第39話 博多大追捕

 王昇の妻女によれば、襲撃は全く予想外の出来事であったという。


「夫も普段から大宰府には目を光らせておりましたから、何か前もって動きがあれば、こちらもそれなりの準備、用心を致しましたものを、なにしろ突然にここら一帯に大勢が押しかけて、門を破り、家の中にも蔵の方にも」

「義親もそう申しておりました。前々から機会を狙っていたのが、昨日の戦で我々が大勝したので、いよいよ辛抱堪らず、やるなら今日しかないと急遽まさかの暴挙に出たのであろうと」

「いきなり家財を奪われ、蔵を荒らされ、止めようとした男衆も王昇もあのように、ああ……」


 語りながら恐怖が甦ってきたのだろう。ようやく落ち着きを取り戻しつつあった表情が歪み、ついには両掌で顔を覆って声を震わせた。それにつられてか、子供や侍女たちもまた顔を曇らせ、すすり泣きを始める始末。


(これ以上は恐れと悲しみを再びかき立てるばかり。訊いても詮無きことか)


 重季たちの到着を待ち、夜が明けてから周辺の状況を確かめるしかあるまい。

 家族や侍女たちが無事ということは、大宰府の狙いは蓄えられた金品だったに違いない。それを阻もうとした王昇殿や数人の男たちは斬られ、他の使用人は敵わずとみて逃げ去ったのであろう。

 八郎は妻女の手を取り、一語一語ゆっくりと、周りの皆にも聞こえるようにはっきりと言った。


「これ以上は懸念なさるな。王昇殿はきっと助かるし、死んだ者たちの仇は討つ。奪われた財物も取り返してみせましょうぞ」


 その手のぬくもりと込めた力に八郎の真摯さを感じ取ったか、妻女はかろうじて我に帰る。


「仇を討ってくださると」

「ああ、そうじゃ。財も必ず取り戻す。王昇殿らが長きに渡って苦労して築き上げた商いの実りを、かくも非道な手段で奪われたのじゃ。決して見過ごす訳にはいかぬ」

「そのようなことができましょうか」

「できる。祖父・義親と、この八郎為朝を信じてもらいたい。ただし」

「ただし、とは……」


 再び不安な面持ちを見せる。

 八郎はそれに対し、決意を込めた眼差しで答えた。


「事が成るまで博多を離れ、何処かに身を隠しておいて下され。そう長くではない。ひと月か、せいぜいふた月の間じゃ」

「それ位なら簡単なことですが」

「やろうと思えば、すぐに財を取り戻すこともできるが、そうすれば大宰府がまたここを襲ってくるやもしれぬ。いたちごっこじゃ。我らはそんな下手は打たず、まずは奴らを挑発して、その目を我らに向けさせ、しかる後に決戦に及ぶ所存である」


 これを聞いて妻女は驚愕した。

 大宰府といえば鎮西一円を統括する政治と軍事の拠点ではないか。ここ筑紫や豊前だけではない、豊後や肥前、肥後、対馬、果ては南の日向や薩摩に至るまでその威令は及ぶのである。

 この人たちは何ということをしようとしているのか。


「無謀です! それよりも京に訴えた方が」

「京の朝廷など腐っておる。当てにするだけ愚かというもの。調査や譴責、処分の使者の派遣を決定するだけでも何年かかることか。ましてや、今日奪った財物の何分の一かを大宰府が京の要人に進呈し、これこれこうでございます、とでも弁明すれば、それで事は終わってしまう」


 場を沈黙が支配した。言われてみれば全くその通り。返す言葉がないのである。


「我らとて勝算もなく戦にのぞむ訳ではない。そんな愚かな真似はせぬ」

「勝てましょうか」

「ああ、やるからには必ず勝つ」

「どのようにして」

「詳しくは今は語れぬが、大宰府とて一枚岩ではない。不満を持つ者もおれば、表向き従う格好だけを見せている者もおろう。我らの挑発に怒り急ぎ軍勢を向けてくるとすれば、招集をかけられるのはせいぜい豊前や筑前、筑後あたりの武士。その数はおそらく三千から四千」

「そんなに多く」

「ああ、だが戦は数だけではない。武勇と、そしてがものを言うのだ」


 八郎は笑みを浮かべながら自らの頭を指さした。


「最初の大戦に勝てば我らは大宰府の政庁を占拠する。公家役人しか残っておらぬだろうからな。簡単なことだ。我らの勝利の報を聞き次第、博多に帰って来られるがよい」

「しかし鎮西には他の国にも多くの勢力がありましょう。それらが黙っていないのでは」

「各個撃破じゃ。しかも極めて短い期間でやり遂げねばならぬ。事を知れば、それこそ京の朝廷が慌てて追討軍を組織するであろう。その前に鎮西をまとめてしまうのだ。さすれば京も易々と手は出せまい」

「あなた方はそこまで考えて」


 妻女は続ける言葉を失った。なんという若武者であろうか。

 身の丈こそ並外れているものの、顔つきからすれば元服を終えて間もない歳であろうに、自分たちの安全を気にかけてくれるばかりか、自信満々に大宰府を討つと言い、その後に起こるであろう京の朝廷との対峙まで見据えているとは。

 破天荒な大望であろう。が、八郎の言葉には相手を納得させ、その心を惹き付ける不思議な何かがあった。


「先の先まで考えねば戦は負ける。これを成せば王昇殿や義親の夢見た自由な国、官に不当な搾取をされずに誰もが商いをし、作物を育てることのできる楽土の現出じゃ。どうせ戦をするなら、その位の大きな夢を持ってやりたいものよ」


 そして相手の不安を少しでも和らげんと、八郎は努めて快活に、


「なあに、仮に我らの夢破れようと、その時は王昇殿たちは知らぬふりをしていれば良いだけのこと。我らが勝手にやることですから。迷惑はかけませぬ」


 と言い放った。

 これが逆に妻女の背を押した。不安も恐れも振り払い、意を決したのである。


「わかりました」


 毅然とした、微塵の陰もない表情であった。


「その戦、でき得る限りの援助をさせて頂きましょう」


 夫に意識があれば、きっと同じように言うであろう。

 我が家だけではなく、博多の商人全てに声をかけ、義親様と八郎殿に与力するのだ。この夢に賭けずして、何のための大商人・王昇であり、その妻か。自らの矜持にかけても、この若武者を勝たせてみせる。


「わたくしの名は『さき』と申します。以降はその名で呼んで頂きますように。長いお付き合いになりそうですから」

「しかと承知しました。咲殿」


 八郎は莞爾として笑った。


 重季と弁慶が到着したのはおよそ一刻後、残りの四騎に至っては更にその一刻後であった。

 この様子では後続の三百騎は、義親の言う通り夜明けに出発したとして、博多に着くのは昼、あるいはそれよりも遅くなるであろう。

 八郎は皆に命じた。


「俺と重季は夜が明け次第、唐房全体と博多の街の様子を見に出かける。弁慶と他の四人はここに残り、王昇殿の家族を守って、かつ近隣の警護を頼む。さほど時をかけずして戻って来るつもりじゃ」


 そして卯の正刻を過ぎたあたりに陽は登り、八郎と重季は揃って馬を走らせた。

 唐房全体は案の定、悲惨な有様である。多くの屋敷が王昇宅と同様に門を破られ、あちこちに屍が横たわっている。

 夜が明けたにもかかわらず相変わらずひっそりとしているのは、人々はいまだ危険が去ったと確信できず、家の奥どこかに隠れ潜んでいるのだろう。

 しかし被害の全貌はそんなものではなかった。唐房だけではなく博多の街全体がほぼ同様であり、略奪を受けた家や蔵、その数は千を超えるかと思われた。

 あちこちで煙が立ち上っているのは、この機を狙った暴徒の仕業か。

 八郎と重季は、時折見かける明らかに暴徒や盗賊と思われる輩を馬蹄にかけ、必要とあらば斬り捨てねばならなかった。

 特に箱崎の被害は凄惨を極めた。この辺りは古来から国内外に向けた商いの盛んな一画であり、裕福な商家が立ち並んでいるゆえ、略奪の格好の餌食となったのであろう。

 博多湾を望んで鳥居があり、その先の参道を抜けると筥崎宮である。ここもまた例外ではなかった。厳粛なはずの境内に神官や巫女の血まみれの死骸が見られ、その回りを鳩があたかも常と変わらぬげに歩き、地をついばんでいる。


(神社仏閣もお構いなしか)


 筥崎宮は豊前国の宇佐八幡、京の石清水八幡と並ぶ三大八幡宮のひとつである。そしてまた、石清水八幡宮は源義家が元服の儀を行った場所であり、だからこそ八幡太郎義家と呼ばれるのだ。いわば八幡神は河内源氏の氏神である。それがこの荒れ果てた様子に、重季がめずらしく怒りをあらわにした。


「酷いですな!」

「うむ。まさしくけだものの所業じゃ」

「この様子では、宝物や財が奪われたのは間違いないかと」


 重季が義親から聞いたところでは、博多の綱首たちは筥崎宮の伝手によって貴人や豪商などの上客を得、宋渡来の文物を商って巨利を得ていたという。ならば、仲介の労を為した筥崎宮にも相当の利益が蓄えられていたろう。それゆえに本殿に踏み入られ、蔵が荒らされ、押しとどめようとした者たちは老若男女の別なく凶刃にかけられたのだ。


(たかが商いの権益を奪うため、ここまでの非道を行うとは!)


 後世の記述によれば、大宰府によって動員された武士の数は五百騎、押し込みにあった商家や蔵の数は一千六百に上ったという。


 これが仁平元年に起こった、いわゆる「博多大追捕」の顛末である。

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