廃墟マンズ
ロッドユール
第1話 退去
コンコン
「更紗さん?」
「はい」
「入りますよ」
「どうぞ」
更紗の部屋の開き戸が開く。
「あの~」
そして、その扉の隙間から大家の小森さんが、その丸いふくよかな顔をのぞかせる。そして、絵やら画材道具やらの散乱した散らかり放題散らかった足の踏み場もない更紗の四畳半の部屋に入って来る。
小森さんは、絵を描く手を休めない更紗の、その周囲のゴミのような様々な物をかき分けかき分け、座る場所を作ると、更紗に向き合うようにしてそこに静かに正座した。
「はい」
そこで初めて、更紗が、小森さんを見る。しかし、手は動いたままだ。
「あの・・、この部屋から出て行って欲しいんですけど」
小森さんは単刀直入に言った。大家の小森さんは、高齢の祖母から引き継いだこの古い木造アパートを何とか存続させようと、一人がんばって切り盛りしていた。
「なんで?」
更紗は驚く。
「なんで・・」
だが、逆に大家の小森さんの方が絶句する。
「家賃が三年溜まってるんですよ。それは、さんざんお伝えしましたよね」
小森さんのおばあさんである、以前の大家さんの人のよさで、ここまで家賃を溜めても更紗は追い出されずにいた。
「でも、私は芸術家よ。絵を描かなきゃいけないの。お金なんか稼いでる暇はないのよ。それはさんざん説明しましたよね」
「・・・」
「家賃は絵が売れたら、まとめて払うわよ。心配しないで。倍返しよ。倍返し。利息つけて払うわよ」
「・・・」
「大家さんも心配性なんだから」
更紗は笑顔でそう言いながら再び絵に向き合うと、描く手をさらに動かし始めた。
「いいから出てけ」
小森さんが叫んだ。
「・・・」
更紗は、有無を言わさず長年住んだ、住み慣れた南向き木造二階建て家賃二万五千円の野々村荘二〇五号室の部屋を追い出された。
「クソッ、三年くらいなんだってんだよ。三年待ったんだから四年も待てよ」
更紗はぶつぶつと悪態をつきながら歩く。更紗にはまったく反省するという考えはないらしい。常に自分は世界の中心で絶対的な正義で、それ以外はすべて間違いだった。大家の小森さんは、おばあさんの人の好さを遺伝的に引き継いだ本当に人のいい人だった。その大らかな人間すらが最後にブチギレるということのその意味が更紗にはまったく分かっていなかった。
「私は世界的な画家になるのよ。一枚何億って値がつくのよ。何十年何百年て歴史に残るのよ。教科書に載るのよ。私の絵が売れたら、利息つけて倍返ししてやるっつうのに」
更紗はぷりぷりと怒りながら、自分の描いた百号を超える大きさの絵を何枚も背中に抱え、手には持てるだけの画材道具を持ち、町を歩いて行った。
大きな絵を何枚も背中に背負い、ぶつぶつ言いながら歩いている更紗を、通りすがりの人たちが戸惑いながら見つめていく。
「とにかく新しい部屋を探さなきゃ、絵が描けないわ」
しかし、そんなこと気にする風もなく、更紗は相変わらず絵のことしか考えていなかった。
「この時間がもったいない」
更紗は駅前の町の不動産屋に向かった。
「あのどのようなお部屋をご希望ですか」
人のよさそうな、バーコード頭の鼻の下にちょび髭をはやした丸顔の店のおやじが愛想よく更紗を迎えた。更紗は駅前の商店街にある町の不動産屋にいた。
「この絵が入るくらいの広い部屋で、日当たりは欲しいわね。明るさが絵には大事なの。それから、静かで、」
更紗は百号以上ある担いできたキャンバスを指さしながら言った。
「お家賃はいかほど?」
「一万円くらい」
「あるわけねぇだろ」
不動産屋のおやじにブチギレられ、すぐに更紗は不動産屋を追い出された。
「私は売れない画家よ。金があるわけないじゃない」
更紗はまたプリプリと怒りながら、再び町を歩いた。
「しょうがない。あそこへ行くか」
ピ~ンポ~ン
二階建ての小さなマンションの二回の奥の部屋のチャイムを更紗は押す。ガチャッ、そして、その部屋の扉が開いた。髪を少し伸ばしたどこか人のよさそうな青年が顔をのぞかせる。
「・・・」
その青年は更紗を見とめると、玄関前に立つ、その巨大な絵を背中に背負い、たくさんの荷物を両手に持った更紗を時が止まったみたいな顔で見つめる。
「何しに来たんだよ」
そして、言った。
「アパート追い出された」
「知らねぇよ」
「行くとこない」
「だから知らねぇよ」
青年は冷たく言い放った。その言葉の裏には、強い怒りと憎しみがこもっていた。
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