第5話 朝飯
「汚ったねえ部屋だなあ。なんで一晩でこんなに汚くなってんだよ」
次の日の朝、再び集会所にやって来た浦沢が部屋を見回し呆れる。更紗の部屋は、一晩で絵とゴミで足の踏み場もない状態になっていた。
「うるさいわね。いいでしょ別に汚れてたって」
絵を描いていた更紗は、首だけ動かして、そんな浦沢を、睨むように見た。
「それにしても酷過ぎだろ。これは」
浦沢はあらためて部屋を見回す。どうやったら逆にここまで汚くできるのか不思議なほどの汚れっぷりだった。
「なによ。何しに来たのよ」
「ほらよ」
浦沢は、コーヒーの入ったカップと、チョコレートパイの二つ乗ったお盆を差し出した。
「朝飯」
「・・・」
更紗はこの時、初めて昨日の朝から何も食べていないことに気づいた。
「・・・」
コーヒーの香りにチョコレートの甘い香りが重なり、堪らなくいい匂いがそんな更紗を刺激する。そのおなかは最高潮に空いていた。
「ほら、食べろよ。おなか減ってんだろ」
更紗はそのお盆を受け取った。
「ていうかお前、一晩中絵を描いてたのか」
浦沢が、赤くなった更紗の目を見て驚く。
「うん、だって昨日丸一日ほとんど絵が描けなかったのよ」
更紗がさっそくコーヒーをすすり、一つ目のチョコパイにかぶりつきながら答える。
「そんなに好きなのか」
浦沢は呆れながら驚く。
「寝食を忘れて絵に没頭できるなんて、やっぱり私は天才なんだわ」
そんな浦沢を無視して、更紗は一人自画自賛する。
「だんだん、お前っていう人格が分かって来たよ・・💧 」
そんな更紗を見て浦沢が呆れながら言う。
「ていうかあなたは何者なの」
更紗が浦沢を見た。
「俺はアナーキストだ」
浦沢が答える。
「ホモってこと?」
「アナルセックスじゃねぇよ。アナーキスト。無政府主義者だ」
「何よそれ」
更紗は眉間にしわを寄せる。
「そんなに眉間にしわを寄せるなよ。そんなに難しい話じゃない。要するに何にも縛られずに自由に生きる奴ってことだ」
「じゃあ、そう言いなさいよ」
更紗は、不機嫌に言う。
「まっ、そりゃそうだな。はははっ、やっぱ、お前はおもしろいな」
浦沢は笑う。
「何よ」
更紗は、自分が笑われたと思いむくれる。
「だが、そう単純でもないんだ」
「何がよ」
「俺たちは知らず知らずのうちに奴隷にさせられているんだ」
「はい?」
更紗は、さらに眉間にしわを寄せる。
「奴隷って何よ」
「権力って奴は、個人の自由を常に抑圧しようとしてくる」
「抑圧?権力?」
更紗はなんの話かまったく分からない。
「この国は腐っている。税金や第二の税金と言われる社会補償費はがっぽり取っといて、三十年のデフレ、不況、コロナ、円安、物価高で、今庶民は苦しんでいるのに、そのためには税金はほとんど使わず、ゴミみたいなマスクを二枚配ってどや顔してふんぞり返ってる。自分たちの私腹を肥やす利権だ裏金だって、自分たちはしこたま税金を懐に入れてだ。しかも利権や裏金がばれても、一部のしっぽ切りで、主要な奴らは誰も逮捕もされない。責任もとらないし、議員辞職すらしない。本当にこの国は腐りきってる」
今まで穏やかだった浦沢がいきなり饒舌に熱く語り出す姿を更紗は少しポカンとしながら黙って見つめていた。
「さらに庶民がこれだけ苦しんでいるのに税金を上げようとまでしてくる始末だ。しかも、金持ちや大企業に有利な消費税だ。俺たちは政治家が大企業と組んで作り上げたブラックな労働条件で働かされ、そこから税金を山ほどとられて、なんの見返りもなく利権者たちは肥え太るだけ。俺たちは知らず知らずのうちにそうやって奴隷にさせられているんだ。分かったか?」
「・・・」
更紗は、しかし、ポカンとしている。
「だが、この国は変わろうとしない。あの原発事故が起こってもだ。相変わらず自民党公明党が組織票、団体票で選挙に勝っちまう。だから俺たちは、そんなクソみたいな連中の運営するこの社会から一抜けさせてもらったのさ。俺たちは俺たちで勝手にやるさってことさ」
「・・・」
「どうだ、お前も腹立っただろう」
浦沢は更紗をドヤ顔で見る。
「全然、あたしは絵さえ描ければそれでいいから」
しかし、更紗は何も感じていない。
「お前は応為みてえな奴だな」
浦沢は呆れる。
「応為って誰よ」
「葛飾北斎の娘だよ。絵描きのくせにそんなことも知らねえのかよ」
「知らないわよそんなもん」
「はははっ、その気の強さ。ますます応為だね」
浦沢は豪快に笑う。
「お前は美大とか出てんのか?」
浦沢は話題を変えて更紗に訊く。
「行くわけないでしょ」
「そうなのか?」
「なんで絵を習うのよ。ゴッホは絵なんか習わなかったわ」
「なるほど、確かに。ゴッホが美大に行ったなんて話は聞かないな」
「私は私の描きたい絵しか描かないの」
「でも、美術部とかぐらいは入ってたんだろ?中学とか高校の」
「あたし学校行ってないもん」
「あっ?そうなのか」
浦沢は驚く。
「小学校中退」
「中学も行ってねぇのか」
「うん」
「そうか」
「時間がもったいないでしょ。あんな退屈なとこになんで朝から晩までいなきゃいけないのよ。絵を描く時間がもったいないわ」
「はははっ、こりゃますます面白い。根性座ってるな」
浦沢は笑う。
「・・・」
更紗は浦沢の反応にまたバカにされたと思って不貞腐れる。
「ていうかお前学校に適応できなかったんだろ」
「ふん」
「図星だな」
「あんなもんに適応なんかしたくないわ」
「いいね。その感じ好きだぜ。お前は立派なアナーキストだ」
「私はホモじゃないわ」
「だから、アナルセックスじゃねぇって言ってんだろ。何聞いてんだよお前は」
「うるさいわね。ちゃんと聞いているわよ」
と言いつつ全然分かっていない更紗だった。
「まあ、お前のその性格じゃ、学校でおとなしくってわけにはいかんわな」
「わけわかんないもん」
「あっ?」
「数字とか言葉なんて」
更紗は、急に声を落として言う。
「・・・」
「あと友だちとか・・」
「なるほど」
「意味分かんないもん・・」
更紗の言葉の裏には怒りと、そして、どこか悲しみが滲んでいた。
「お前本当に学校にも行かずに絵ばっか描いてたのか」
「そうよ。私はずっと絵を描いてた。小さい頃からずっと。私は絵さえ描ければそれでいいの」
「はははっ、いいねぇ、俺、そういうの好きだぜ」
「・・・」
「お前は最高だよ」
「バカにしてんの?」
「俺はマジだぜ。お前気に入ったよ」
更紗は浦沢を見る。浦沢の目に、嘘はなかった。
「・・・」
更紗は不思議な感覚に襲われる。今まで、自分のことを変だ、頭がおかしいと散々バカにされたりお説教されたりはあったが、褒められたり気に入られたことなど、露の一つもなかった。
「俺は大学まで行っちまったな。お前がうらやましいよ。大学は中退だけどな。はははっ」
「・・・」
「まっ、ここはお前みたいな変人ぞろいだから、絶対気に入ると思うぜ」
そう言って、浦沢は行ってしまった。
「・・・」
更紗は黙ってそんな浦沢を見送った。
「誰が変人なのよ」
だが、浦沢が出て行った後、更紗ははたと気づき、部屋の出口に向かって叫ぶ。更紗は自分が変人だという自覚もない真正の変人だった。
廃墟マンズ ロッドユール @rod0yuuru
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