第12話 クリスマス会①
とりあえず駅前に戻ってきたが、これからどうするかは何も決まっていない。
この恰好の柏木を連れて飲み屋やレストランに入るのは抵抗があるし、このまま連れまわすのも目立つため避けたいところだ。
できれば寒いので屋内に入りたいところではあるのだが、そうなると候補はカラオケくらいしか思い当たらない。
しかしカラオケは……、正直個人的にあまり入りたくない。
というか、柏木はこんな露出の多い恰好で寒くないのだろうか。
「柏木、そんな恰好で寒くないのか?」
「もちろん寒いですよ~! だから温めてください♪」
そう言って柏木は絡めた手を下に滑らせ、手を握ってくる。
「って冷た! 鏑木先輩の手、氷みたいに冷たいですよ!? もしかして、ずっと外で待ってたんですか!?」
「……まあな」
「そんな……、私のために……」
「いや、外で待ったのは単純に俺の判断ミスだから気にするな」
外で待ったのは俺の勝手な判断だし、文句などを言うつもりは一切ない。
むしろ、結果的に柏木の気を煩わせることになったことを、少し申し訳なく思う。
「気にしますよ! こうなったら、私が鏑木先輩を温めます!」
柏木はそう宣言するとともに、握った俺の手を自分の腹の辺りにあるポケットに滑り込ませる。
「おい、何を……、ん?」
俺は咄嗟に手を引き抜こうとしたが、ポケットの中の異様な温かさに思わず手を止める。
「これは……、カイロか?」
「ふふっ、温かいでしょ、私のナカ」
「……」
「あっ、そんな引かないでくださいよ~」
いきなりオッサンの下ネタのようなことを言い出したので、手とは反比例するように心が冷えた。
流石に柏木も失敗したと思ったのか少し顔を赤くしているが、今の発言でコイツが処女だという信憑性がさらに薄れた気がする。
「……ちゃんと防寒対策はしていたんだな」
「そりゃあしてますよ~。いくらなんでも、この寒さの中この恰好で売り子なんかしたら凍え死にます」
「だったら上着くらい着ればいいんじゃないのか?」
「それじゃこの衣装の意味がないじゃないですか!」
「そうだとしても、仕事が終わったら別にいいだろ」
「良くないです。可愛さが損なわれるじゃないですか。私、ファッションと美容には全力なんです!」
それは普段の柏木を見ていればはっきりとわかる。
財布に小銭すら入っていないことの多い柏木だが、服や化粧に関しては全く妥協している様子がない。
並々ならぬこだわりがあることは間違いないだろう。
「う~ん、でもこれじゃ片手しか温められませんね。鏑木先輩、私を後ろから抱くような感じでポケットに手を――」
「やらん」
絵面が酷すぎる。
恋人同士に見えるならまだマシだが、変態的行為をしているように見える可能性も十分ある。
片手を柏木のポケットに入れている今の状態だって、見ようによっては大分きわどいだろう。
俺個人の感覚としても、女性の服の中に手を突っ込んでいるのはかなり罪悪感がある。
「もう十分温まったから、そろそろ解放してくれ」
「ダメです~。放しませ~ん」
強引に引き抜きたいところだが、腕に絡みつかれてるため簡単には引き剥がせない。
無理やり振り払うようなことでもないので、結局そのままにするしかなかった。
「……ところで、これはどこに向かっているんだ」
土地勘のない俺はとりあえず柏木の先導するまま歩いていたのだが、段々と好奇の視線が気にならないくらいに人気がなくなっていることに気づく。
「どこって、ウチですよ?」
「それは却下と言っただろう」
「でもでも、選択肢なんてもう他にないですよ? さっきのカラオケが最後のチャンスでした」
「……」
確かに俺は、先程柏木が候補に挙げたカラオケに対し難色を示した。
そういう意味では自業自得なのだが、だからと言って柏木の家がOKということにはならない。
「そんな嫌がらないでくださいよ~! 絶対襲ったりしませんから!」
完全に男側のセリフな気がするが、柏木は前科があるのでまるで違和感がない。
「……わかった。あまり信用はできないが、カラオケを拒否したのは俺だしな」
「やった~♪ 家でクリパって、ちょっと憧れてたんですよね~」
柏木は本当に嬉しそうに笑顔を浮かべている。
その表情に偽りはないように見えるが、柏木の表情は非常に読みにくいため、真意はわからない。
「それで鏑木先輩、申し訳ないんですけど、そこのコンビニでお酒とおつまみ買ってくれませんか? ケーキは私が用意したんで!」
そう言って柏木は、下げているポーチをポンポンと叩く。
普段のより大きめのポーチだと思ったが、どうやら中にはケーキが入っているようだ。
恐らくバイトの特権で貰ってきたのだろうが、それを用意したと言えるのは中々に図太い神経をしている。
「まあ、こうなるであろうことは予測していたし、それは構わない」
以前の俺であれば柏木に奢ることにかなりの拒否感があったが、三か月もの間好意をぶつけられれば流石に情くらいは湧く。
先輩として後輩に奢るくらいはしてやってもいいだろう。
「わーい♪ その分いっぱいサービスしてあげますから、期待しててくださいね♪」
「それはやめろ」
◇
「……ここが、私の家です。どう……、ですか……?」
コンビニから歩いて5分程度の場所に、柏木の住むアパートはあった。
その点だけ見れば、生活しやすい立地と言えるだろう。
しかし駅からはかなり離れているし、何より、どう見てもボロい安物件だ。
華やかな柏木が住んでるとは、とてもじゃないが思えない。
「……ボロいな」
「あは♪ 鏑木先輩なら、そう言うと思ってました♪」
「悪いな。何度も言っている通り、俺は基本的に嘘や世辞は言えない。……しかし、ボロいと言われたのに何故嬉しそうなんだ?」
たとえ事実だとしても、自分の住む家をボロいと言われて喜ぶ人間は普通いない。
いるとすれば、相当な変わり者だ。
柏木がそれに該当するかどうかというと……、中々に微妙なところだ。
「この家に人を招いたのは鏑木先輩を含めて三人目ですが、前の二人は明らかにドン引いてました。それなのに趣があるとか、味があるとか、なんとか褒めようとしてて凄く滑稽だったんですよね。それに比べて鏑木先輩は凄く正直で、何だか安心しちゃったんです」
俺は表情を乱さないよう常に意識しているだけで、実際はそれなりに引いている。
いくらなんでも、見目麗しいうら若き女子が一人暮らしするような物件とは思えなかったからだ。
周囲は閑散としているし、これだけボロいとセキュリティ面でも不安がある。
本当に大丈夫なのだろうか……
「さ、どうぞ中へ。中も結構凄いですよ?」
招かれるまま玄関に入ると、いきなり目の前に洋服がギッシリかかったハンガーラックが設置されていた。
廊下は狭いので、ほとんど隙間がない。
「あ、気にせず強引に通っちゃってください」
……それしかないのだが、流石に気にせずにはいられない。
「柏木……、いくらなんでもこれは……」
「あ、さすがの鏑木先輩も引きます?」
「まあ、な……」
とりあえず突っ立っていてもどうにもならないので、洋服を落とさないように注意しながら中に進んでいく。
部屋に入り電気を点けると、これまた酷い惨状であった。
「これは酷いな……」
見渡す限り服、服、服。
他にもカバンや化粧品といったものが、所狭しと置かれている。
服は全てハンガーにかかっているので乱雑さはあまり感じないが、これは立派な汚部屋と言っていいのではないだろうか。
「酷いって、ちゃんと整理されてるじゃないですか!」
「そうだとしても、これは汚部屋にしか見えないぞ」
「そんな~!」
汚部屋とは、読んで字のごとく汚い部屋を意味する言葉だ。
普通は足の踏み場もないほどゴミが散らかっていたり、物が整理されていない状態を指すため、厳密には汚部屋とは呼べないのかもしれないが、空間占有率という意味では普通の汚部屋よりタチが悪い。
普通の汚部屋は床に物が溢れていてる状態のため、比較的高位置の空間には余裕があるものだが、この部屋は服のかかったハンガーラックがいくつもある関係上、胸の辺りまで空間が占有されている。
天井付近にも物干し竿が設置され、何着もの服が吊り下げられているので、ちょっとしたホラー感がある。
「柏木……、こんな圧迫感のある部屋でよく暮らせるな……」
「慣れれば平気なんです! ホラ! 早く座ってください! この部屋では基本的に立っているのはNGです!」
柏木は座りながらそう言って、小さなテーブルをポンポン叩く。
どうやら、このテーブル付近が生活スペースのようだ。
「その前にトイレを借りたいんだが」
仕事中から含めると、かなりの長時間トイレに行っていない。
寒かったこともあり、そろそろ尿意が限界まできている。
「あ、トイレならそこのドアなんで、どうぞお使いください」
キャスター式のハンガーラックを動かすと通り道ができ、ドアが視認できた。
色々と言いたいことはあったが、とりあえず尿意が激しいのでまずはトイレを借りるのを優先する。
「っ!?」
ドアを開いて一瞬驚かされる。
なんと、和式便所だったのだ。
まさか、まだ東京にも実在したとは……
最近では駅のトイレですら洋式になっていることが多いので、久しぶりに見た気がする。
柏木は、毎日これで用を足しているのか……っといかんいかん、変な想像をしてしまった。
とりあえず尿意を解消し、テーブルに戻ると可愛いコップが用意されていた。
「コップ、あったんだな」
「そりゃありますよ! 私のメイン飲料は水道水ですからね!」
コップ自体も無機質な無地のガラスコップではなく、女性の好みそうな可愛らしいデザインのコップで少し安心する。
一応万が一のために紙コップも買ったのだが、流石に無用な心配だったようだ。
俺はビニール袋から酒類を取り出し、テーブル――は狭いので床に並べる。
クリスマスイブということもあってコンビニに普段並ばないような洒落た酒がいくつか売っていたが、基本は缶チューハイだ。
それでも一応シャンパンは買ったので、まずはそれを開けることにする。
「……それじゃ、乾杯するか」
「はい♪」
コップがぶつかり合う小気味の良い音が鳴るが、部屋に布地が溢れているせいか反響はほとんどしなかった。
「かんぱ~い♪」
「乾杯」
こうして、寒いのでコートを着たままの俺と、サンタコスの柏木とによる、二人だけのクリスマス会が開始された。
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