第31話 渡瀬の過去④



 日常会話の中で、意図せず相手を不快な気持ちにさせてしまうことは、実際かなり多い。

 それはデリカシーに欠ける話題だったり、価値観の違いで起こりやすいが、大抵の場合はちょっとした一言が引き金になる。

 例えば、「そんな」という言葉だ。


 この言葉自体は「そんなことないよ~」と謙遜するときに使用したり、「そんな場所に住んでみたいな~」などのように好意的に使用されることも多いので単体で問題があるワケではない。

 ただ、「そんなのどうでもいい」とか、「そんなことよりもさ~」などといった感じで、人の話に対して軽く返すと悪印象を与えることが多々ある。


 お互いに大したことじゃないという認識であれば問題にはならないが、価値観は人によって細かく違うものなので「そんな」扱いされれば不満に感じることもあるだろう。

 日常会話でポロっと出た言葉を気にし過ぎだと思う人も多いが、実際気にする人はかなりいる。

 その場では気にしていないように見えても、そのことが心の中にシコリとして残り、相手に対して苦手意識が芽生えることもある。



 渡瀬の場合、これに加え「下らない」とまで言ってしまっているため、相手に与えた不快感は相当なものだったに違いない。

 特に外部生組は「自分たちは内部生より進んでいる」と優越感を持っていたようだし、それを真っ向から否定するような言い方をされれば、プライドや自分の生き方を傷つけられたように感じたのではないだろうか。



「……それは、渡瀬が悪いな」



 情報でしか知らない赤の他人より、後輩である渡瀬を擁護してやりたい気持ちはあるが、俺にはそんな器用な立ち回りはできない。

 こういうときチャラ男や口の上手いヤツなら、「それはちょっと失敗したね~、でもそんな一言でマジになる方も悪いんじゃない?」とかなんとか言って励ますのだろうが、俺はただ「お前が悪い」としか言えなかった。



「はい……、その通りだと思いますし、私も言った直後に後悔しました」


「なら、失言だと謝ったのか?」


「……いえ、あのときの私には、無理でした。だって、実際に昔の私は、男の子との色恋沙汰なんて本当にどうでもいいと思っていて……、だからどうしても否定できなくて……」



 ……不器用なヤツだな。

 しかし、俺も嘘がつけないタイプなので、その気持ちは痛いほどわかる。

 同じような失敗を、俺だって何度も繰り返してきていた。

 その点、今の渡瀬はその経験から多少は融通が利くようになっているようなので、改善されていない俺の方が遥かにタチが悪いと言えるだろう。



「……昔の渡瀬は、随分と難儀な性格をしていたようだな」


「そうですね……、先輩と、同じです……」



 どうやら、渡瀬にもその自覚はあったようだ。

 もしかしたら、渡瀬が俺に懐いてきたのも、同族意識のようなものが働いたからなのかもしれない。



「それで、その後はどうなった? もちろん、言いたくない部分は伏せてくれて構わない」



 間違いなく不愉快な内容だろうし、ある程度は想像がつくが、ここまで話した以上渡瀬も少なからず打ち明けたいと思っているハズだ。

 こういった辛い過去は自分の中に封印したいものではあるが、ある程度時間が経つと誰かに聞いてもらいたくなることがある。

 万人に共通する感覚ではないが、そういう欲求をを持つ者は意外と多い。

 そういう場合、話したいのであれば話させてやる方が、結果的にメンタルのケアに繋がりやすかったりする。

 ……経験談だ。



「えっと、漫画とかアニメで見るような酷い内容では、ないですよ? 基本的には無視されたりとか、悪口書かれたりとか、水をかけられたりするくらいだったので……」


「……十分しんどそうに思えるがな」



 とはいえ、精神を病むレベルの過酷なイジメを受けていれば、今頃渡瀬もこんなところにはいなかった可能性が高い。

 少なくとも俺や柏木とコミュニケーションを取れる程度には回復しているのだから、事件性があるような内容じゃないことは予想できる。



「ちなみに、智ちゃんと私、どっちの過去の方が辛そうに思えますか?」


「おい、不幸自慢して争ってるつもりなのか」


「そ、そうじゃないですけど、より不幸な方が同情してもらえるかなって……」


「……渡瀬は本当に、同情で意識されて喜べるのか?」


「……正直複雑ですけど、少しでも気が惹けるのであれば、構いません。私では、どうやっても智ちゃんに魅力では勝てませんので……」



 まさか、ここまで自己評価の低い美人が実在するとはな……

 それこそフィクションであればいくらでも存在するが、現実に美人が無自覚のまま成長することなどほぼあり得ない。

 それは男子であっても女子であっても共通で、大抵の場合は誰かにチヤホヤされるという経験をするため、自然と自分が美人と自覚していくものなのである。

 渡瀬の場合それを、小学校時代は女子の嫉妬と、男子特有の可愛い子の気を惹きたい幼稚なイジメで上書きされてしまった。


 流石に父親は可愛がっていたと思うが、仕事でほとんど家にいなかったらしいので接する機会は少なかったのだろう。

 そして中学で男子のいない環境となり、異性にモテるという経験を失った。

 女子同士でも可愛いと言われることはあっただろうが、女子はなんでも可愛いという傾向にあるから、そのままの意味で受け取れないことも多い。

 しかも渡瀬は小学校時代に嫉妬で嫌な思いをしたせいか、褒められることに臆病になっているように見える。

 それが高校時代のイジメでとどめを刺されたカタチとなり、見事な自己評価低め美人が完成された……のかもしれない。



「前にも言った気がするが、俺は渡瀬が柏木に劣っているとは――」


「じゃあ、それを行動で示してください」


「っ!」


「……なんて、そんなこと先輩ができないことはわかっています。だからこそ、私が納得できるカタチで同情して欲しいんです。それで、先程の質問の答えは?」



 先程の質問とは、柏木の過去と自分の過去のどっちが辛そうかという頭が痛くなる問いかけだ。

 そもそも幸福や不幸など人によって感じ方の違うものなので、他人が判断できる内容ではない。

 はっきり言って非常にバカげた質問なのだが……、それでもいいから俺に答えて欲しいという渡瀬の気持ちも、まあ理解できなくはない。

 どう答えても角が立ちそうだが、俺の主観をそのまま伝えるほかないだろう。



「……あくまでも俺の主観だが、今伝えられた情報だけだと、まあ、柏木の方が不幸な境遇にあったのでは……と思えるな」


「そんな……、智ちゃん、一体どんな境遇だったんですか……?」


「当たり前だが、俺の口からは言えんぞ」



 渡瀬は柏木に重い過去あることは聞いているようだが、内容については聞き出していないようだ。

 さっき「智ちゃんは聞き出さなきゃ言わない」みたいなことを言ってたので、気遣いからか引け目からかはわからないが、最後まで聞くことはしなかったのだと思われる。



「そ、そうですよね……。でもこれは、私も最後まで話すしかなさそうです……」



 まだ続くのか……

 イジメの話など正直聞きたくもないのに、何故俺の周りの女子はイジメの内容を俺に話したがるんだ……






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