、俺も随分と変わったものだ。
……とはいえ、それでも流石に嶋崎先輩のことを微笑ましいだなどとは全く感じない。
というか、そもそも嶋崎先輩相手に飯を奢ることなど普通ならあり得ない。
だから当然、今日俺が嶋崎先輩に飯を奢ったのは理由があってのことだ。
「それに、これはタダ飯なんかじゃありません。正当な対価ですよ。今回も、本当に助かりました」
「……フン! 前にも言ったが、アレは俺の趣味であり、我が研究会の活動により自動的に取得された産物に過ぎん。俺自身は何もしていないのだから感謝されるいわれはない!」
「じゃあ、奢りはなしにしますか?」
「それは断る! 感謝するいわれはないが、タダ飯は遠慮しないぞ!」
無論、感謝の気持ちは本当なので、これはあくまでもただの冗談だ。
相変わらず本気で言ってるのか照れ隠しで言ってるのかわからないが、こういう部分が嶋崎先輩の憎めない部分でもある。
あの貼り紙事件のあと、俺と柏木は学生生活課に相談に向かったが、残念なことに犯人の割り出しは難しいということだった。
理由は単純で、電子掲示板付近に学校側が設置している防犯カメラが存在しなかったためである。
昨今の中学高校ではほとんどの学校に防犯カメラが導入されているが、大学のような敷地の広い場所ではその数に制限があることが多い。
それはつまり、監視に穴が多いということである。
特に人の目が多い場所は優先度が低いようで、今回はその条件に引っかかてしまったようだ。
もし犯人がそれを見越していたとしたら中々侮れないが、恐らくは偶然と思われる。
そう考える理由はいくつかあるが、まず第一にカメラの設置条件は結局のところ学校次第であるため、完全に推測することは不可能だからだ。
今回は偶然にも監視対象外だったが、電子掲示板という一応精密機器に類する備品への悪戯を危険視するのであれば、カメラが設置されていたとしてもおかしくはない……と俺は思う。
完全に学校の防犯カメラの位置や角度を熟知しているのであれば話は別だが、それなら逆に今回の行動はあまりにも迂闊過ぎる。
……もし犯人にそんな知識や警戒心があったのであれば、少なくとも別途設置されていたカメラにも気づけたハズだろう。
嶋崎先輩が会長を務める映像研究会は、大学から正式に許可を得て学内の数十か所に定点カメラを設置している。
目的としてはよくある加速した映像を作ることだが、意図的に大学側で補えていない箇所の監視の役割も果たしている。
当然それを個人の目的で利用するのはプライバシーの侵害など個人情報保護法に抵触する恐れがあるが、所有権のある映像研究会と大学が確認するのであれば何も問題無い。
……のだが、嶋崎先輩はこの辺の扱いがかなり際どく、行動が法に触れる一歩手前なためアチコチから危険視されている。
しかし、そのお陰もあって無事犯人を特定することができた。
本当であればこの時点であとは学生生活課や警察に任せるのがベターなのだが、
犯人――
非常に厄介な性格をしており、目障りな者を男を使って排除しようとするため、ある意味柏木以上にタチの悪い女と言えるだろう。
幸い、同じように男を囲っていた柏木には中々手が出せなかったようだが、結果的に以前沼田がターゲットにされたことがある。
それを阻止したことで俺は停学になり、実行犯の男達は全員退学となったが、関係性を証明できなかった楠木だけはその難を逃れていた。
しかし、その後も反省した様子はなく、ミスコン2位だった4年生が卒業してからは柏木にターゲットを絞り細かな嫌がらせを続けていたらしい。
ただ、そういった行為に慣れていた柏木はほとんど相手にしていなかったようだ。
今回の件は、そこから生まれた憎悪と執念により、あの画像の持ち主まで辿り着いた結果発生したと言えるが、実はもう一つだけきっかけが存在した。
それを問いただすために、俺は楠木を締め上げたのである。
「……沼田は元気にしてたか?」
「……声しか聞けてませんが、恐らく」
犯人が楠木だとわかり、嫌な予感がした俺は、大学に来ていなかった沼田について学生生活課に尋ねた。
恐らく普通なら答えてくれなかったと思うが、事情が事情だけに何かを察したのだろう。あとでこっそりと事実だけ教えてくれた。
……沼田は、今年の初めには既に大学を辞めていたそうだ。
楠木が言うには、脅しこそしたが
そしてその成功体験から調子に乗り、柏木のことも陥れてやろうと計画を立てたのだそうだ。
……それを聞いた瞬間、俺は本気で楠木の顔面を粉砕してやろうと思った。
しかし、それをしてしまえば、沼田が大学を去ってまで穏便に済ませようとしたことが無意味になってしまう。
沼田は以前から俺に負い目を感じていたようだし、俺がまた手を出せば沼田は増々苦しむことになるだろう。
そう考え、俺がなんとか怒りを鎮めた頃には、楠木は小便を漏らして気絶していた。
手を出した感触はなかったので、もしかしたら俺の形相を見て恐怖に耐えきれなかったのかもしれない。
その情けない姿を写真に収め沼田に送りつけてやろうかと思ったが、逆に沼田から軽蔑されそうなのでやめておいた。
「ま、元気そうなら何よりだな!」
その後沼田に、事の顛末と、柏木に対する想いを簡潔にまとめてメッセージで送ったところ、沼田からすぐに電話がかかってきた。
沼田は「アンタ、やっぱり馬鹿でしょ?」と言ってから、「でも、ありがとう。正直……スカッとした!」と笑った。
久しぶりに聞いた沼田の声は本当に今までと変わらず――いや、むしろ何かを吹っ切れたかのような明るさすら感じたような気がする。
そして沼田は最後に、「ちゃんとあのバカ女の面倒、みてあげなさいよ? ……じゃ、
沼田が大学をやめてしまったことに対する悔しさや悲しさは未だ拭えないが、最後の会話はいつかの再会を期待させるもので、少しだけ救われた気持ちになれたと思う。
「あ! 一誠先輩! ……と、嶋崎先輩もこんにちわ!」
少しして、講義を終えた柏木が食堂にやって来る。
今まで柏木が食堂に来る際は必ずその周囲に何人もの男を侍らせていたが、どうやらあの柏木ファンクラブも解散となったようだ。
それにしても、相変わらず嶋崎先輩に対する扱いが悪い気がする。
一応今回多大な協力を得たことは説明したのだが、それでもこの扱いというのは少し可哀そうな気がしないでもない。
……まあ、以前はほとんど無視していたことを考えると、大きな進歩のようにも思える。
「柏木、昨日も説明したが、嶋崎先輩には今回多大な協力をしていただいたんだ。ちゃんと礼をしろ」
「鏑木! だから感謝などいらんと言ってるだろ! ……ただ、マドンナがどうしてもと言うなら、俺に大好きと――」
「すいません! それは一誠先輩専用ボイスなので無理です! でも、本当に感謝はしてますので、ありがとうございますごめんなさい!」
「……おい鏑木、何故俺が自動的にフラれなければならないんだ」
「……強いていうなら、日頃の行いかと。柏木、せめてもう少し言葉を選べ」
完全に嶋崎先輩の自業自得ではあるのだが、そこは少しでいいから飲み込んで今だけはソフトな対応をしてもらいたい。
「だってぇ、今の私は一誠先輩一筋ですし、勘違いさせても悪いじゃないですか? 一誠先輩も嫉妬しちゃうかもしれませんし」
「嫉妬などしない」
相手はあの嶋崎先輩だぞ? 流石に嫉妬など――
「じゃあ、嶋崎先輩のこと大好きって言ってもいいんですか?」
「……」
想像してみたら、少し不快感があった。
なんだこの敗北感は……
「うふふ~♪ 私もう気付いちゃってるんですよ? 一誠先輩が即答できないときって、正直に答えたくないときだって♪」
……別に隠してるつもりはないが、まあ図星である。
俺は基本的に嘘をつかないが、正直に言いたくなときは黙る癖があるからだ。
「……確かに、想像したら少し不快感があった。しかし、本当に少しだぞ」
「もう! 一誠先輩ったら可愛い! しゅきしゅき!」
コイツ……
以前は惚れた者負けのようなことを言っていたくせに、いざ負けを認めたら遠慮がないな?
「……一誠先輩、私もう一つ気付いたことがあるんです。前に、恋愛は惚れたら負けって言ったじゃないですか? ……あれ、嘘でした」
「っ!」
柏木がそう言って浮かべた笑顔――、それを見た瞬間、俺は無表情の仮面を保つことができず目を見張るしかなかった。
「だって私――、今が人生で一番幸せですから!」
自分で言ったセリフが恥ずかしかったのか、柏木はそのまま背中を向けて走って行ってしまった。
――そしてそれが、俺が見た柏木の最後の笑顔だった。
「……あの、嶋崎先輩、変なアテレコをするのやめてもらえますか?」
「うるさい! 俺を出汁にしてイチャイチャするお前らが悪いんだろ!」
不穏なアテレコをする嶋崎先輩にツッコミを入れつつも、俺は強い幸福感と敗北感に苛まれていた。
いや、だってあの笑顔は反則じゃないか?
俺は今度こそ本当に、柏木に堕とされてしまったのかもしれない……
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