第2話 元彼

「お前が出てったんだぞ」

 更紗の窮状の訴えに青年は逆にいきり立つ。

「でも、私困ってるんだよ。隆司」

「ていうかよく顔出せたな。お前のせいで俺がどんだけ酷い目にあったと思ってんだよ。部屋は絵で占拠するし、絵具で部屋のあちこち滅茶苦茶に汚すし、働かねぇし、金いれなぇし、滅茶苦茶金浪費するし、俺がだな・・」

 隆司と呼ばれた男は、興奮し過ぎて後半舌が回らなくなっていた。

「とりあえず入るわよ。話は中で」

「おい」

 だが、更紗はそんな隆司を無視して、慣れた様子で、隆司の部屋に勝手に上がっていった。

「相変わらず滅茶苦茶自己中でマイペースだな・・」

 そんな更紗に隆司は呆れる。

「相変わらずミニマムな部屋ね」

 更紗が隆司の部屋を見回す。隆司の部屋はワンDK。その狭い部屋は閑散としていてあまり物もなかった。

「お前よく呑気にそんなこと言えたな」

 更紗のその言葉に隆司は絶句する。

「お前が浪費して残した大量の借金を俺が払ってたんだぞ。切り詰めて切り詰めて滅茶苦茶生活大変だったんだぞ。それで、欲しい物も我慢してだな。それでそれで・・、そんなんで物が買えるわけねぇだろ」

 隆司は話しながら感極まって来る。

「それがどれだけ大変だったか。それがやっと先月終わったんだ」

 隆司は、もはや涙目になりながら、その大変な思いを吐き出すように言った。

「なんか食べるものない。お腹空いちゃった」

 しかし、まったく聞く耳すらも持たずに、更紗は勝手に冷蔵庫を開け、中を物色し始める。

「おいっ」

「貧相な冷蔵庫ね」

 更紗はそう言いながら、見つけた魚肉ソーセージをそのビニールを剥いてくわえる。

「どんだけマイペースなんだよ・・」

 隆司は、怒りを通り越して呆れる。

「よくお前なんかとつき合っていたよな・・、俺・・」

 隆司は更紗の元彼氏だった。

「自分にがっかりだよ」

 隆司は更紗を見つめ目ながらうなだれる。

「相変わらず一人で絵描いてんのか」

 隆司が魚肉ソーセージをくわえる更紗に声をかける。

「ゴッホは常に孤独だったのよ」

「性格に問題があったんだろ。そして、お前もな」

「違うわ。崇高だったのよ」

「絶対違うだろ。どんな認知してんだよ。ていうか出てけよ」

「あなた最低ね」

「お前に言われたくねぇよ。お前にだけは言われたくねぇよ」

 隆司は思いっきり力を込めて言う。

「私にどうしろって言うのよ」

「親に面倒見てもらえ」

「もうしてもらったわ。昔、散々」

「は?」

「もう出さないって」

「は?」

「もうお前にはびた一文出さないって」

「何でだよ」

「湯水のごとく仕送りのお金使っていたら、仕送り止められたわ」

「自業自得じゃねぇか」

「自分で働けですって。信じられる?」

「いや、働けよ。滅茶苦茶まともな、至極まっとうな意見だろ」

「画家に向かって働けですって?なんで私が働かなきゃいけないのよ。画家は絵を描かなきゃいけないのよ。人生は短いのよ。特に芸術家は苦悩の果てに自殺するものなのよ。何でそんな貴重な時間を削って働かなきゃいけないのよ。お金をもらうのは当然なのよ。当たり前なのよ。私は画家なのよ。芸術家なのよ。それを育てるのは当たり前のことなのよ」

「ほんと相変わらずだよな。お前のその超自己中心的な性格。ていうか絶対にお前は自殺しないと思うぞ。自殺するとしたらお前の周囲の人間だ」

「ほんと芸術家のことが何も分かっていないわ」

「お前が人や社会のことを分かっていないだけじゃないのか」

「この魚肉ソーセージあんまりおいしくないわ」

 だが、更紗は人の冷蔵庫から勝手に出して食べているソーセージに文句まで言う。

「お前なぁ・・」

 隆司は怒る気力もなくなってきた。

「どんな絵描いてんだよ」

 隆司は、なんだかバカらしくなってきて、意識を壁に立てかけていた更紗の抱えてきた絵に向ける。

「なんだよ、全然変わってないじゃないか」

 更紗の絵はかなり独特な絵だった。超ド派手な色彩の中で、様々な生き物が入り乱れ、爆発していた。その中には架空の生物も多数いる。それらがものすごい繊細で執拗な細かなタッチで描かれている。

「当たり前でしょ。私は私の絵を描くのよ」

「ふ~ん」

 隆司は、あらためて更紗の絵を見る。いいか悪いかは分からなかったが、強烈な個性と独創性はあった。そこに、何とも言えない迫力は感じる。

「う~ん」

 この絵をどうとらえていいのか隆司はうなる。

「ところで」

 隆司は更紗を見た。

「なによ」

「あの絵まだ残ってんの?」

「何よ、あの絵って」

「ほら、俺がモデルになった」

「ああ」

「さすがにもうないよな」

「あるわよ」

「えっ」

 隆司はそこで酷く動揺する。

「あのヌードのやつも?」

 隆司が恐る恐る訊く。

「ええ、あるわよ」

「えっ」

 更紗は、背中に背負っていた巨大なバックの中からスケッチブックの束を取り出した。そして、その中から一冊のスケッチブックを引き抜く。そして、中をパラパラとめくって、隆司に見せた。

「・・・」

 隆司がそれを見る。しっかりと残っていた。完璧なまでに残っていた。

「これ全部、処分してくれないか」

 隆司が更紗を見る。

「なんでよ。私のデッサンが気に入らないっていうの。私のデッサンは完璧よ」

「いや、だから、完璧過ぎるんだよ」

「は?」

「ほとんど俺のヌード写真だろこれ」

「写真なんかと一緒にしないでもらいたいわね」

「いや、だから、そうじゃなくてだな」

 なかなか更紗と話の通じない隆司だった。

「俺の局部もリアルに描かれているわけで・・、な、分かるだろ」

「分からないわよ」

「何で分からないんだよ」

 更紗と会話をすると通常の百倍は疲れる。

「とにかく、捨ててくれよ。な」

 隆司は、拝むように言う。

「買い取るっていう選択もあるわよ」

「お前は悪徳業者か」

「違うわよ」

 更紗が怒る。

「知ってるよ」

 隆司も怒り返す。

「ほんとお前と話してると疲れるよ。よくお前なんかと一年もつき合ったよな俺」

「で、買うの。買わないの」

「いくらだ」

「まあ、一枚三十万てとこね」

「買うか」

「これでもかなりまけてあげているのよ。将来的には何千万て絵になるんだから」

「・・・」

 もしかしたら、可能性はほぼゼロに等しいほど限りなく低いが、しかし、万が一、万が一、更紗が有名画家などになったとしたら・・。隆司は考える。

「どうするの?」

 さらに更紗が迫るように問う。

「うううっ」

 その時、玄関の扉が勢いよく開いた。

「鍵開いてるんだ。不用心だよ。隆司」

 そして、そこに一人の女性が姿を表わす。

「誰?隆司」

 その女性はすぐに更紗に気づき隆司を見る。

「そういうことだ」

 隆司が更紗を見る。

「私は全然構わないわ。三人でも」

「出てけっ」

 更紗は再び部屋を追い出された。

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