第17話 メリークリスマス



 酷い喉の渇きで目が覚める。

 昨晩は珍しくかなり飲んだし、冬の空気は乾燥しているので口の中がカサカサだ。


 動こうとして、背中が妙に温かいことに気づく。



「あん♪」



 背中に押し当てられた柔らかな双丘がカタチを変え、それに反応したかのように嬌声が上がる。



「……」



 見るまでもなく、柏木が背中に張り付いていることがわかった。



「う~みゅ……、鏑木せんぱぁ~い♪」



 柏木は、むにゃむにゃとした口調で俺の名前を呼びながら顔を擦り付けている。

 寝言のつもりなのかもしれないが、流石にそれは無理がある。



「柏木、起きているだろう」


「起きてませ~ん♪ 寝てま~す♪」



 そう言って柏木は、より密着し体を擦り付けてくる。

 いくら俺が精神の制御に長けているといっても、ここまでされれば流石に厳しいものがある。

 このままでは、いつ抑えがきかなくなってもおかしくない。



「寝ててもいいから離れろ」


「やです~♪ ポカポカ温かいから離れません~♪」


「俺は湯たんぽじゃないぞ」


「一緒ですよ~。おっきな湯たんぽです♪」



 冬場に温かい布団から出たくない気持ちはわかるが、爆発寸前の爆弾を抱えているようなものだということに気づいて欲しい。



「それに~、鏑木先輩も寒いですよねぇ? このお布団薄いですし~」



 確かに、柏木の言う通りこの掛布団は薄いせいか少し寒い。



「薄いと思っているのなら、何故毛布くらい用意しない」


「普段はもう少し厚着してるし、湯たんぽもあるから平気なんですよ~」



 成程、つまり本当に俺は湯たんぽ扱いされているということだ。

 そういうことであれば、少なくともこれ以上の行為に及ぶことはないだろう。

 もしこのまま誘惑されていれば堕ちていた可能性も無くはなかったので、少し安心する。



「ならば本物の湯たんぽを使え。離れないと強引に寝返りを打つぞ」



 俺は壁際に向かって腕を組んで寝ていたので、後ろに隙間がないと起き上がることができない。

 無理やり起きるのであれば、柏木ごと寝返りを打つ必要があるのだが、流石に婦女子を圧し潰して起き上がるのは抵抗がある。

 だから口では強気に言ったものの、実際はただの脅しに過ぎなかった。



「そんなこと言って~♪ ココは素直に反応してるじゃないですか♪」



 そう言って柏木は、片手で俺の下半身をまさぐり始める。

 前言撤回だ。やはり柏木は危険である。安心はできない。



「前にも言ったが、ただの生理現象だ」



 実際には朝じゃなくても同じ状態になっていた可能性が高いが、あくまでも生理現象ということにする。

 そしてこのまま弄られていては本気でマズイので、俺は迷わず最終手段を行使した。



「ぐにゅっ!?」



 寝返ることで一瞬俺の全体重が乗っかり、柏木が変な声を上げる。

 少し気の毒ではあるが、悪いのは柏木なので謝罪はしない。



「うぅ……、酷いです鏑木先輩……」


「柏木が離れないのがいけない」


「それはそうですけど~、今のはちょっとズルいですよぅ……。あんな風に女の子にのしかかって、少し興奮しちゃったじゃないですか~」


「っ!? 興奮だと? 今のどこに興奮要素がある」


「それは、強引に征服された感じというか、圧迫感が癖になるというか……」



 まさかコイツ、マゾっ気もあるのか?

 普段は自分から攻めてくるというのに……、性癖が歪み過ぎだろう……

 恐らくこれまでの経験が関係しているのだろうが、俺がもし純粋な男だったら確実にドン引きしていたハズだ。



「……変態め」


「うふっ♪」



 女性に変態と言われて喜ぶ男はいるが、逆のパターンもあるのか?

 ……いや、恐らく柏木が特殊なだけだろう。

 深く考えても無駄だろうから、俺は思考を放棄した。





 ◇





「ええっ!? 鏑木先輩、もう帰っちゃうんですか!?」


「今日も仕事だからな」



 仕事は夕方頃からなのでまだ時間に余裕はあるが、ここから家までは結構距離があるので早めに行動するに越したことはない。



「私も仕事ですけど~、それまで一緒にいてくれてもいいじゃないですか~」


「ダメだ。風呂くらいは入っておきたいからな」



 運送業は、接客業ほどではないが客と接する職業だ。

 最低限の清潔感は求められる。



「別に、ウチでシャワー浴びていけばいいじゃないですか~」


「そんなことできるか」



 一人暮らしの女性の風呂場を借りるなど、恋人でもない男がしていいとは思えない。

 というか、流石に無警戒過ぎる。

 もし隠しカメラを仕掛けられたりしたらとか、他にも色々されたらとか思わないのだろうか。



「一人だと寒いんだけどなぁ……」


「そりゃあ、そんな恰好だと寒いに決まっている」



 柏木は今もサンタコスのままで、部屋の中だというのにトレンチコートを羽織っている。

 どうやら家の中ではカイロを節約しているようだ。



「……そういえば今日も仕事と言っていたが、また売り子か?」


「はい! 今日もサンタコスで売り子ですよ!」


「サンタコスって、まさかソレでか?」



 一晩中着っぱなしだったサンタコスは、流石にアチコチよれており皺だらけだ。

 見た目を気にする柏木がこのまま着ていくとは思えないが……



「あ、今日着てくサンタコスは別にあるので大丈夫ですよ」


「……そうか」


「そこは少し二着目があることを驚いてもよくありません!?」


「この部屋ならあってもおかしくないだろ」



 昨日寝る前に(自分で)着替えさせるべきだったかと思ったが、要らない心配だったようだ。



「さて、じゃあ俺は帰るからな」


「ふ~ん! いいですよぅ! 一人部屋で震えてるんで!」



 ぷくっと膨れている柏木を無視して部屋を出る。

 すると、想像していたよりも遥かに寒くて思わず震えてしまった。

 冷暖房もない部屋だったので外との寒暖差などほぼないと思っていたが、衣服だらけのせいもあってかそれなりに暖は取れていたようだ。



(……しかし、それでもやはり、あの部屋は寒かったな)



 あんな寒い部屋で女性が一人暮らしするというのは、一体どんな心境なのだろうか。



(「一人だと寒いんだけどなぁ……」、か)



 あれはもしかしたら、時間つぶしに俺を利用しようとしていたのではなく、柏木の本音だったのかもしれない。



「……チっ」



 本当に、面倒な女だ。





 ◇





「はーい!」



 呼び鈴を鳴らすと、ドタバタと音を立てて柏木がチェーン越しにドアを開く。



「あれ? 鏑木先輩?」


「ああ」



 柏木は俺だとわかるとチェーンロックを外し、すぐにドアを全て開ける。



「……なんて恰好をしてる」



 姿を現した柏木はシャツ1枚にジャージという、大分ラフな恰好をしていた。



「あ、さっきまでお風呂入ってたので」



 成程、暖房器具はなくても風呂があれば暖は取れると。

 ……これは、失敗したかもしれないな。



「だからと言って、そんな恰好で客を出迎えるな。もう少し危機感を持て」


「はーい。で、鏑木先輩はどうして戻ってきたんですか? って、なんですかその荷物は?」


「……一応、寒かろうと思って、だな。しかし、必要なさそうなのでこれは持ってかえ――」



 と、俺が言い終わる前に荷物を奪われる。



「ま、まさか、コレは……!」



 カラフルな包装がされた包みを高く掲げ、柏木がプルプルと震えている。

 それに合わせるように胸がプルプルと震えるので、もしかしなくてもノーブラの可能性が高い。



「風呂上がりとはいえ、その恰好は寒いだろ。とにかく中に入れ」



 柏木を無理やり家の中に押し込む。

 その間も、柏木は目を輝かせながら俺と包みを交互に見ていた。



「鏑木先輩! コレ! アレですよね!? クリスマスプレゼントってやつですよね!?」


「……結果的にはそうなる」


「なんですその言い回しは!? あ、でもそれより中身が気になります! 開けていいですか!?」


「……ああ」



 恥ずかしさと悔しさが入り混じったような複雑な感情が渦巻くが、努めて無表情を維持する。



「うわぁぁぁぁぁぁっ!? 毛布だぁぁぁぁっ!」


「まあ、寒そうだったからな」


「超嬉しいです! あ、まさかそっちの小さいヤツも?」



 柏木が目ざとく俺の持つもう一つの荷物を見つけ――いや、俺は元々荷物を持っていなかったのだから、バレバレだったのかもしれない。



「これは足元用のミニファンヒーターだ。この部屋だと火事の恐れもあるかと思ったが、このサイズなら大丈夫だろう」



 それでも扱いには注意なので、柏木には十分注意をしておく。



「本当に嬉しい……。私、今まで貰ったどのプレゼントよりも嬉しいかもしれません! 鏑木先輩、抱い――」


「じゃあ、俺は帰る」


「えぇっ!? ちょ、ちょっと! 鏑木先輩ぃ!?」



 俺は柏木の制止を振り切り素早く家を出る。

 正直、あのままだと、表情が綻ぶのを抑えきれなかった。



(まさか、あそこまで無邪気に喜ばれるとはな……)



 完全な不意打ちである。

 心を落ち着かせるため、俺は駅まで走ることにした。



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