第32話 生きていた義親

「しかし、義親公は平正盛殿によって出雲国で討たれたはず」


 重季の疑問を、義親を称する老人は鼻で笑って否定した。


「ふん。正盛如きに、この儂が討たれるはずがあるまいに」


 源義親とは、天下一の武勇を謳われた義家の嫡男である。

 父譲りの強者であったが、この時より数十年ほども前、対馬守に任じられた際、対馬ばかりか九州北部を横行して乱暴狼藉を働いたと訴えられ、隠岐島に配流となった。

 だが、配所に大人しく赴くような義親ではない。今度は出雲国の目代を殺害し官物を奪うなどの行為を行い、周辺諸国には義親に同心する動きまで現れたという。

 この追討に父親である義家を向かわせることが議されたが、既に高齢であった義家は心労のためか急死する。そこで、出雲の隣国・因幡の国守であり院近臣でもあった平正盛が義親の追討を命じられ、早くも翌年一月には正盛は義親の首級を持って京に凱旋した。


 かくいう事件が河内源氏の衰退をもたらし、平家が院の爪牙として一躍勢力を伸ばす原因のひとつとなった。

 ところが、剛勇で名を馳せた義親が、それまでさしたる戦歴もない正盛に簡単に討たれたことを人々は疑い、京に運ばれて梟首された義親の首も、「あれは偽首ではないのか」という噂が当時からあったという。

 実際、その後も幾度となく義親を名乗る者が各地で現れ、人民を死傷させたり略奪などを行ったのだ。

 義親とはそんな逸話を持つ人物である。


「では、貴方様は本物の義親公であられるので」


 重季はまだ、この老人が本当に義親であるのか信じ切れていない。

 だが当の老人は、またも重季の疑念をつまらなそうに一蹴した。


「当り前じゃ。正真正銘の本物よ。源家代々の郎党の家に生まれておいて、そんなことも分らんのか」


 老人の言い方には、重季でさえも「この方は」と感じてしまう威風があった。

 茶を一口すすると、今度は一転して親し気に八郎に話しかける。


「八郎よ。儂がお前の祖父じゃぞ。おじじ様じゃ」


 しかし八郎の表情は無関心そのものである。

 やれやれ。俺はもう河内源氏の本家とは関係のない人間ぞ。ようやく面倒な縁が切れて自由になったと思い、心晴れやかに鎮西までやって来たのに、祖父だの爺だの知ったことか。

 そう言いたいところをこらえていると、


「何じゃ。不愛想な孫じゃな」


 そして、


「無理もないか」


 老人は魁偉な容貌に似合わぬ悲しげな顔を見せるのである。


「京を去った時、為義自体がやっとまだ十代なかばじゃったからな。当然に儂の孫など誰も生まれておらん。ふう」


 と溜息をつき、


「まあ、自業自得よのう。家を捨て一族を捨て、妻も子供も顧みることのなかった人生じゃからのう。だが、だからこそ今日は、わが孫と初めて会えるのを楽しみにやって来たというに。はあ、我ながら情けない」


 今度は前よりも更に深く嘆息する。

 重季は今や確信した。

 話に聞いていた通りのいわおのような姿形や、その直截な話しぶり、源家の内情にも詳しく、加うるに王昇殿がわざわざ紹介の労を取り、「義親」との名乗りを否定せぬところからしても、これはやはり本物の義親公に違いない。

 そう思って王昇を見やると、相手もまた黙って頷いた。

 重季はあらためて尋ねる。


「では、出雲ではどのように」

「寒かったからな」


 義親は重季を見もせずに答えた。なげやりな、人を食った返事である。


「出雲の冬じゃ。京の冬も寒いが、それどころではないぞ。雪が深々しんしんと降り積もり、身も心も凍えてしまう。あんな所で正盛ごときを相手に合わぬ戦などやっておられるか。だから姿をくらまし、こちらへ帰って来たのだ」


 「合わぬ」とは「自分には見合わぬ敵」「格下」ということである。老人、つまり義親は、当時の平家の棟梁・正盛さえも、自分の武勇からすれば対等に戦うにあたいせぬ相手だったと豪語しているのだ。


「それでは、正盛殿が京に持ち帰られたのは」

「噂通り、偽首に決まっておろう。なにしろ本物がここに生きておる」

「首実検があったのでは」

「そんなもの、死穢を嫌う公家役人どもが真剣にやるものか。誰か似た顔の男の首を差し出して、これが義親だと正盛が言い張れば、それで終いじゃ」

「なるほど。それで、鎮西に帰って来られてからは何をしておられたので」

「海賊じゃ」


 これに八郎がぴくりと反応した。ははあ、そういうことか。

 初めて口を開く。


「松浦党ですか」


 義親の顔がぱっと明るくなった。


「おお、やっと口をきいてくれたか」

「その海賊とやらは松浦党であろうかと尋ねておるのです」

「そうじゃ。その通りじゃ。鎮西は初めてだろうに、なぜ分かった」

「手荒い歓迎を受けましたから」

「わはは、勘弁せよ」


 義親は照れくさそうに頭をく。


「お前たちの腕前を試したのだ。あの五人は儂の配下の中では結構な腕利きなのだが、八郎も重季も無傷のところを見ると、軽くあしらったのだな。さすがぞ」

「配下とは?」

「おう、出雲から帰って後、対馬以来の誼を通じておった松浦党に身を寄せたのよ。それがいつの間にか頭領にたてまつられ、今では松浦党も、いわば『義親党』じゃ」


 義親はここで一度言葉を切り、しみじみと言った。


「海賊は良いぞ。自由じゃからな。それと比べれば武士などは本当につまらぬ」

「武士は不自由ですか」

「そうとも。儂は対馬守となって、つくづく思ったぞ。武士などはしょせん院や公卿の飼犬に過ぎん」


 この言葉に八郎は少なからず興味を惹かれた。

 ほう、俺と同じことを言うではないか。この、俺の祖父だとほざく爺様は、父・為義より少しはましなのか。


「どうしてそう思われたので」

「考えてもみよ。なぜ辺境の対馬なのだ」

「やはり、源氏に馴染みの深い河内や坂東では、後々が危ぶまれましょう」

「その通りじゃ。院も公卿もそれを恐れたのよ。常々は走狗の如くこき使っておいて、少しでも我らの勢が増してくれば、それを削ぐことを考える。あ奴ららしい姑息なやり口じゃて」

「だから爺様は反乱を企てられた」

「ああ。しかしそれだけが理由ではないぞ」

「というと」

「辺境の対馬だけではない、ここ鎮西でも国衙領こくがりょうか荘園かを問わず、民は重税にあえいでおる。なぜそうなるか。国や公卿に租税を納めねばならぬ上に、赴任してきた受領ずりょうや荘官が自らのふところを肥やそうと、せっせと蓄財に励むからじゃ」


 受領とは、この時代におけるかみすけなどの国司四官のうち、任地に赴く者の中での最高官のことである。中級や下級の公家にとっては、財を蓄えるには格好の、旨味のある官とみなされていた。

 だが、それに任じられるためには朝廷の高官に対する多額の献金や贈物が必要であり、代価を取り戻すため、国税の上に民に更なる多大な年貢を課したのだ。

 荘官も似たようなものである。その多くは自らが発起して荒れ地を開墾させて田畑とし、私有地とした者だが、土地を摂関家などの高位高官に名目上寄進することによって国への租税を逃れたものの、これもまた寄進先への献上分を取り返すために、民に重い負担を担わせたのである。


「じゃが、そこまでむしり取っておいて、飢饉が起きようが疫病が流行ろうが、あ奴らは何もせんではないか。受領や荘官は相も変わらず民を絞り上げ、京の奴らはどうじゃ。衣冠束帯に身を包み、つまるところ収穫の上前をはねて遊び暮らしておる。暇にあかして歌など詠み、蹴鞠に興じ、女のもとに通うばかり。こんなものがまつりごとと呼べるか!」


 話しているうちに義親は当時を思い出したのか、段々と激してきたようであった。最後は言葉を強め、卓を拳で「どん」と叩く。卓が揺れ、茶がこぼれた。


「だから儂は受領や荘官を討ち、意味のない税から民を解放してやったのよ。ところが、それを聞いて慌てふためいた朝廷から命を受け、儂を討伐に差し向けられ、いそいそとやって来るのもまた武士じゃ。つまらん。全くつまらんのう」


 今度は心から情けなさそうに嘆くのである。椀に残った茶を一口飲み、


「だから武士など辞めて海賊になったのだ。海賊は良いぞ。何者にも縛られぬ海の民じゃ。それに、この鎮西という土地柄がまた良い。気候は温暖、食い物は美味うまいし、人も情が濃い」


 と、話を締めくくった。

 八郎は思う。

 確かに、この爺の言う事は筋が通っておる。ただひとつ引っ掛かることを除けば。


「ひとつだけお伺いしたい」

「何じゃ」

「松浦党の主であるということは、瀬戸内の海賊衆に対する襲撃も爺様がお命じになったということですな」

「その通り」

「なぜあのような無残なことをなされたのか。この辺の海は松浦党の領海かもしれぬが、全てを斬り殺し、船に火をかけるなど、縄張り争いにしてはいささか度が過ぎましょうぞ」

「それについては私からお答えしましょう」


 王昇である。

 八郎の辛辣な問いに対して、ゆっくりと、冷静に言葉を返す。


「義親様と私はおるのです」

「どういう意味か」

「平家の忠盛様、清盛様の為されようが問題なのです」


 王昇によれば、もともとここ博多には大宰府が管轄する鴻臚館こうろかんという施設があり、大陸との貿易を司っていたのだが、もう百年あまりのあいだに次第に衰微し、今では王昇たち宋人綱首を中心とする私貿易に移り変わっていった。

 ところがここにきて、宋との貿易に興味を抱く平家が台頭し、博多の商人たちを配下に置こうとする動きがあるのだという。


「私どもからすれば、平家の皆様が我らと対等に競うのであれば、それは良いのです。大輪田泊を拠点に、博多を通さずに宋や高麗と取引をなされようと、なんら文句を言う筋合いではない。ところが、商いを独占するために、いろいろと手練手管を弄し圧をかけてこられる。さらに」


 義親が王昇の言葉を継いだ。


「瀬戸内の海賊衆じゃ」

「渡辺党、そして伊予の河野水軍でありましょう」


 応じたのは重季であった。海のことに関しては八郎よりも重季の方が博識である。


「そうじゃ。あ奴らは平家の走狗となり果てて、王昇らの商いを邪魔するのだ」

「一体どのように」

「私どもの船が畿内に荷を運ぶために瀬戸内の海を通ろうとすると、法外な帆別銭や護衛料を要求してきたり、交渉も無しにいきなり襲ってきたりするのです。もう何隻の船が捕らわれ、何人の者が殺されたりという餌食になったことか。十隻や百人どころではありませぬ。これでどうして安心して商いができましょう」

「そういうことじゃ。おまけにこの頃では、大きな面をして博多の海にまで入り込んで来る有様よ」


 これで八郎も合点した。

 なるほど、そういうことか。そんな事情があるところに、俺たちの乗った唐船が瀬戸内の海賊衆を連れてやって来たという訳だ。だから奴らの船は襲われたが、我らの船にとりたてて害は無かったということか。


「文を見せられ、お前たちのやって来る日はだいたい分かっておったからな。王昇と図り、あらかじめ待ち伏せて、奴らに目にもの見せてくれることにしたのじゃ」


 だが、義親の言はこれでは終わらなかった。


「単なる縄張り争いではないぞ。裏の事情が事情じゃ。だから今回は手荒にやったのだ」

「義親様がそう仰るのは、相手が平家だからでしょうか」


 重季が問うと、義親はまた声を荒げた。


「馬鹿な! 儂はもう源氏とは縁の切れた男じゃ。平家など知ったことか。自由無碍むげであるべき海賊が誰かの飼犬のようになってしまうなど、断じて許しておけぬと言っておるのだ!」


 更に言う。


「しかし、彼奴きゃつらもこのまま黙ってはおるまい。近いうちに大事おおごとになろう」

「それはどのような」

「決まっておろう。海戦じゃ。互いにありったけの船を繰り出して、海で雌雄を決するのよ」


 ここで八郎に向かい、頑強極まるその面貌をほころばせた。


「八郎よ、そこでじゃ、我らに合力せぬか」


 この言葉に重季は驚き絶句するが、義親は平然と笑顔のまま続ける。


「京での騒動は知っておる。弓の達者だというではないか。舟戦ふないくさではそれが最も役に立つ。どうじゃ、海の戦いは面白いぞ。しかも今回は大戦じゃ。血がたぎるというものぞ」


 八郎は考える。

 海の戦か。確かに面白そうだ。どうせ鎮西に来て最初に何をするとか決めていた訳ではなし、海賊の手伝いも悪くはなかろう。

 相手が清盛殿の配下というのが少々意に沿まぬが、そういう事情なら爺と王昇殿に力を貸すのも大義に叶おうというものだ。ここは瀬戸内の海賊相手に俺の手並みを披露してみせようか。

 戦うために生まれてきたような男なのである。脳裏にはもう、瀬戸内の大船団に向かって弓を構える己の姿を思い描いている。


「分かりました。爺様に合力致しましょう」

「おお、そうか!」


 義親は満面に喜色を表して立ち上がり、卓越しに身を乗り出して八郎の肩を頼もし気に何度も叩いた。


「ううむ」


 重季はいつものように頭を抱えるが、二人は知ったことではない。

 八郎の鎮西での日々は、まずは海賊として始まるのだ。


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