第25話 舞え舞え蝸牛(かたつむり)

 そして八郎は今、西洞院大路に面した信西館の門の手前にいた。

 日中であるのに門扉は固く閉ざされ、衛兵が二人、辺りを見回し警戒している。


 ふん。やはり相当な警戒だな。

 俺が来るのを予想済みとみえる。

 結構だ。ならば敢えて正門から打ち込むとするか。


 堂々と歩み寄り、距離はおよそ四間、門扉に向かって真正面から矢をつがえ弓を構える。

 例の鑿状の鏃を持った狂暴な矢である。

 衛兵は当然にそれを見咎めた。


「な、何者だ!」

「何をしている。弓など構えて」


 八郎は委細構わず矢を放つ。

 その矢は凄まじい風切り音と共に門扉の中央に命中し、その裏にある閂までをも引き裂いた。


 衛兵たちは慌てふためき、この狼藉者を取り押さえようとする。

 駆け寄る二人を八郎は殴り、蹴倒し、助走をつけて門扉に思いきり蹴りをくらわせた。

 既に矢によって深く穿うがたれていた閂は簡単に折れ砕け、派手な音を立てて門が開け放たれる。


 奥の間にいた信西も、この音を聞きつけた。


「来ましたな」

「たかが娘ひとりのために、愚かな。誰にどのように育てられたやら」


 玉藻の声には侮蔑の響きのみ。

 微塵の感傷もない。

 自らの腹を痛めて産んだ息子と戦う羽目に陥りながら、予想された事態のひとつが訪れただけと言わんばかりである。


「家人に命じ、わざと麿の名を大声で知らしめるように仕向けたが、まさかこれほど早くに討ち入ってこようとは」

「これが今の八郎ということです。やはり、わたくし自らが育てた月日が短すぎた。是非もない。かねての準備通り、抜かりなきように」

「お任せあれ」


 信西は急ぎ別室に控える清盛と義朝を呼ぶ。


 邸内に乗り込んだ八郎の所へは、音を聞きつけた数十人もの警護の武士が押し寄せた。


「何事か!」

「討ち込みぞ! 押し包んで、返り討ちにせよ」


 これを見て、八郎は不敵にも「にやり」と笑う。


「わざわざ迎えに出てきたか。礼儀が行き届いておることよ」


 矢をつがえ、きりきりと弦を引き絞るや、放った。

 今度は大雁股の鏑矢である。

 その一矢は恐ろしい速さのため、誰も聞いたこともない異様な、おぞましくも甲高い音を立てて空気を切り裂き、先頭の武者の烏帽子首をねたばかりか、後に続く大兵の武士の腕までを斬り飛ばした。


 戦慄すべき八郎の矢の威力である。

 だが、後に続く武士たちの脚をすくませたのはそれだけではない。

 鏑の発する音であった。

 ふつう鏑矢とは、戦を始める合図として、互いに相手側の陣地へと放つものだ。

 ところが、法然が八郎に送った矢は、凄まじい殺傷力を持った大雁股に取り付けられた鏑の放つ音によって、戦闘中に敵を恐怖させ、その士気を挫くことまでを意図したものであった。


 ここで更に八郎は、足を踏ん張り拳を握りしめて、腹の底から、


「うおおーっ!」


 と、場にいる者すべての魂までも怯えさせるような雄叫おたけびを発した。

 それは、初めての実戦に臨んだ八郎の、抑えきれない昂ぶりによる行動であったろう。

 だがこの声は、ひ弱な公家侍共には思いもよらない衝撃でもあった。

 ただでさえ、たったいま目の前で起こった惨劇と鏑矢の音に足の竦んでいた彼らは、この雄叫びに一様に首をすくめて耳を塞ぎ、目を閉じ、動きが完全に止まる。

 この隙に八郎はすかさず突進した。

 抜刀している者は斬り捨て、そうでない者は剣の峰で打ち倒し、瞬く間に十人以上の敵を戦闘不能に陥れる。

 その流れるような一連の動きは、まるで達者な舞のようであった。


「ふん、孤児たちの供養に、この位は暴れさせてもらわねばな。だが、もう殺すにも飽きた」


 太刀を鞘に収めると、今度は拳と蹴りで武者たちを襲い、あるいは鉄芯の入った長弓の一撃にて相手の首筋を叩き、さらに多くの武者を次々と倒す。

 まるで暴風のような一方的な蹂躙である。

 残された僅かな者共は、目の前に展開する信じられない光景にひるみ、身体は硬直し、逃げることもままならない。


 その様子を見て八郎は母屋に向き直り、声を限りに怒鳴った。


「信西、出てこい! 臆して出てこぬならば、こちらから乗り込むぞ!」


 そして、ついに信西入道が現れる。

 護衛の武者たち五人に囲まれ、母屋の縁へと進み出た。

 信西はまず、庭内の惨状を見て驚愕した。


(こは何たる有様ぞ!)


 ざっと四・五十人はいた武士たちが、あっという間に斬られ、倒され、残るは僅かになり果てているではないか。

 しかも残った者たちも怯えすくみ、戦意を失っておる。

 手強いだろうとは聞いていたが、たかが十三・四の癖に、恐るべきわっぱだ。


 しかし八郎には、そんな信西の内心など全く関係がない。


「時葉を出せ」


 信西は平静を装ってうそぶいた。


「はてさて、何の事やら」

やかましい。この館に、貴様が無法にもかどわかしてきた娘がいるはずだ。その娘を出せ」

「だから何の言いがかりか分らぬと言っておる」

「まだとぼけるか」


 ここでつい信西の日頃の癖が出た。

 何かにつけて相手を見下す皮肉な笑みを浮かべ、場をわきまえぬ茶化した言を弄したのである。


「おお、そうじゃ。今日から奉公に上がった侍女に、確か『常盤ときわ』とかいう似た名前の者がおったな。その娘のことで何か勘違いをしておるのではないのか」


 しかし相手が悪かった。

 皮肉などの効く八郎ではない。

 このふざけた言葉は、ただ八郎の怒りをかき立てるばかり。


「なにが『常盤』か! よし、ならば、これでも喰らえい」


 八郎はまた一矢を放つ。

 これは「射抜く」矢である。

 咄嗟に護衛の武者が信西を庇って立ちはだかるが、矢はその肩口と、後ろに続いたもうひとりの腕を貫通し、小柄な信西の頬を掠めて、はるか奥にある壁に突き刺さった。

 武者たちは傷を押さえてうずくまる。

 信西はといえば、何が起こったかも把握できず、僅かに痛みのする頬を触れてみると、手に残ったのは鮮やかな血のあと。

 見苦しくも、今までの余裕めいた態度をかなぐり捨て、腰を抜かした。


「ひいいーっ!」


 見栄も誇りも何もない、情けないばかりの絶叫である。


「今のは脅しだ。だが、次は貴様の首筋を貫くぞ。命が惜しければ、つべこべ言わず娘をここに出せ」

「わ、わかった。こ、これに娘を」


 残る護衛に命じ、すぐに奥から時葉が連れてこられた。

 その意外な姿に八郎は瞠目した。

 後ろ手に縛られてはいるが、顔には薄く化粧を施され、髪をさっぱりとかれて別人のよう。

 長い袴を履き、うちきの上に柿色の打衣うちぎぬ、緑の表着おもてぎ、朱色の唐衣までを着せられた時葉の姿は、さながら公卿の令嬢だ。

 もともと顔立ちの整った娘ではあったが、比叡では、垢じみたぼろぼろの着物と顔にこびりついた埃や泥が、その美しさを隠していたのである。

 以前に冗談めかして言っていた「公家の出」とやらも、まんざら嘘ではないと思われた。


 八郎は笑いながら時葉に声をかける。


「ははは、見事に化けたなあ」


 この言葉に、青ざめて無表情だった時葉の顔が、一気に紅潮した。

 そして初めて口を開く。


「な、何を言っておるのだ。馬鹿者め!」

「馬鹿者?」

「ああそうだ。お前のことじゃ」

「何故」

「私なんぞのために、たったひとりで多くの武者のいる館に無謀にも乗り込み、しかも笑っておるとは」

「ああそうか。言われてみれば確かに俺は馬鹿者だな。少しでも小知恵の回る者なら、我が身可愛さに、決してこんな愚かな真似はするまいて」

「そうじゃ。だから馬鹿だと言っておる」

「だが、馬鹿者にもそれなりの信義があるぞ」

「信義だと。それは何だ」

「決して仲間を裏切ったり、見捨てはしないということだ」

「仲間? 私がか」

「ああそうだ。ずっと前からな。だから救いに来た。それだけだ」


 最後の言に時葉は言葉を失い、うつむいた。

 八郎は再び信西に向かい、うって変わって威圧に満ちた声を発する。


「そういうことだ。やはりこの娘は、俺の知っている『時葉』のようだぞ」


 そしてまた矢をつがえ、


「縄を解き、こちらに渡してもらおうか。さもなくば」


 言うや、ぴたりと信西の喉元に狙いを定める。


「ひい!」


 信西はもはや恐慌状態にある。まともに口もきけぬ。

 相変わらず腰を抜かしたまま、ひたすら小刻みに頷くばかり。

 武士のひとりがそれを見て察したか、時葉を縛っていた縄を解き、解放した。

 時葉はすぐさま八郎に駆け寄り、抱きついた。

 後は引き上げるばかりと思われた。


 ところがその時、屋敷の奥から今様の謡が聞こえてきたのだ。


   舞え舞え蝸牛かたつむり もしも舞わぬものならば

   馬の子や牛の子に蹴させてん 踏み破らせてん 

   真に美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん


(これは、もしかして)


 八郎は感じた。

 自分の遠い記憶の中に残されたあの声だ。

 そしてまたこの謡は、むかし母が最も好んでいたもののひとつ。

 蝸牛とは、つまり人間の比喩であろう。

 罰と褒美で人を操る残酷な快楽を謡った今様である。


 ならば今ここに母・玉藻がいて、俺を陥れようとしたということか。

 そのために孤児たちを殺し、鬼若を切り刻み、時葉を攫ったのだ。

 しかも、この騒動を陰から眺めて楽しんでいる。

 許せぬ!


 しかし、この謡の声にいち早く信西が反応した。

 我を取り戻し、叫んだのである。


「清盛殿、義朝、何をしておるのだ。出ませい!」


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