第21話 初詣④



「せんぱ~い、早くご褒美~!」



 渡瀬は蕩けた表情でうわ言のように「ご褒美~」と繰り返しながらゴロゴロと畳の上を転がっている。

 完全に幼児化しているようだ。



「渡瀬、こんな所でゴロゴロすると服が汚れるぞ」



 古くなった畳は表面がボロボロになり、衣服にゴミが付きやすい。

 というか、既にボロボロと畳カスが衣服のアチコチについてしまっている。



「言わんこっちゃない……」



 俺は渡瀬を座らせ、服に付いたゴミを払っていく。

 本当に子どもの面倒を見ているようだ……



「せんぱ~い、体じゃなくて頭を撫でてくださ~い」



 渡瀬は撫でられてると勘違いしたのか、自分の頭を差し出してくる。



「別に撫でてるつもりはなかったんだがな……。まあ、これがご褒美でいいなら撫でてやるぞ」



 俺は渡瀬の整った髪の毛が乱れないよう、なるべく優しく頭を撫でてやる。

 渡瀬はしばらくの間にへら~といった感じで頭を撫でられていたが、急に口をすぼめ不満そうな顔になる。



「先輩、これだけじゃご褒美になりません!」


「……じゃあ何をすればいい?」


「膝枕してください!」



 一瞬何を要求してくるか警戒したが、聞いてみれば大したことない内容で少しホッとする。



「そのくらいなら全然構わないぞ」


「わーい♪」



 脚を正し膝をポンポンと叩くと、渡瀬は嬉しそうに声を上げて膝に頭を乗せてくる。



「せんぱ~い、頭を撫でるのも続けてくださ~い!」


「ああ」



 これくらいで満足してくれるのであれば安いものなので、言われるがままに要求に応えてやる。

 いつまでこうしているつもりかという点は少し気になるが、まあ30分くらいすれば流石に飽きるだろう。



(しかし、この状態を沼田に見られるのは少々気まずいな……)



 今のこの状態は、誰がどう見ても恋人同士のようにしか見えないだろう。

 事情を知っている沼田であっても、誤解する可能性は十分にある。

 沼田がどれくらいに戻ってくるかは不明だが、10分ほどで切り上げた方が良いかもしれない。



「なあ渡瀬――っ!?」


「先輩のにおいー♪」



 時間制限を告げようとした瞬間、渡瀬が頭の向きを変えうつ伏せ状態になる。

 そしてその状態で深呼吸でもしたのか、下半身にじんわりとした温かさが広がる。



「クッ……」



 ムズムズとした怖気が背中を走る。

 股間のニオイを嗅がれるという極めて変態的なシチュエーションに加え、ダイレクトに下半身を刺激されているため色々とヤバイ。

 ……いや、冷静に考えると、股間の臭いを嗅いで人のニオイというのは酷くないか?



「待たせたわね――ってええぇっっ!?」



 そして、おおよそ考え得る限り最悪のタイミングで沼田が戻ってくる。

 沼田の目には、股間に顔をうずめている渡瀬の頭を俺が押さえつけているように見えたことだろう。



「……お、 おっぱじめるなって言ったでしょうが!!!!」



 そう叫ぶと同時に、履いていたであろうスニーカーが飛んでくる。

 俺はそれをなんとか片手で受け止めることに成功した。



「沼田、誤解だ」


「それのどこが誤解だって言うのよ!」


「本当なんだ。おい渡瀬、起き上がって誤解を解いてくれ」


「……すぅ……すぅ……」



 寝ている……、だと……?

 この状況で寝るとか、どういう神経をしているんだ?

 実は酔ってなどおらず、俺のことを困らせようとしてるのでは? としか思えなくなってきたぞ……



「沼田、本当に誤解なんだ。近付いて確認してくれ」


「なっ……!? ナニを確認させる気!?」


「いや、だから無実だということを確認してくれ」


「そう言って、見せつけようとしてるとか……」


「俺にそんな倒錯的な趣味はない!」



 俺の言葉を信用した……というワケではなく、単純に落ち着きを取り戻したらしい沼田は、恐る恐るといった感じで近付いてくる。



「……寝てるの?」


「信じ難いが、どうやらそのようだ」


「そういえば、前の飲み会のときもこの子熟睡してたし、そういうタイプなのかも? ……もうこの子にアルコール飲ませちゃ駄目ね」



 そう言われると、確かに渡瀬は前回も飲み始めてすぐにふにゃふにゃになり、最終的に爆睡していた。

 アレはアルコール度数が高いからだったからという理由だけではなく、元々そういうタイプだったということなのかもしれない。



「この子、アンタの股間のニオイを嗅ぎながらどんな夢を見てるのかしら」


「……やめてくれ。想像したくもない」





 ◇





「渡瀬を背負って帰ること自体は構わないが、無断で家の場所を知ってしまうのは問題あるんじゃないか?」


「別に、この子は気にしないでしょ。それに、知ったところでアンタは何もしないんだから問題ないじゃない」


「まあ当然何もするつもりはないが……」



 恐らく沼田の言うように、渡瀬は自宅の場所を知られても気にはしないだろう。

 しかし、それはそれとしてやはり無断というのは少し抵抗がある。

 なんとなくモヤモヤするので、あとで自己申告するとしよう。



「……ねえ」


「なんだ?」



 しばらく無言で歩いていると、沼田の方から声をかけてきた。



「アンタ的にはさ、どうなの? その子とか、あの女とか……」



 その子というのは渡瀬のことで、あの女というのは柏木のことだろう。

 沼田は何故かあまり固有名詞を使いたがらないが、会話に登場する人物が少ないので誰かはわかりやすい。

 ちなみに嶋崎先輩は、本人がいないところではアレとか形容されることが多い。



「どう、と言われてもな。俺の勘違いでなければ好意は持たれていると思うが、柏木は俺程度の経験量では本気なのか判断できないし、渡瀬については逆に渡瀬自身の経験が足りなさ過ぎて勘違いしている可能性が高い。現状では、俺から二人のアプローチに応えることはできないな」



 これは嘘偽りない俺の本心だ。

 柏木については正直色々心を揺さぶられている自覚があるが、高確率で破滅の道にいざなわれるそうな危険性を感じることから、ギリギリで踏みとどまれている。



「……ややこしく考えすぎでしょ。アンタらしいっちゃらしいけど」


「沼田的にはどう思う? 柏木や渡瀬は本気だと思うか?」


「あの女のことは私にもわかんないわよ。ただ、その子は間違いなく本気でしょ」


「どうして断定できる? 渡瀬は中高と女子高で男と接する機会がほぼなかったらしいぞ。だから偶然俺に助けられ、謎の信頼感が生まれた結果それを恋愛感情と勘違いしている……と俺は予測している」


「だからややこしく考え過ぎだってば! 勘違いだろうがなんだろうが、今の本気には変わらないでしょ!?」


「しかし、あとから幻想だったと気づけば後悔するだろう?」


「親じゃないんだから、アンタがそんなこと気にしてもしょうがないでしょ……」


「それはまあ、そうか……」



 確かに、俺はどちらかというと保護者目線で渡瀬のことを見ていた気がする。

 本人や家族でもないのに、その人のためを思ってと意見を挟むのは少々おこがましいかもしれない。



「全く……。それに、一番大事なのはアンタの気持ちでしょ? 二人がどうのじゃなくて、アンタがどう思ってるかって話」


「……ふむ。そういうことであれば、俺は柏木のことも渡瀬のことも悪くないと思っている。……いや、はっきり言ってしまえば、どちらにも一定以上の好意は持っている」


「……つまり、どっちも好きってこと? 贅沢な話ね」


「いや、厳密には違う。俺は柏木と渡瀬、それに沼田に対して、大体同程度の好意を抱いている」


「そう……………………………………………………………………………………ってハァッ!?」



 深夜の住宅街に、沼田から出たとは思えないほどの大声が響き渡った。


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