第23話 落とし物



 色々あった年末年始が終わり、通常通り講義が再開された。

 大学の冬休みは12月下旬から1月上旬までだが、春休みは2月上旬から始まるため、学校に来る日は極端に少ない。

 ほぼほぼ後期試験のために来ると言っても過言ではないだろう。


 あれから変わったことと言えば、柏木のスキンシップがこれまで以上に増えたことと、逆に渡瀬からの接触が減り少し距離を置かれるようになったことだろうか。

 沼田は相変わらずだが、会話の節々に感じていたトゲが若干減った気がする。



「鏑木せんぱ~い♪ 過去問教えてくださいよ~♪」


「断る」



 座っている俺に対し、後ろからしなだれかかるように抱きついてくる柏木。

 このレベルのスキンシップなら最早慣れたもので、一切動揺せずに対応できる。



「え~! なんでですか~!?」


「柏木が何の科目を履修しているか不明だし、そもそも俺は教えられるほど過去問を知らないからだ」


「でもでも、何教科かは一緒の講義受けてるじゃないですか!」


「だからだろ。一緒の講義を受けているということは、その講義を俺は取れていないということだ」



 俺は3年でありながら、2年の柏木や渡瀬と講義が被っていることが多い。

 それはつまり、俺自身も同じ試験を受けるということになる。



「あれ? そういえばそうですね。もしかして、落としたんですか?」


「そういうことだ」


「……鏑木先輩、意外とおバカ?」


「意外も何も、俺の頭は別に良くないぞ。ただ、落とした理由は別に成績が悪かったからではない。出席日数不足だ」


「あ、そういえば去年長いこと休んでいた時期があるんでしたっけ?」


「ああ」



 俺は2年の後期に停学処分を喰らっている。

 少し特殊なケースとなるため後期丸々単位修得なしとなったワケではないが、多くの単位を落とすこととなった。



「ちぇ~っ、せっかく鏑木先輩に手取り足取り腰取り教えてもらおうと思ったのに~」



 仮に過去問を持っていたとしても、手も足も腰も取ることはなかっただろう。



「別に俺に頼らなくとも、柏木ならいくらでも伝手ツテがあるだろう。むしろ俺が教えてもらいたいくらいだ」


「そうなんですけど~、シチュエーション的にぃ? あ、でも私が逆に鏑木先輩の手取り足取りアレ取り教えてあげるのもありかも!」



 なんだよアレ取りって……



「そうと決まれば! 私、他の先輩達に色々聞いてきますね!」



 柏木は、そう言うや否や研究室を飛び出していった。

 試験期間中のゼミは自由参加なので別に構わないのだが、来たのなら最後までいるべきではないだろうか。

 ……いや、別にいて欲しいワケではないが。



「あの、先輩……」


「ん、どうした渡瀬」



 ここ数日俺のことを避けていた渡瀬が、自分から話しかけてきた。

 何か心境の変化でもあったのだろうか?



「私も、本当は先輩に勉強教えてもらおうと思ってたんです。でも、さっき智ちゃんと話してる内容が聞こえてきて……」


「ああ、期待に沿えず悪かったな」


「いえ、いいんです! ただ、それならそれで、その……、一緒に勉強しませんか?」



 若干目を逸らしながら、オドオドした様子でそう提案してくる渡瀬。

 その姿は出会って間もない頃の姿を彷彿とさせる。

 あの頃から大分近づいた関係も、また振出しに戻ってしまったと思うと少し寂しい気持ちになる。



「構わないが、本当に役には立てないと思うぞ?」


「そんなこと、ないと思います。高校の頃、テスト前はみんな友達同士で問題の出し合いっこしてましたし、きっとアレをやれば、多分憶えやすいかなって……」



 そういえば、確かに高校時代はそんなことをしている奴らをよく見かけた気がする。

 俺は基本的に勉強は一人でする派だったが、アレはアレで効率の良い学習方法なのかもしれない。

 渡瀬も、他人事のような口ぶりなことから恐らく経験したことはないようだし、試してみるのもアリか……



「わかった。じゃあ、まずはお互い共通の科目をチェックしようか」


「は、はい!」



 ガタッ!



 渡瀬が俺の隣に座ろうとした瞬間、後ろでけたたましい音が聞こえる。

 振り返って見ると、沼田が椅子を弾いて勢いよく立ち上がったところだった。



「……どうした沼田」


「……なんでもない」



 沼田はそう言うが、なんでもない表情には見えない。



「私、用事ができたから」


「待て。説明しろ」



 手早く荷物をまとめて研究室を出ていこうとする沼田の腕を、掴んで制止する。



「だから、用事ができたって言ってるでしょ!」



 それ程強く握ったワケではないとはいえ、沼田は俺のグリップをあっさりと外してしまう。

 流石は柔道家、掴みを切るのはお手の物といったところか……と感心している場合ではない。



「どこへ行く気だ」


「アンタには関係……っ! ……ふぅー……、本当に何でもないから。ちょっと落とし物したから、探しに行くだけよ」



 沼田はさらに憤って反応しかけたが、途中で深く息を吐いてからいつもの調子に戻る。

 ただ事じゃないと思ったが、俺の気のせいだったか?



「落とし物か。物はなんだ? 俺も探すのに協力するぞ」


「いいから、アンタはその子と勉強してなさい。流石に今回落とすのはマズイんでしょ」


「勉強は家に帰ってからでもできる」


「だからって、あの子放っておくとか最低でしょ」



 それは確かにそうなのだが、渡瀬の性格なら自分も探すと言い出しそうなものである。

 そう思いチラリと渡瀬に視線を向けると、既に荷物をしまおうとしているところだった。



「わ、私も協力します!」


「……はぁ、アンタら、お人好し過ぎ。さっきから大したことないって言ってるでしょうが……」



 沼田は疲れたようにため息をつくが、その表情は少し笑っていた。



「とにかく、本当に大したことないから来ないで。それに、女子トイレとかかもしれないから、アンタじゃ役に立たない」


「む……、そうか……」



 流石の俺も、堂々と女子トイレに入るような真似はできない。



「それじゃ、今度こそ行くから」


「わかった。だが、何か手伝いが必要なら必ず連絡するんだぞ」


「はいはい、じゃあね」



 そう言って沼田は、焦った様子もなく研究室を出ていく。

 俺はそれを見て、妙な引っかかりを覚えた。



「……どうしたんですか? 先輩」


「……いや、なんでもない」



 一瞬、やはり沼田を追うか悩んだが、渡瀬の不安そうな顔を見て冷静になる。

 恐らく今の俺は、あまり余裕がないよう渡瀬の目に映ったに違いない。

 後輩をいたずらに不安がらせるのも問題と思い、俺も一呼吸入れて落ち着くことにした。


 沼田のことは少し気になるが、干渉し過ぎても不興を買う可能性が高い。

 さっき俺があれほど食い下がったのだから、流石の沼田も何かあれば連絡くらいはよこすだろう……





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る