第32話 渡瀬の過去⑤
「……まあ、と言ってもこれ以上大した話はないんですけどね」
渡瀬はそう一言前置きしてから、たどたどしく自分がどんな高校生活を送ったか語り始める。
やらかし発言をした渡瀬は、その後徐々にハブられていったらしい。
まずは男女共通の陰険な嫌がらせの定番である、「本人にも聞こえるように陰口を叩く」が始まった。
地味な嫌がらせに思えるかもしれないが、これは効率的かつ効果的なうえに大した悪意も準備もなく気軽に行えるため、実際はかなり悪質な嫌がらせの一つである。
その気軽さと手軽さゆえ、やられたor自分もやったことがあるという人間も一定数いるのではないだろうか。
実際、これをやられてしまうと対処は極めて困難となる
直接自分に言われるワケではないため反論したり言い返したりすることが難しく、仲間内での会話となることから結果的に徒党を組まれているのと同様な状態となり、数的にも不利な状況が簡単に作り出されてしまうのだ。
気の強い者であれば怒鳴り返したりすることも可能だろうが、普通の人間には難しいし、最悪逆効果になる場合もある。
こうなってしまうと、ほとんどの人間は「聞こえていないフリ」をしてやり過ごすしかなく、結果的に手も足も口も出せない状態になってしまうのだ。
しかも、「本人に聞こえる陰口」というのは当然周囲にも聞こえるワケで、その情報はクラス中に広がることとなる。
一般的に人は大きな流れに同調するものなので、特に悪い印象をもっていなかったクラスメートすら、渡瀬に対する印象が悪くなっていったことだろう。
そして仲が良かった生徒についても、余程正義感が強かったり強い友情がなければ、まず間違いなくこの流れに逆らおうとはしなかったハズだ。
残念ながら人というのは、たとえ家族のことであったとしても、大勢の意見を優先してしまいがちなのである。
さらにこのケースでは、渡瀬に非があるのも明らかであるため、迂闊にフォローすることさえできなかったハズだ。
つまり、「触らぬ神に祟りなし」というワケである。
こうして渡瀬に直接的に関わる人間はいなくなり、クラス内でハブられるという状況が作り出された。
……中々に頭の痛くなる話である。
確かに渡瀬に落ち度はあるものの、そこまで状況が悪化してしまったことについては同情せざるを得ない。
陰口はほとんどの人間が持つであろう小さな悪意から始まるものだが、その気軽さゆえに罪悪感を覚えにくく、リスクも少ないという非常にタチの悪い性質を持っている。
特に「本人に聞こえる陰口」などのように意図的に悪意を広められてしまうと、個人の力だけでは防ぎようがない。
つまり渡瀬の場合、ターゲットにされた時点で状況が詰んでいたのだ。
しかも渡瀬は寮生活であるため、逃げ場や安息の地がほぼ存在しない状態だった。
大した話ではないと言っていたが、多感な高校生にとっては地獄のような環境だったと思われる。
「……よくそんな状況を三年間耐え抜いたな」
「耐えたというか、麻痺したって感じですかね……。誰とも喋らず、ひたすら自分の世界に引きこもっていたので、段々と何も感じなくなりました」
クラス全員からハブられるようになった渡瀬は、小説や漫画、ゲームといった一人で楽しめる世界にのめり込んでいったそうだ。
そのお陰で少し元気を取り戻したみたいだが、ハブられているというのに楽しそうにしているのがイジメに加担している者達の神経を逆なでしたらしく、今度は本格的な嫌がらせを受けることとなった。
物的証拠の残らないような嫌がらせばかりだったようだが、物を隠されたり、水をかけられたりといったレベルだとしても、想像するだけで嫌な気分になる。
「まあそれも、慣れてしまえばどうでもよくなって、ほとんど心は動かなくなりました。でもやっぱり、それが悪かったみたいで、彼女達は私に一番効果的そうな手段に出たんです」
渡瀬はそこまで言って、一旦言葉を切る。
恐らく口にし難い内容なのだろうが、嫌な予感しかしないので不安を
「……私の写真が、嘘のプロフィール付きで、ネットに流されました」
「っ! おい……、それは犯罪だろう」
「ヒぇ!? そ、そそそ、そうなんですけど、大事件にはなってないんで、その、怖い顔しないでください!」
「……すまん」
嫌な記憶が頭を
俺は軽く深呼吸を行い、冷静になるよう努める。
「それで、
「えっとですね、まず校外に複数の男の人がたむろするようになって、それで私の写真がネットに流れてることが判明したんです……」
……既に渡瀬を狙った男達が集まってきていたということは、相当に危険な状況だ。
一般的な常識を持つ人間であれば、そんなどう考えても怪しい情報に食いつくことはないのだが、中にはリスクを承知でワンチャンを狙うという輩も一定数存在する。
楽観主義というかお目出たいバカというか……、ともかく自分の都合の良いようにしか物事を考えられないタイプの人間というのは、少しでも可能性があればリスクを軽視(無視)して食いついてくるのである。
恐らくだが、渡瀬の写真を見て「本物のビッチに違いない」などと考えたものはいないだろう(可能性は0ではないが)。
可能性として考えられるのは、「この少女はイジメられているのかもしれない」といったところか。
普通の人間であればそれで何故襲う気になるか不思議に思うだろうが、ならず者の中には「ヤレるのなら理由はなんでもいい」と考える者もおり、そういった人間に狙われると最悪の事態に陥る危険性もある。
渡瀬が助かったのは、ただの結果論に過ぎない。
「せ、先輩、また、顔……」
「……すまん」
「い、いえ、やっぱり先輩はその、カッコイイです……」
「カッコイイ? さっき怖いと言っていただろう」
「怖くて、カッコイイんですよ。凄く、憧れちゃいます……」
憧れる……?
そういえば、渡瀬は以前にも俺に対しそんな印象を抱いている様子だった。
一体俺の何に対し、憧れなどという感情を抱くのであろうか?
「そ、それでですね、流石にそれは大事になりまして、私は校長室に呼び出される事態になったんです」
呼び出された理由は、当然だが渡瀬の写真がネットに流れていた件についてだ。
不審者を捕まえた警察から事情を聞かされた学校側は、まずは渡瀬自身に確認を行った。
しかし、学校側も渡瀬がやったとは最初から思っていなかったらしく、見覚えがないことを伝えるとあっさり信じてくれたようだ。
そして学校で厳重な注意が行われ、渡瀬に対する嫌がらせは終息することとなった。
実行犯は最後まで名乗り出なかったみたいだが、学校としても穏便にしたかったようで、犯人捜しは行われなかったそうだ。
4年近く前のことなので、今のようにネット民による犯人叩きなども行われなかったらしい。
もし今の時代にそんなことをすれば、徹底的に調査が行われ、犯人は悲惨な人生を歩むことになったかもしれない。
しかし、それは同時に渡瀬の個人情報が拡散される危険性も孕んでいる。
俺には、それを幸と捉えるべきか不幸と捉えるべきか、判断することができない。
ただ、モヤモヤした複雑な感情が、胸中で不快に渦巻いていた。
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