第20話 初詣③



 俺は意識的に渡瀬の胸から視線を外すことで、迫りくる煩悩を遠ざける。

 幸い? 感触についてはPコートの厚い生地越しなのであまり感じない。

 視覚情報がなければ邪な気持ちも込み上げてこないだろう。



「せんぱ~い♪」



 ……否だ。

 圧倒的質量の前では、たとえPコートの厚い生地でも感触は消せても柔らかな雰囲気までは消しきれない。

 それに加えて、渡瀬の甘い声が聴覚まで刺激してくるため、一気に限界が近づいてくる。



「クッ……」



 酔っ払いの相手は同性に任せるのがセオリーなのだが、今は沼田も柏木もいない。

 沼田は探せばいるかもしれないが、バイト中のアイツに頼っていいものか……

 いや、今は迷っている場合ではない。

 このままでは社会的にもマズイことになりかねないため、せめて休める場所くらい提供してもらうべきだ。


 沼田を探して視線を彷徨わせると、意外にもすぐに発見することができた。

 というか、男達に絡まれていた。なんてタイミングだ!



「チィッ! 渡瀬、少し離れてくれ」


「やです~! 離れませ~ん!」



 この大きな子どもをどうするべきか……

 ん? そうか、子どもか!



「おい渡瀬、もし離れてくれて、ついでにここで少し大人しくしていてくれれば、ご褒美をやるぞ」


「っ!? ご褒美ですか!?」


「ああ、ご褒美だ。だから離してくれ」


「はい!」



 子どもといえばご褒美に弱い。

 どうやら俺の作戦は上手くいったようだ。



「よしよし良い子だ。それじゃあ、ちょっとの間ここでじっとしててくれ。いいか、絶対動くんじゃないぞ。動いたらご褒美はなしだからな」


「わかりました! えへへ~、ご褒美ぃ~♪」



 幸せそうに笑っている渡瀬を一旦放置し、一秒でも早く沼田の元へ向かう。

 下手をすれば大変なことになるからな……、男達が。





 ◇





「いいじゃんLINE交換するくらいさ~! 折角の新年なんだし?」


「嫌だっつってるだろーが! なんで私がアンタ達に個人情報渡さなきゃなんないんだよ!」


「そりゃ仲良くなるためでしょ。winwin的な?」


「私は仲良くなりたくないからwinじゃない!」


「まあまあ、そう言わずにさ――っ!?」



 沼田に触れようと伸ばされた手を、寸でのところで掴んで制止する。



「やめておけ、怪我をすることになるぞ」


「ああ? なんだよお前?」


「俺はこの巫女の学友だ。悪いことは言わないから手を引け」



 と言っても、この手の輩が簡単に退くとは思えない。

 俺は手前の男の動きを腕で封じながら、残りの二人を目で牽制けんせいする。



「てめぇ、喧嘩売ってんのか?」


「いや、違う。文字通り、あのまま手を出していたらお前は怪我をしていた」


「? どういう意味だよ」


「この巫女は柔道の有段者だ。それも全国区の(多分)。もし触れてたら、今頃投げ飛ばされていたぞ?」


「っ!?」



 俺の言葉に、男三人はわかりやすく反応を示した。

 一人は身構え、一人は身を退き、俺に腕を掴まれた男は明らかに動揺している。

 てっきり俺の言葉を疑うものと思っていたが、意外にもあっさりと信じてくれたようだ。

 恐らくだが、沼田の整ったスタイルから何かスポーツをやっているだろうということくらいは予測していたのかもしれない。



「い、いやいや、女の子が男を投げ飛ばすなんてできるワケが……」


「私は無差別級にも出たことがあるから、アンタよりも体のデカい女子を投げたことだってあるけど」


「っ! ……マジで?」


「こんなことで嘘ついてもしょうがないでしょ」



 いや、ハッタリとしてなら意味はあると思うがな。

 ただ、普通の女子の口から無差別級なんて言葉が飛び出すとは思えないので、恐らく事実なのだろう。



「……あ~っと、お兄さん? この手を放してくれない?」


「もう手を出さないと誓うなら、解放しても構わない」


「っ! さっきからお前は何様なんだよ!」



 男が、掴まれた腕とは逆の手で殴ってこようとする。

 まさかこの状況で手を出してくるとは思わなかったが、片腕を掴んでいるためコントロールするのは容易であった。



「いっ!?」



 俺は膝の抜きと手首を軸とした重心の移動で、男の体勢を崩し膝をつかせる。

 先程身構えた男が咄嗟に制止しようと手を伸ばしたが、その光景を見て驚愕に目を見開いていた。



「あまり手荒な真似はしたくなかったが、手を出されたのなら俺も対処させてもらうぞ?」


「え? 今の、え? 何?」



 膝をついた男は、自分の身に何が起きたかわかっていない様子だ。

 怪我をさせるつもりはなかったので穏便に対応したが、この分だとまた突っかかってくるかもしれない。



「お、おい! 行くぞ!」



 と思ったら、制止しようとした姿で固まっていた男が急に動き出し、放心状態の男に肩を貸して助け起こす。



「お、俺達はもう行くんで、手を放してやってくれませんか!?」


「……」



 肩を貸した男の顔がかなり緊張した様子だったので、俺は何も言わず手を放してやった。



「え? いや、おい、どういうことだよ?」



 放心状態だった男はようやく意識が追いついてきたのか、少し抵抗する様子を見せる。

 しかし、肩を貸した男は一発蹴りを入れてそれを黙らせると、強引に引っ張って距離を取った。



「馬鹿野郎! あんなバキのキャラみたいな真似できる相手に喧嘩売ってるんじゃねぇ! 殺されるぞ!」


「え? お、おう……」



 男二人はそんなやり取りをしつつも、そそくさとこの場を去っていった。

 ちなみに、もう一人いた男は揉め事の気配を感じ取ったのか、もっと早い段階でとっくに逃げている。

 ああいうのが、戦場で一番生き残りやすいタイプなのだろう。



「……アンタ、さっきの崩し……、やっぱり只者じゃないでしょ」


「いや、あんなのは慣れれば誰にもできる。それより、今大丈夫か?」


「この流れで普通に会話始めようとしないで! ……とりあえず、助かったわ」



 俺としてはあの男達を助けたつもりなのだが、沼田としてもワザワザ投げ飛ばしたくなどなかっただろうから、結果的に助かったということなのだろう。



「気にするな。困ったときはお互い様というヤツだ」


「……」



 沼田は何か言いたそうな顔をしていたが、結局何も言い返してこなかった。

 であれば、今度こそこちらの案件を聞いてもらうことにしよう。



「それで、恩を着せるようで悪いが、こっちも今少し困った状況でな。一つ確認したいんだが、この辺で休憩できる場所はないか?」


「休憩って……、なに? あの子を連れ込む気なの?」


「その通りだ」


「っ!? ほ、本気なの!?」


「本気だが、沼田は何か勘違いしているぞ。俺が言っているのは文字通りの休憩できる場所だ。実は渡瀬が酔っ払ってな」



 沼田も半分冗談のつもりだったのだとは思うが、自分で振っておいて顔を赤くするくらいなら最初から言わないで欲しい。



「酔っ払ったって、酒盛りでもしたの?」


「いや、さっき渡された甘酒で酔ったらしい」


「え、マジ?」


「残念ながらマジだ」



 沼田は少し呆れつつも、そういうことであればと寺の離れにある小屋に案内してくれた。

 なんでもバイト用の着替え場所兼、休憩室として提供されているらしい。

 住職には沼田の方で話をつけてくれるそうだ。



「無理を言ってすまなかったな」


「……別にいい。それより、本当にここでおっぱじめたりはしないでよ」


「安心しろ。絶対に手は出さない」



 何の保証もないが、手を出さない自信はある。



「出されなきゃ出されないで惨めな気持ちになるんだからね? ソースはわた……って今のは忘れなさい!」



 と言われても、聞いてしまったからにはそう簡単には忘れられない。

 思い当たるのはやはり去年の歓迎会のことだが……、そうか、俺は気づかず沼田を傷つけていたのか……

 とはいえ、仮に気づけたとしても結果は変わらなかっただろう。

 だから悪いが、今回もスルーさせてもらうことにする。



「よくわからんが、わかった。それで、渡瀬を送っていく件だが……」


「……あと1時間くらいで上がりだから、それまで大人しく待ってて」



 沼田はそう告げると、俺の返事も聞かずに出て行ってしまった。

 やはり機嫌を損ねてしまったのかもしれない。

 一体どう反応すれば正解だったのかはわからないが、考えたところで答えは見つからないので意識を切り替えることにした。



「せ~ん~ぱ~い~! ごほうび~!」



 とりあえず、まずはこの大きな子どもの対処について考えることにしよう。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る