第35話 どうすれば柏木をわからせられるだろうか?



「女子部屋へようこそ~♪」



 などと言われ招き入れられると、そこには既に酔い潰れた渡瀬がだらしない恰好で爆睡していた。

 浴衣がはだけていて目のやり場に困る。



「……これはどういうことだ」


「それがぁ、鏑木先輩が来る前に一杯飲んでおこうって話になって~?」


「渡瀬が酒に弱いのは知っているだろう。……確信犯だな?」


「それは違いますよ! 私もまさか、ストゼロ一口飲んだだけでこんな状態になるとは思わなかったんです!」



 確かに一口でここまで酔い潰れることは中々ないが、アルコールがほとんど飛んだ甘酒ですら酔っぱらう渡瀬じゃ無理もない話だ。

 ストゼロは、少量でもしっかり酔えるように作られた酒なので、この結果は必然と言えるだろう。



「……だとしても、渡瀬が自分から酒に手を出すとは思えん。どうせ柏木がそそのかしたんだろう」


「唆しただなんて人聞きの悪い! 私はただ、素面しらふで私に勝てるとでも? って言っただけですぅ~」


「挑発するのも、唆すのと似たようなものだろう……。というかなんの勝負をするつもりだったんだ?」



 酔った勢いじゃなければ勝てない戦い……?

 正直、嫌な予感しかしない。



「……一体何をするつもりだったんだ?」


「ナニって、どっちが鏑木先輩をその気にさせるか対決ですよ?」



 何も隠そうとせず当然とばかりに言い放つ柏木に、俺の無表情の仮面にヒビが入りかける。

 本当に、柏木というヤツは……

 いや、今日に限って言えば、柏木に限らず渡瀬も対抗意識を燃やして積極的になっている雰囲気があった。

 柏木だけを問題視するは不公平と言えるかもしれない。



「……今日は渡瀬も妙に積極的だったし、二人して何か企んでいるのか?」


「別に何も企んでませんよ! 折角の旅行なんですから積極的になるのは当たり前のことじゃないですか! 別に二人で示し合わさなくても、そうなるのは必然です!」


「そ、そうか……」



 旅行中は普段より開放的な気分になるのもわかるし、特別な思い出にしたいという気持ちは俺にだってないワケではない。

 ただ、それは同時にリスクもあると思っている。

 たとえば旅行初日に喧嘩などで険悪なムードとなった場合、その後その空気のまま一緒に旅行することとなるため地獄のような状況になる可能性があるからだ。


 そういう意味では、渡瀬の告白はかなり問題であったと言えるだろう。

 ただ、アレは最初から相手の返事を期待していない……ある種の宣戦布告に近い内容であったため、俺が明確な拒絶をしなければ空気が悪くなることはない。

 渡瀬は勢いでつい告白してしまったようなことを言っていたが、そこまで計算していたとしたら中々に強かなヤツなのかもしれない。

 ……渡瀬に限ってそんなことはないという気持ちもあるが、女はみんな強かというイメージもあり俺の中でせめぎあっている。



「……まあ、まさか准ちゃんに先制されるとは思いませんでしたけど」


「っ! ……渡瀬から聞いたのか?」



 柏木が盗み聞きをしていたという可能性もなくはないが、少なくとも周囲には誰もいなかったので余程耳が良くなければ聞き取ることは難しい。

 盗聴器の類についても、柏木がそんなことに金をかけるとは思えないので可能性は低い。

 となると、やはり本人の口から聞いたと考えるのが妥当だろう。



「聞いてませんけど、雰囲気でわかりますよ。女の勘を舐めないでください!」



 女の勘か……

 昔から女性は勘が良いとされているが、これは観察力が男性よりも高いからという説がある。

 個人差はあるが、一般的に女性は右脳と左脳を繋ぐ『脳梁』が太く、両方の脳を同時に使って情報を処理できるのだそうだ。

 よく女性はマルチタスクが得意と言われるのも、そういうところから来ているのかもしれない。

 男性は左脳に頼りがちなため、観察力に4倍近い差が出るのだとか……


 勘や観察力などは数値化することはできないため、あくまでも一説に過ぎないが、こういった女性の方が優れているという能力は実はそれなりにある。

 たとえば言語能力や情緒表現力、会話能力なんかは日常的にも秀でているのを感じやすい部分ではないだろうか。

 見えない部分としては免疫力も平均的には女性の方が高いとされているし、色彩感覚については男性の4倍以上も優れているのだという。


 こういった能力の総合値が女の勘に結びついているのであれば、決して侮れる情報ではないと俺は思っている。



「最初から女の勘は舐めていない。ただ、状況から推理しただけだ」


「本当ですか~? 実は舐めたいとか舐められたいとか思ってません?」


「……そういうことを言うから、ヤリマンだとか噂されているんじゃないか?」


「ぐぬっ……、痛いところを突きますね……」



 俺は講義も食事も一人でとることが多いが、その分周囲の会話の内容はよく耳に入ってくる。

 柏木は特に上の学年の女子から嫌われており、ヤリマンやパパ活女などと陰口を叩かれているのを何度か耳にした。



「ま、まあ? 鏑木先輩は私が処女だって知ってますしぃ? 別に他の有象無象にどう思われても全然構いませんがぁ?」



 そう言いながら身を寄せて積極的にアピールしてくるが、俺だってお前のような処女がいるかと言いたくなる。

 一応柏木の申告自体は信じているが、それはそれとしてツッコミを入れたくなるこの気持ちはなんなのだろうか?

 全くブスとか馬鹿とか思っていないのに、何故か言ってしまう幼い頃の感覚に近い――ような気がする。



「……俺は特別だとでも言いたいのだろうが、行動がチグハグ過ぎだ。誰にでもそう言っていると思われても仕方がないと思うぞ」


「そ、それはぁ……、いや、私だって…………、って、ていうか、そう思うならさっさと手を出して自分のモノにすればいいじゃないですか!」


「そんな明らかに危ない罠に手を出すほど、俺は飢えていない」



 柏木が俺に手を出させるよう誘惑しているのには気づいていたが、ここまであからさまだとハニートラップにしては釣り針がデカすぎる。

 半年近い付き合いで、柏木が美人局つつもたせのような真似をする女じゃないことは理解しているが、それでも何か途轍とてつもなく嫌な予感がするのは否めない。

 具体的な内容はわからないし言語化もできないが、ともかく破滅しそうな気配をヒシヒシと感じる。



「う、飢えてないって、まさか処理してくれる女がいるんですか!?」


「いない。そのくらい自慢の女の勘でわかるだろ」


「私だって鏑木先輩に限ってないとは思ってますけど! それにしたって、あまりにも性欲薄すぎません!? 僧か何かとしか思えませんよ!?」



 随分な物言いだが、常に無表情であることを意識していることに加え武道で精神も鍛えてもいるので、一般人より自制力があるのは確かだ。

 ただ、渡瀬にも言ったが別に性欲がないワケではない。

 むしろ、一般的な同年代の男より強い自信がある。

 だからこそ自制力を鍛えたのだが、当然それにも限界がある。


 最近は結構危うい場面も多かったし、いい加減どうにかしないといけないかもしれない。



「……柏木、勘違いしているかもしれないが、俺の性欲は普通の男よりもかなり強い。痛い目を見る前に誘惑をやめろ」


「……プッ、二回も一緒の部屋で寝たのに手を出せない人が言っても、全然説得力ありませんよ?」



 ……手を出さなかったのは間違いないが、出せなかったのではなく、出さなかったのである。

 完全に舐めた態度なのでお灸をすえてやりたいところだが、それをしてしまうと結果的に誘いに乗ったことになるので非常に悩ましい。

 どうすれば柏木をわからせられるだろうか……?






―――――

※鏑木のセリフにある確信犯は誤用です。

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