第25話 取り合いっこ
富山県には、常願寺川と神通川という2大河川が存在する。
そしてそれらを結ぶのが、富山県富山市を流れる「いたち川」だ。
俺達が何故こんな場所に来たかというと、この川が著者「宮本輝」の作品『蛍川』の舞台となるためである。
つまりは聖地巡礼に来たというワケだ。
この聖地巡礼という言葉は、本来「宗教上特別な意味のある場所へと旅する」という意味で使われていた。
いつしかアニメや漫画、映画などの舞台となった土地を聖地と称して訪れる意味で使われるようになり、今となっては辞書にすらその意味が記載されるようになっている。
言葉の変遷というのは面白いもので、本来の意味で使われることが少なくなると、誤用のほうがメインとなる場合がある。
例えば「貴様」「素晴らしい」「サバを読む」などは、最早本来の意味で使われることの方が稀だ。
この聖地巡礼という言葉も、一般層ではそういう領域に突入している気がする。
それが果たして良いことなのか悪いことなのか、俺には判断できないが。
……などと『蛍川』とは関係なことを考えながら、美しい川辺を歩く。
川の流れを見つめると、何故か心も清らかになっていくような気がするので不思議なものだ。
「うわぁ~、キレイな川ですね~!」
「そうだな」
「いたち川」は、平成の名水百選に選定されるほど美しい川だ。
作品のタイトルが『蛍川』であることからもわかるが、実際に蛍も生息している。
「でも、肝心の蛍は見れないんですよね?」
「蛍のシーズンは6~8月だからな。完全にシーズンオフだ」
そういう意味では、聖地巡礼のタイミングとしては時期外れと言えるだろう。
本来であれば夏休みにでも来るのがベストなのだが、夏はゼミとして見ればメンバーの入れ替わり時期なのでタイミングが悪い。
合宿先の候補としては他にもいくつかあり、一緒に読まれた「宮本輝」の「川三部作」の他2つ『泥の河』、『道頓堀川』も選択肢としては存在した。
しかし、単純に『蛍川』の方が女子人気が高かったことと、『泥の河』、『道頓堀川』はどちらも大阪が舞台となるため、旅行先としてはなんか普通という謎の理由で富山県が選ばれた。
「……鏑木先輩、こう言ってはなんですが、私飽きました」
「智ちゃん……」
速攻で飽きた宣言をする柏木を渡瀬が残念な子を見るような目で見ているが、正直柏木の気持ちもわかる。
いくら美しい光景とはいえ、それだけで見ていて飽きないという理由にはならない。
景色をいつまでも眺めていられる人間もいるだろうが、それは本人の気質や性格によって変わることだし、そのときの精神状態にも左右されるものだ。
流石にそれだけで柏木をアレな子扱いするのは、少々気の毒に思う。
「まあ景色は十分楽しんだろうし、そろそろ旅館に行くか」
「流石鏑木先輩! 話がわかる!」
「別に柏木のために言ったワケじゃないぞ」
「そこは嘘でも私のためって言ってくださいよ~!」
めんどくさいことを言ってくる柏木を無視し、先行している嶋崎先輩に声をかける。
本当であれば一番先輩である嶋崎先輩に取り仕切ってもらいたいところなのだが、暴走するからという理由で俺が先導するよう山岡教授から任命されていた。
「俺は一向に構わない! むしろ待っていたぞ!」
先行して何をやっているのかと思ったら、〇ケモンGOをやっていた。
どうやら、嶋崎先輩もとっくに川の観賞に飽きていたらしい。
◇
「おぉ~、ここが私達の泊まるホテルですか~」
嶋崎先輩の案内で、市内のホテルに到着する。
泊まり先のチョイスは嶋崎先輩に任せていたのだが、意外にもまともなホテルで少し安心する。
「ふん! 本当は混浴アリの旅館が良かったのだがな! 残念ながらどこも高くて断念した! しかし安心しろ! 温泉はあるぞ!」
混浴はともかくとして、旅館というのは基本的に宿泊費が高いところが多い。
心情的に旅館に泊まりたい気持ちはあるものの、学生の財政事情だと少々厳しいのが現実だ。
そういう意味では、ホテルとはいえ温泉付きかつ、一泊あたり1万円前後に抑えたチョイスをした嶋崎先輩は中々センスがあると言えるだろう。
「そういえば、柏木は金銭面大丈夫なのか?」
柏木は服や美容に金をかける反面、食費や光熱費、家賃などを節約して生活をしている。
そのため、飲み会ですら滅多に参加しないのだが、旅行費は大丈夫なのだろうか。
「大丈夫です! 旅行も学校生活の一部にカウントしてますので、その分の貯金はあるんですよ!」
「そうか。なら、食事代は出さなくていいな」
「あ! それはそれとして、奢ってくれるのならありがたく奢られます!」
実にわかりやすいヤツだが、俺としてはこのくらいの方がむしろ好感が持てる。
口では遠慮しておきながら、裏では「女に奢らないとかクソ」だとか言われるより余程マシだ。
「さて部屋割りだが――」
「いや、選択肢なんかないんですから、さっさと鍵を渡してください」
「そんな夢のないことを言うな!」
「夢もクソもありません。新幹線の席とはワケが違います」
ゼミや友人関係の旅行で男女相部屋など、フィクションでもあり得ないレベルの話だ。
流石の柏木も文句は言ってこなかった。
「私は鏑木先輩となら全然OKなんですけどね~。でもそれだと、流石に准ちゃんがカワイソウなので……」
「そういうレベルの話でもなく、モラルの問題だ」
仮に俺が柏木か渡瀬と同部屋になったとして何か問題を起こすつもりなどないが、精神衛生上はあまりよくない。
何かの拍子にタガが外れる可能性だって、十分にあり得るからだ。
嶋崎先輩も本気ではなかったようで(恐らくはだが)、大人しく鍵を渡してそれぞれの部屋の前で別れる。
部屋に入ると、残念ながら景色が売りという感じの部屋ではなかったが、落ち着いた雰囲気があり悪くなかった。
「さて鏑木、悪いが俺はこれから別行動させてもらう」
「……何をするつもりですか?」
「安心しろ。撮影スポットの下調べをするだけだ」
「あまり安心できませんが、犯罪行為だけは勘弁してくださいよ?」
「無論だ。俺自身よく怒られている自覚はあるが、それでも今まで捕まったことはないだろう?」
確かに、嶋崎先輩が長い大学生活で捕まったという話は聞いたことがないが、それは単純に捕まっていないというだけでの話で、実際は犯罪行為に該当しそうなことは割とよくしている。
特に撮影関係は肖像権やら色々な問題があるので、訴えられればアウトだろう。
「……くれぐれも、気を付けてくださいね」
――荷物を整理したあと、柏木達と合流する。
「あれ? 嶋崎先輩は?」
「別行動するようだ」
「もしかして、私達に気を使ってくれたんですかね?」
「どういう意味だ?」
「どういうって、私と准ちゃんで鏑木先輩を取り合いっこするのを邪魔しないように?」
「なんだそれは……」
コイツは何を言っているんだと思い渡瀬を見ると、顔を真っ赤にして目を逸らされてしまった。
おい、まさか本気なのか……?
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