第24話 モヤモヤとした出発
後期試験が無事終わり、長い春休みが始まった。
長期休暇中、俺は時々叔父の運送会社の手伝いをするくらいで、基本的には暇をしている日が多い。
この機に実家に帰るのもいいのだが、帰ったところで別段することがあるワケでもないので、1週間ほど帰れば十分と思っている。
たまに顔を出しておけば、両親も文句は言わないだろう。
「鏑木せ~んぱい♪ 待ちました?」
柏木がいつものように腕に絡みついてくる。
厚着をしているのにも関わらず感じる確かな質量に、動揺こそしなくなったものの毎度見事と思わざるを得ない。
「俺もさっき着いたばかりだ。それより柏木、お前、渡瀬に荷物を持たせて来たな?」
「てへ♪」
周囲にはデートの待ち合わせのように見えたかもしれないが、実際は違う。
俺達は今日、ゼミの合宿という名目で旅行に行く予定なのだ。
文学作品の聖地巡礼のような緩い目的の合宿で、俺と嶋崎先輩は去年も参加している。
教授は高齢だからという理由で参加していないが、今回もささやかながら支援金を出してくれていた。
「智ちゃん酷いよ~」
二人分の荷物を引いた渡瀬が、遅れて姿を現す。
柏木が手ぶらなことからなんとなく予測できたが、やはり渡瀬に荷物を押し付けて自分だけ先行してきたようだ。
「大丈夫か、渡瀬」
「だ、大丈夫ですけど~」
渡瀬は両手でキャリーバッグを引きながらピョコピョコと近づいてくる。
中々にシュールな光景だ。
「准ちゃん、荷物ありがと♪」
「ありがと♪ じゃないよもぅ! こういうの、抜け駆けって言うんだよ!?」
「ごめーん♪ でも、デートっぽい気分を味わいたかったんだもん!」
渡瀬が怒っているのを見るのは珍しいが、それでも本気で怒っているようには見えない。
以前も研究室でワチャワチャとやりあっていたが、恐らく俺の見てないところで二人は日常的にこんなやり取りをしているのだろう。
良い関係を維持できているようで何よりだ。
「おいお前ら、俺のこと見えてる? 私はここにいますよ?」
そんな二人を見て、誰よりも早く集合場所に来ていた嶋崎先輩が寂しそうに何か呟いていた。
◇
俺達の所属する山岡ゼミでは、主に文学の研究を行っている。
文学研究と一口に言っても実際は哲学、文学、歴史学、文化人類学といった複数のジャンルが存在するが、俺達はその中でも文学の研究を専門に活動していた。
文学とは言語による芸術作品を示す言葉で、ウチの文学研究では具体的に詩歌、小説、戯曲、随筆、評論といった作品の研究を行う。
それに何の意味があるのかという疑問を持たれることが多いが、俺としては想像力や読解力、感性などを養える分野だと思っている。
作品を通して作者の考え方や意図、背景などを考察することになるため、必然的にそういった数値にしにくい能力が鍛えられるからだ。
直接的な技術や知識を学ぶワケではないので、将来仕事をするうえで役立つかどうかは未知数だが、俺はバイトで少しだけ社会に踏み込んでいる分、その大切さを身にしみて感じていた。
何をするにしても、想像力や読解力を働かせるのはとても重要なことだ。
これが欠如していることで発生する問題の多さから、社会に出てその重要さに気づく者も多いだろう。
自分の行動や言動で何が起こるのか想像できないというのはかなり大きな問題で、仕事では作業やコミュニケーションにおいて重大な損失を発生させる可能性も十分あり得る。
仕事以外でも、想像力が欠如しているがゆえにネットで炎上し、取り返しのつかないデジタルタトゥーを刻む案件が後を絶えない。
そういった想像力や読解力を養える文学研究は、社会に出るうえで大いに貢献する分野だと思うのだが、残念ながら就職には有利に働かないため専攻されにくいというのが現状だ。
山岡ゼミの人気がないのには、そういった背景もあるからだと思われる。
「准ちゃん、鏑木先輩の隣をかけて勝負よ!」
「そ、それって、どちらかは嶋崎先輩の隣になるってこと? そんなの嫌だよ~!」
「そう言われると確かに少しアレだけど、勝負にリスクは付き物だし!」
新幹線の席を賭けて、何やら戦いが勃発していた。
本人達に悪気はないのかもしれないが、結果的にディスられるかたちになった嶋崎先輩がダメージを受けている。
「おい鏑木、いくらなんでもアレは酷くないか?」
「まあ、酷い扱いとは思いますが、嶋崎先輩の自業自得でもありますからね……」
嶋崎先輩は、女子が近づくと深呼吸をして匂いを嗅ごうとしたり、カメラで周囲を撮影していたりと警戒される行動が多い。
男子慣れしている柏木ですらドン引いてることもあるので、リスク扱いされても仕方ないと言える。
「おい、大人しく女子二人で座ればいいだろう」
「そんな夢のないこと言わないでください!」
「そうだぞ! 男の隣なんて断固拒否だ!」
柏木はともかく、嶋崎先輩まで反応してきた。
あれだけ言われているのに、この人は一体どんなメンタルをしているのだろうか。
「夢も何もないだろう。男女同数で偶数なんだからわざわざ分けて座る方が不自然だ」
恋人同士ならまだしも、そうではない男女でわざわざペアを作るなんていうのは面倒事のニオイしかしない。
「クッ……、こんなとき沼田先輩がいれば、鏑木先輩の隣に座る口実になったのに……!」
「……」
新幹線の席は三人並びもあるし、仮に二人席しか取れなくても沼田は好んで一人で座りそうなので、恐らくそんなことにはならなかったろう。
ただ、それはあくまでも予測でしかないので、実際どうなったかはわからない。
「沼田先輩が来れなかったのは、残念でしたね……」
「ああ」
沼田は、残念ながらこの旅行に参加していない。
元々は来る予定になっていたのだが、急に用事ができたということでキャンセルしたのだ。
人生何が起こるかわからないので、そんなこともあるだろうとは思うのだが、俺には少し気になることがあった。
というのも、テスト前に沼田が研究室を飛び出していった日を境に、俺に対する態度が妙によそよそしくなったのである。
一応メッセージを送れば反応はあるのだが、どこか淡泊というか、感情を感じない返事ばかり返ってくる。
試験中も姿を見ることはなかったので、あれ以降直接話す機会もなかった。
ここまでくると、やはりあの日に何かあったのかと勘繰ってしまうのだが、残念ながら確認する方法はない。
俺はただ、根気よくメッセ―ジを送るしかできないでいる。
「くぅ~っ! 負けたぁ!」
「勝ちました! 先輩、よろしくお願いします!」
「結局、じゃんけんで勝負したのか……」
「だって、智ちゃんがやらないなら不戦勝だって……」
「おい」
あまりにも酷いので、物凄く手加減したチョップを柏木の頭に打ち込む。
柏木は何故かチョップを喰らって嬉しそうにしていた。
モヤモヤした気持ちは拭えないが、せっかくの旅行に水を差すのも悪いため頭を切り替える。
まずは旅行を楽しむことにしよう。
いざ、富山へ――
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