第39話 虫唾が走る
長い春休みも終わり、再び大学生活が始まる。
俺はなんとか進級要件を満たし、4年生になることができた。
ただ、単位がギリギリなことは変わらないため、4年生になっても引き続き講義は取らなければならない。
同級生の多くが休んだり就活しているのに、自分だけ講義を受けに登校していると思うと少し複雑な気持ちにはなるが、元々同級生に親しい人間はほぼいないため大した気負いはない。
そもそも、本来であれば停学や休学をした生徒は留年が確定となるところを、情状酌量の余地があるということで特例として免除してもらった身だ。
4年で卒業できる可能性があるだけ、大分恵まれていると言えるだろう。
それに、3年の柏木や渡瀬とは講義が被ることもあるハズだ。
……いや、旅行の際にどの講義を取るか聞かれたので、わざわざ被せてくる可能性が高い気がする。
正直悪い気はしないが、今後どう接していけばいいものやら……
あの旅行で二人に俺の整体及び指圧のフルコースを体験させたせいか、色々なことに変化が生じた。
まず共通して俺を見る目が明らかに変わったこと、そして何故か二人とも一誠先輩と呼び方が変わったことだ。
春休み中は何度か二人の買い物などに付き合わされたのだが、名前を呼ばれるたびに変な気分になるので勘弁して欲しい。
それに加え、柏木はスキンシップが控えめになった代わりに、付かず離れずの距離でモジモジしていることが増えた。
過剰な接触が減ったことは精神衛生上大変宜しいのだが、ファッションビッチとは思えぬ
そして渡瀬はと言えば、何故かより一層後輩ムーブが増えた。
いや、後輩というより弟子の方が近いかもしれない。
というのも、初めて受けた整体と指圧に感動したのか、俺に教えを乞うようになったのだ。
どうやら父親にも同じ感動を味わってもらいたいらしく、本格的にマッサージ技術を学びたいらしい。
もしかしたら、指圧により渡瀬の中の変なスイッチを押してしまったのか……?
正直俺も酔っていたので、悪ノリした感が否めない。
もし誤って怪しい秘孔を突いていたとしたら、資格はく奪レベルの大失態である……
ただまあ、告白された身としては少し肩透かしを食らった気分ではあるのだが、変に意識したりしないでいい分助かった気がしないでもない――とポジティブに考えておくことにしよう。
どの道俺に女心を理解するのは不可能なので、渡瀬に何か別の意図があったとしてもどうしようもない。
(ん……?)
休講がないか確認するため校舎に入ったところ、電光掲示板の前に妙な人だかりができていた。
もしかしたら本当に休講があったのか――と思ったが、どうも様子がおかしい。
普通ならもっと嬉々としたり途方に暮れるような雰囲気になると思うのだが、そこには明らかに負の感情が渦巻いていた。
怒り、悲しみ、嫌悪――
多くの生徒が、そんな表情を浮かべていた。
「一誠、先輩……」
「っ! 渡瀬か」
背後から呼びかけられ、一瞬体が硬直してしまう。
異様な雰囲気に呑まれたせいか、渡瀬の接近に全く気付かなかった。
……いや、それ以前にこの程度のことで驚くこと自体普通ではありない。
俺は知らず知らずのうちに、何故か緊張していたようだ。
「……なあ渡瀬、あの人だかりが何かわかるか?」
「…………」
無言の回答。
それはつまり、渡瀬は人だかりの原因がわかっているということを意味する。
……そして同時に、言うのが
とてつもなく嫌な予感がする。
しかし、だからと言って確認しないというワケにはいかない。
一瞬、渡瀬が
少し強引だったため文句を言う者もいたが、俺の顔を見るなり何故か黙って通してくれた。
スムーズに最前列に辿り着いた俺が目にしたのは、数枚のカラープリントと、それを解説するように書かれた大きな赤文字――
『ミスコン一位の柏木 智は高校時代、教師やオッサン相手に体を売っていた』
わざわざA3サイズに引き伸ばされたであろう紙には、高校時代の柏木と思われる女子と、40代くらいに見える中年男がアパートに入ってく瞬間が写されていた。
他にも数枚、別の男とホテル街を歩いている姿や、空き教室か何かで抱きしめられている姿などのカラープリントが貼られている。
それぞれ解説らしき文章が書かれていたが、俺は読まずに全ての紙を剥がして回収した。
俺の行動を止めようとする者はいなかったが、何人か不機嫌そうな顔をしている女子がいたことは確認している。
無論それだけで犯人だと決めつけるつもりはないが、少なくともこの状況を楽しんでいたことは間違いないだろう。
……虫唾が走る。
ただ、回収したからといってこれ以上の拡散を防げるワケではない。
恐らく多くの生徒がスマホで撮影しているだろうから、瞬く間にあの画像は生徒の間で広がっていくことになるだろう。
カラープリントにしてもスマホのカメラにしても、最近はとても精度が高いため画像が荒くて誰かわからないなんてことも期待できない。
ただ、今とは違い恐らく化粧もしていないし年齢も異なるため、あれが柏木だという確固たる証明にはならない……とは思う。
実際、まだあれが偽物や合成だと思っている者も多いようだ。
……しかし、柏木とある程度関りのある者であれば、恐らく半ば確信に至っているに違いない。
理由は簡単だ。
たとえ今より若く、化粧もしておらず、多少画像が荒かろうとも、柏木の美貌であれば見紛うはずもないからである。
そのうえ、画像の女子の胸の大きさは既に今の柏木と変わらないレベルだったので、もしかしたら疑念すら抱かれなかったかもしれない。
……何にしても、あのカラープリントを貼った犯人は、当然元となるオリジナル画像を所持しているハズだ。
仮に柏木が自分じゃないと否定したとしても、何らかの証拠が用意されていれば無駄な抵抗になるだろう。
しかしそれでも、敢えてこんな回りくどいやり方をしたのには理由がある。
恐らくは――
「一誠先輩!」
足早にその場を離れつつ思考を巡らせていると、渡瀬が小走りで追いついてくる。
「……一応確認するが、渡瀬もこれを見たんだよな?」
「それは……、はい……」
この学校で最も長く柏木と行動しているのは、恐らく渡瀬だ。
それに、渡瀬は柏木の過去について詳しく聞いていないと言っていたが、後ろ暗い過去があることは知っているようだった。
だからこそ、渡瀬はあの画像が本物だということをほぼ確信している――と思われる。
「一誠先輩、そ、その貼り紙って――」
「俺からは何も言えない。それよりも、柏木はもう来ているのか?」
「えっと、はい……。一緒に、登校したんで……」
「じゃあ、柏木は講義室にいるのか?」
「先に行ってるって言ってたので、多分……」
「……そうか」
柏木は今、どんな顔をしているのだろうか?
「ひぁ!? い、一誠先輩、お、お顔が……」
――そして俺は今、どんな顔をしているのだろうか?
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