第40話 私の恋は、ここで終わるんだ……



 講義室に着くと、予想通り入口の前に多くの学生が集まっていた。

 ……どいつもこいつも、先程電子掲示板の前にいた奴等と同じような表情を浮かべている。

 柏木の自業自得と言える部分も大いにあるが、それを差し引いても不愉快だ。



「一誠先輩……」


「ん? ……ああ、すまない」



 どうやら、また感情が表情に出ていたらしい。

 柏木と関わってからというもの、どうにも無表情の仮面にヒビが入りやすくなってしまった気がする。

 少なくとも柏木と直接関わるようになるまでは、たとえ不愉快だと感じていても渡瀬に悟られるようなことはなかったというのに…………



「っ!?」



 そう考えた瞬間、柏木と初めて接触したあの日のことを思い出す。

 あの日俺は、男をはべらせ当たり前のように飯を奢らせている柏木に対し、間違いなく不快感を感じていた。

 そして、そんな俺を見て渡瀬は「気づかなかった」と言ったハズだ。


 ……笑える話だ。

 あの頃の俺は間違いなく柏木のことを不愉快に思っていたし、嫌っていた。

 だというのに、今の俺はその柏木に向けられている悪意や好奇の視線を不愉快に感じているのだ。

 それも、無表情の仮面を保てないほどに、強く……



 あれから俺と柏木の関係は変化したが、柏木自身はほとんど何も変わっていない。

 俺や渡瀬と付き合うようになって多少行動や人付き合いに変化はあったかもしれないが、持ち前のポジティブで明るい性格や、色気や愛嬌を振りまき男に媚びる態度は出会った頃のままだ。

 ……つまり変わったのは、俺の印象だけなのである。

 いつの間にか俺の中で、『柏木 智』という存在が大きくなり過ぎていた。



 そう自覚した以上、ここで立ち止まっている理由はない。

 しかし、講義室内に踏み込むべく一歩踏み出した瞬間、それを阻止するかのように手を掴まれる。



「……渡瀬」


「っ! え、えっと、その、違うんです! これは、止めたいとか、行かないでとか、そういうつもりじゃなくて……」



 そう言ってあたふたとしていた渡瀬は、段々と涙目になり、ほとんど半泣き状態で唇を噛みしめた。



「……一誠先輩、智ちゃんのところへ行くのなら、覚悟を決めてください」


「覚悟?」


「はい。智ちゃんの……、責任を持つ、覚悟を……」


「……」


「今の智ちゃんに声をかけるのは、そういうこと・・・・・・ですから」



 そういうこと……、確かにその通りだ。

 そしてその覚悟は、柏木の元へ向かおうとした瞬間にはできていたと言っていいだろう。

 しかし、であればこそ、俺はまずケジメをつけるべきであった。



「渡瀬」


「っ!」



 振り返り、正面から見据えて名前を呼ぶと、渡瀬はビクリと肩を震わせた。

 ……どう見ても気弱な女子にしか見えないのに、不思議なものだ。

 俺を引き留めるのだって、かなり勇気がいっただろうに……



 止めるつもりはないと言ったが、渡瀬にはその権利が十分にある。

 何故ならば、俺は渡瀬の告白に対し、何も言葉を返していないからだ。


 そして恐らくだが、俺が動き出す前からその・・覚悟を決めていたのではないだろうか?

 ……やはり女は出産という激痛に耐える必要があることからも、根本的に男よりも精神面で強く作られているのかもしれない。



「覚悟は、できている。だから渡瀬……、すまない・・・・


「~~~っ! は、はいっ……、智ちゃんを……、宜しく、お願いしますっ……」


「……ああ」



 渡瀬は一瞬顔を歪めたが、それを隠すためか深く頭を下げた。

 ……自分を慕う女子を泣かせたのはこれで二度目だが、以前より胸が痛むのは俺が成長したからか、それとも――





 ◇





「柏木、座るから一つずれてくれ」



 講義室の一番左隅にポツンと一人で座っていた柏木に声をかけると、「こいつマジか?」みたいな顔をされてしまった。

 この状況でまさかこんな顔をされるとは思っていなかったが、柏木らしいと言えば柏木らしい……のか?



「……ああ! なるほどなるほど、まあ一誠先輩には色々話してますからね。アレを見ても別に今更って感じなんですかね? ドウゾドウゾ」



 柏木はそう言って横にずれ、席を譲ってくる。

 大学だとゼミ以外で柏木の隣に座る機会はないので、少し得……などとは到底思えず、今はむしろ呪われそうで少し怖い。



「あ、見た前提でしたけど、……見ましたよね?」


「見た。ついでに全て剥がしてきた」


「っ!? へ、へぇ~? 流石一誠先輩ですね! 男らしいな~♪」



 柏木は普段通りに振舞おうとしているようだが、目が泳いでおりいつもの切れ味がない。

 まあ、自分で自分の過去を語るのと他人に晒されるのでは大きな違いがあるため、無理もない話だ。


 ちなみに、回収したカラープリントは廃棄せずに全て残してある。

 内容から犯人を特定できる可能性もあるし、後々証拠として使える可能性もあるからだ。

 ただ、当然元データは存在するハズだし、もしそれをネットか何かで手に入れたのであれば、特定するのは難しいかもしれない。

 やはり確実なのは監視カメラなどのデータになると思うので、どこかに映っていることを期待するしかないだろう。



「……心当たりはあるのか?」


「……そりゃあ、ありますよ。一誠先輩には、私がどんな生き方してきたか話したじゃないですか」


「そうじゃない。あの画像自体の心当たりだ。たとえば、アレが学生時代に出回ったことがあるとか、脅された過去があるとか――」


「あ、そういうことですか。……それが、実はないんですよね。私がビッチなのは周知の事実でしたけど、それで停学になったとかニュースになったこととかは一度もありません。もちろん、脅されて性奴隷になってたこともないですよ?」


「……」



 性奴隷云々はともかくとして、証拠画像を撮っておいてそれを利用しないということは考え難い。

 しかし、柏木に実害が出ていないのであれば、少なくとも柏木を貶めるために利用されたのではないと思われる。

 考えられるとすれば、学校の裏サイトで晒されてはいたが表には出てこず、柏木もそれを認識していなかった――、いや、これは流石にないか?

 もし一部の生徒の間で共有されていたのであれば、ほぼ間違いなく柏木になんらかの実害があったハズだ。



「確認だが、あの画像は柏木の高校時代のものか?」


「まあ、多分そうですね」


「……高校時代の話はちゃんと聞いたことがないと思うが、相変わらずイジメられてたのか?」


「中学時代よりかは大分マシでしたけど、やっぱり嫌がらせの類は結構ありましたね~。でも、ご存じの通り手は打ってましたし、高校には私以外にも発育が良くてそれなりに可愛い子はいましたから、私だけにヘイトが集まるようなことはなかったです」



 ……となるとやはり、あの画像は柏木を陥れるために用意されたものではないような気がする。

 嫉妬や、ライバルを蹴落とすために個人的に撮影し、柏木を好いている男に現実を見せるため利用した――という可能性もなくはないが、それなら晒すなり学校に報告するなりする方が効果的だし、恨みや憎しみがあるのであればその方が爽快感があったハズだ。



「……あれらの男が教師という前提で聞くが、何か急に様子が変わったりしたことはなかったか?」


「教師なのはあってますけど、何でそれを知って…………ってえぇ!? もしかして、そういうことですか!?」


「あくまでも想像だが、多分な」



 あの画像は恐らく、教師を脅すために使われたのだと思われる。

 あんな画像を撮影しておいてを柏木を標的としないのはどう考えても不自然……、となると目的は何だったのか?

 そんなことは深く考えるまでもないだろう。


 晒すという行為は実際のところ晒す側にもリスクが生じるため、ある程度リスクマネジメントのできるタイプの人間なら普通は避ける選択肢である。

 そういった行為を躊躇ためらいなくするのは、想像力の足りない愚か者だったり、強い恨みや憎しみ、そして正義感を持っている者がほとんどだ。

 これを前提とすると、当時この件が表沙汰にならなかった時点である程度犯人が慎重だったことが推察できる。


 晒し行為にリスクが発生しやすい最大の理由は、当事者以外の多くの人間が介入してくることだ。

 人の考え方はそれぞれ違うので、関わる者が増えれば増えるだけイレギュラーが発生しやすいからである。

 特に柏木の場合は見た目だけで擁護するような者が出てくる可能性があり、学生という立場から考えても被害者扱いになってしまう――なんてことは十分にあり得る。


 それに比べれば、一対一で脅す方がリスクは遥かに低いと言えるだろう。

 関わる人数を絞り、かつ無理な要求をしなければ「取引」として成立しやすいからだ。

 特に教師の場合、最悪の場合人生が終わりかねないため、不祥事はなるべく穏便に対処しようとする傾向にある。

 卒業までの時間制限、生活を脅かさないレベル……などの緩い条件を設定すれば、要求を通すことは容易たやすいのではないだろうか。



「でも、私って上京組ですし、絶対地元の子なんてこの学校にいませんよ?」



 柏木は他県から上京してきたくせに、わざわざウチのような東京の端にある五流大学に入学した。

 普通であれば、上京してまで入学する大学というのはそこそこ有名な都会の大学であることが多いので、この時点でかなり特殊なパターンだと言える。

 絶対にないとは言えないが、柏木の言う通りその可能性はかなり低いだろう。



「俺もその通りだと思うが、ネットを使えば距離は関係ないからな。画像を入手するだけであれば不可能とは言い切れない」



 入手方法については不明だが、実際に画像は存在しているのだから手に入れる方法があったと考えるしかないのだ。

 どの道、現段階では推測くらいしかできないのだから、入手方法を知りたいのであれば犯人を特定して吐かせる方が確実性が高い。



「……まあ確かに、アリエナイだなんて言ってもしょうがないですよね。実際、誰かが撮影していたからあんな画像が存在しているワケですし。……あ~あ、でもこれで、流石の一誠先輩も私を尻軽のビッチだって確信しちゃいましたよね?」


「いや? 俺は柏木にそんな度胸はないと思っているぞ」


「っ!? なんっ……、もしかして、ア、アレを見てもまだ私が処女とか信じてるんですか!?」


「違うのか?」


「ちが……、わない、ですけど……。一誠先輩、私が言うのもアレですけど、あんな画像を見てまだ私のことを信じるとか、現実から目を背けているアイドルオタクと同じだと思いますよ?」



 酷い言われようだが、確かに贔屓目はあるので本質的には似たようなものかもしれない。

 ただ、俺は実際にこの目で見て柏木をそう判断しているのだから、少なくともアイドルオタクよりも解像度は高いと言える。



「それは少し違うな。何故ならば、俺は現実の柏木を見て、触れたうえで確信してるからだ」


「~~~~~っ!」



 俺がそう言うと、柏木は明らかに動揺した様子でこちらに顔を向ける。

 話している最中は俯き気味だったので気付かなかったが、よく見るとその目には少し涙が浮かんでいた。


 あんな状態で、よく声色を変えずにいられたものだ。

 ……本当に、大したヤツだと感心する。



「……一誠先輩、弱っている女の子に甘い声をかけるのは、その、ズルですよ?」


「別に俺は甘い言葉をかけたつもりなどないが、真剣勝負・・・・において相手が弱っているところを狙うのは定石だろう」



 目を見てそう返すと、柏木の瞳からダムが決壊したかのようにボロボロと涙がこぼれだす。

 それを隠すためか、柏木は慌てたように俺の腰に抱きついてくる。

 しばらくそのままの状態で嗚咽を漏らしていたが、何を思ったのかいきなり俺の脇腹をつねってくる。



「っ! おい、流石に痛いぞ」


「痛く、したんです~!」


「……何故だ」


「悔しいからですよ!」


「いや、何が悔しいんだ」



 俺がそう尋ねると、柏木はさらにつねる力を強めてくる。

 マジで痛いのだが……



「負けたからですよ! 負けましたぁ! 私の負けですぅ! もう無理! 一誠先輩のバカ! 好きですよ! 好き! 大好き! これで満足ですか!?」



 そして柏木はヤケクソ気味にそう言ってから、俺の脇腹に噛みついてきた。





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