ふたりなら

 有象無象が忙しなく行き交う吉祥寺駅。

 昼間の喧騒はあらゆる人、色、香りや音が飛び交っている。それなのに、そのどれもが彼の興味を射止めることはなかった。

 彼は忙しなく行き交う人の流れを見ていた。片手に持ったスマートフォンの画面をタップし、到着を知らせるメッセージを見る。そうしてまた、濁流のような喧騒に視線を向ける。その中に閃くものがあった。落ち着いた藤色、タック入りの膨らみのある袖、風に靡くワンピースの裾……さながら風纏う鈴蘭のような姿――彼女だ。

 彼は彼女に「見つけた」とメッセージを打って送信すると素早く階段を下りた。革靴とは到底思えない速さで。

 彼女が首を回して、はっと彼に気がづいた。スマートフォンを両手で胸の前に持ち、ぴたりと歩みを止めて真っ正面から彼を見る。彼女がぱっと咲かせる笑顔に、彼は再び恋をした。

 この時間と場所が君の笑顔のためにあるような、すべてが君のためのエキストラだ! なんて言葉を胸の内で叫びながら彼女に歩み寄る。

 彼女は少し恥じらうような満面の笑みで彼に歩みでた。彼は彼女の背中に片腕を回し、すっと自分の方へと寄せて、顔に触れないように耳元へ顔を寄せた。

「やっと会えた」

「やっと会えたね」

 二人は笑みを交わし、指と指を絡めて歩き始めた。

 行こうと言っていた彼女のお気に入りの雑貨屋へと足を向けるが、なかなか辿り着けない。結局建物の反対側に来ていたことを知り、二人して声を上げて笑った。たったそれだけのことだったが、彼はその時間の浪費にさえ満たされていた。

 雑貨屋は小皿などの生活用品、アクセサリー類が木棚に整列されてた。木棚は向こう側が見えるようになっていて、店内にある製品がいろいろな角度から目に留まるようになっている。

 二人してこれが綺麗、可愛いと声を上げて共感し、手に取ってはどこがいいと思うかを語らった。お互いが大事にする世界の色を知り、互いの世界に色を添えていく他愛のない会話、隣で歩き、話す彼女の笑顔――二人だからこそ築き上げられるその瞬間の重なりすべてが、彼にとって愛おしいものだった。

 互いの世界を感じ合う旅を終えて歩いていると、ガラスのショーケースに並ぶケーキに目を奪われた。季節の変わりを感じさせるように、モンブランが大々的に推しだされている。モンブランだけでも数種類あったが、その二台巨頭を担う和風モンブランと洋風モンブランに二人は悩んだ。

「だいたい、和風モンブランと洋風モンブランの違いってなんだ?」

「たしかに」

「栗の生産地? ほら、お酒でもそういうのあるだろ。ウイスキーとバーボンとか」

「あ~、え、バーボンってなんだっけ?」

「同じ麦からの蒸留酒で――」

 お客様ご来店用スマイルの時間制限をとっくに終えた店員が、何を考えているのかわからない能面のような微笑みをショーケース越しに投げかけている。

「よし、二つとも楽しもうか!」

「あ、そうしよう!」

 店内は白を基調としたヨーロッパ宮殿の内装にも似ていた。入っただけで気持ちが高揚する。非現実感に満足しながら、小綺麗なおばさま方が囲む円卓やテーブルを縫って進み、奥へと案内された。

 店内の喧騒から少し離れた、カップルなら予約してでも取りたいであろうその半個室の部屋に二人は「当たりだ」とニンマリと言葉を交わし席についた。しかし、ほどなくして隣の席に二人組のおばさまがやってきた。人生そううまくは行かない。

 壁に立てかけてある絵はどれも油絵で、色合いがにぎやかで美しいが何が描かれているのか皆目見当もつかない。

「うお、これ油絵だ。いいね」

「あ、ほんとだ! こんなにボコボコしてるんだ」

「ボ、ボコボコ?」

 彼はどういうことかと動揺しながら油絵を見つめる。なるほど、確かに、絵の具を指か筆かわからないが、一筆一筆の境目が隆起して、さながら小さな山脈を織りなしている。

「ほんとだ、こんなにボコボコしてるとは」

「いや、ごめん、わたしの語彙力のなさが恥ずかしい! こんなに近くで見たことないから」

「俺も気づかなかった。ボコボコだ」

「ねぇ、やめて、ほんと恥ずかしい」

 注文をして、届いたモンブランと珈琲を堪能してから二人はカフェを出た。それから散策し、気がつけば太陽はビルの向こう側へ。空は橙と群青を背景に雲たちがたなびいている。

 大きな交差点までやってきた。その一角だけ木々が生い茂り、一足早く夜の帳を落としたように異質感を纏っている。木々が生い茂る一角の周りは石の柵があり、大きな鳥居があった。提灯をずらりと並べて、橙色の灯りは何かを期待させてくれる。

 二人はワクワクしながら、握り合う手に力を入れてリズムを取る。祭りだ祭りだと口ずさみながら鳥居をくぐった。

 境内は歩くのも精一杯だった。前の人の踵を踏まないか不安になるほどで、彼女の手を後ろに回した手で感じながらゆっくりと歩く。近づかなければ屋台の出し物さえわからない。彼女と食べ物の香りに鼻を向けては、美味しそうだねと短く言葉を交わす。

 彼女の手を握る。彼女もまた、握り返してきた。

 焼きそば、りんご飴、地鶏の串焼き、団子、それらを片手にすれ違う人々の笑顔。人混みに気圧されて揉まれそうになる中でも、二人の手は堅く繋がれている。手をひく彼が振り返れば、彼女は彼の目を微笑みとともに見つめ返した。祭りの喧騒とうねるような熱気の中でも、二人の視線はブレることなく交わった。二人の空間、二人だけの瞬間。

 彼と彼女は人混みと屋台を抜けて境内を奥へと進んだ。階段を登り、賽銭を入れて作法に則って参拝をする。二人は出逢えたことへの感謝に頭を下げた。

 彼は深い感謝を心の中で唱え、どんなことがあろうと彼女と向き合い、重ねていく時間を大切にしていくと約束した。二人のその姿が、身の回りの人たちをも幸せにさせられるような、そんな絆にしていくと。

 彼は目を開けた。横を見れば彼女はまだ手を合わせ目を閉じていた。それを見て、彼は彼女への想いが膨れ上がるのを感じた。自分の方が彼女を愛していると感じていたにも関わらず、自分よりも深く長く感謝の意を示している。

 何があっても君を愛そう――雨に濡れて深々と地を固める山のように強く静かに、そう心のなかで約束する。

 参拝の後は人の間を縫って屋台を楽しんだ。初めて聞く鶏皮餃子のぷりぷりとした食感と鶏の旨み、ポテトを愉しみ祭りを後にした。

 雑貨屋や服、香水にインテリア店の灯りに照らされた吉祥寺の通りを歩いていると、ふとヴァイオリンの音が聴こえてきた。地下へと続く階段からそよ風のように音色が上がってくる。階段の前にはチョークで『Strings』と書かれた看板が立っている。演奏を聴きながらお酒を楽しむBarのようだった。

 二人は顔を見合わせた。好奇心に満ちた互いの視線は笑みに変わる。

「見てみよう」

 二人は階段を降りた。艶のある深い色の煉瓦の階段、どんどん暗くなっていく。最後まで下りると幅の狭いドアが開いていた。そこからヴァイオリンのい音が聴こえてくる。音の大きさだけでなく、弦の響く力強さまで伝わってくる空気に、生の音色だと確信する。

 二人は、揃って開いた扉に頭を出して店内を覗った。

 十席ほどしかない店内はグラスの中身のような灯りに満ちている。部屋の奥にグランドピアノ、その横にヴァイオリニストが立っていた。ちょうど一曲終わったところのようで、ヴァイオリニストが拍手のなか顔を覗かせいてる二人に気がついた。

「あら、いらっしゃい」

 その言葉に店内の全員が振り返る。彼と彼女は電気が走ったかのように身をピンとさせて扉から離れた。

「ど、どうする?」

「え、どうしよう」

 刹那、互いの視線に躊躇いを感じ合う。だが、それはすぐに期待へと変わる。

 二人だからこそ行ける場所がある。

 頷くと二人は店に入った。カウンター席の一番手近な止まり木に座る。そうしてすぐさま演奏が始まった。

 頼んだお酒がやってきて、グラスを傾けながらヴァイオリンとピアノの音色を堪能する。時折二人は見つめ合い、それぞれが音色に想いを馳せた。

 優しく郷愁を誘うヴァイオリンの音色は、彼の心に彼女との出会いからこれまでのことを思い出させた。彼女との出会い、それから見せてくれた数々の笑顔、笑い声、時に向き合う真剣な視線に不安げな表情。そして彼女に向けてきた彼自身の想い。楽しいばかりではなかった。想うからこそ辛くなることだってあった。不安に駆られ、愛が別のものに変わりそうになることだってあった。だけど、その苦しみと不安のすべてが物語っている。

 彼は両手でグラスを包み込み、小さく身を揺らしている彼女の姿を見た。

 今日、このBarに飛び込んだように、彼女とだったらどこへでも行ける。なんだって築けるし、そのための壁も乗り越えられる。乗り越える苦しみだって喜びとして堪能しきってやろう。彼女が俯くときは、心を添えて、彼女の笑顔を引き出そう。

 俺は、君を愛しているよ。

 彼はその言葉を微笑みにのせ、彼女の顎先をそっと撫でた。

 

 

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かれかの 彗暉 @SUIKI

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