応援コメント

第22話 元服」への応援コメント

  • さて某英雄召喚ゲームではロボであり妖怪を潰す武者たる為朝の将来はいかに

    作者からの返信

    確かにそんなゲームがありますね。
    あの為朝は凄い (笑)
    でも、なんでロボットなんだろう。
    某国営放送の大河ドラマで為朝が登場した時、「平安のモビルスーツ」なんて宣伝された影響かなあ?

  • 正義感の強い、綺麗な目をしたジャイアン 八郎。
    しかも、人の腹の内を見抜く力がすごいぞ 八郎。

    なんか、大人になった気がします。
    いただいた宝剣がよくお似合い。
    元服の名前は、親や兄弟から一文字もらうんですね。
    源八朗為朝、よい名でござる。

    作者からの返信

    「ジャイアン」!「ござる」!
    あはは、笑わせてもらいました。

    確かに史実や伝承での為朝は豪放一辺倒で、ジャイアンのイメージに近いですね。
    でも本作ではちょっと違って、理知的なところが出てきてしまいました。
    執筆開始当初の予定ではそこまで考えていなかったんですが、嬉しい誤算かな (^_^)
    やっぱり親がアレですから、子供は単純にグレるか、逆に考え深くなっちゃいますよね。
    そうするとこの変遷は、九尾の狐の息子として設定した時に、作者も無意識のうちに既に決まっていたのかも。

    それはそうと、やっと八郎の少年期の成長譚が終わって大人になりました。
    さあこれから大活躍のはじまりです!
    でも、まだ12歳。これからも戦いの中でどんどん成長します。
    お楽しみに (^_^)

    編集済
  • その意気や良し! これ若者には最高の応援ですね。源八郎為朝さん来たねぇ。

    作者からの返信

    本作では崇徳院と八郎は史実よりも「弓張月」よりもずっと深い、お互いを思いやる関係になりそうです。

    それと、元服後の名前の件ですが、昔は特に目上の人に関しては諱(いみな)で呼ぶことはなかったみたいです。
    だから本当は歴史もので「信長様」って家臣や目下の者が呼び掛けるのは奇妙で、若い頃なら「三郎様」、ある程度の時期からは「上総介様」、家臣ならば「お館様」とか「殿」でなくてはならない。
    理由を詳しく説明すると長い文化論になるのでそれは避けますが、要するに諱で呼ぶのは親でもない限り凄く失礼なことだったみたいですね。

    だから例えば坂本龍馬も諱の「直柔(なおなり)」ではなくて、通称の「龍馬」で知られてます。
    たぶん、親族やごく近い関係の人以外は「直柔」なんて諱は知らなかったんじゃないかな。

    そういう訳で本作でも、少なくとも八郎については、作中での呼びかけはもちろん、地の文でも「為朝」ではなく「八郎」で通すことにしました (^_^)


  • "追記)「戻って来れました……!」っていうのは、何かあったんですか?"

    すみません!当時の私は混乱してて……というのも、自主企画で集まった作品が100を超え、完結まで全て読むというものだった上に1話1話にコメントするというものだった上に私事で2週間離れていたため!そしてあまりの通知の多さにあなた様もてっきり企画でご縁があったのかと勘違いしてしまいました……

    奇妙な感想は……驚かせてしまいましたね!すみません。ここの表現に自信があるですとか、こういったこだわりがある、このような知識がある、といったことをたくさん聞けたらな、という意図があってのものです!煩わせてしまい申し訳ない……






    "己おのれに似た子、従順な子ばかりを愛しく思い、自分とは面貌や気質の異なる子、違う考え方をする子を嫌うものである"

    真理

    "私はいずれこの家を去り、河内源氏の本家とは別に自らの家を起こしたいと考えております"

    おお〜!その後の立ち回りに不安がないわけじゃないけど、すごい

    "あのまま坊主になってくれと"

    めちゃすこ。その背景とか

    "自分の名をくれぬ〜いないとくる"

    すここここ

    作者からの返信

    ああ、そういうことだったんですね。
    それはお疲れさまでした。
    「自主企画で集まった作品が100を超え、完結まで全て読むというものだった上に1話1話にコメントする」!!!
    それは驚きです。私だったら絶対不可能!
    無理をして、お体を壊したりされませんように。

    為義の態度や考えは、やっぱり「自分の子供ではないのでは」という思いが根底にありますね。
    それから八郎の才に対する恐れ。
    詳しくは内緒ですけど、私も毒親にあたっちゃって似たような経験をしたもので、それが根底にあって、こういう設定になっちゃいました。

    だから八郎も年齢の割に凄く醒めた考え方をするようになっちゃって、頼長の内心も見通すように育ってしまいました。
    まあ、当時の公卿なんて、武士なんか便利な道具、飼犬、もっと酷い場合は虫けら程度にしか思っていなかったのは数々の文献で明らかな訳で……

    でも八郎は幸い重季と出会いましたから、只のヒネクレ者には育っておりません。
    それに兄弟子の善弘や、時葉と鬼若、崇徳院。
    これらの人々が八郎とどう関係して、どう援けてくれるか乞う御期待です。
    あ、それから、もう少ししたら鎮西編に入りますが、そこでも重要な人物が次々に登場しますよ。
    お楽しみに 😄

    編集済
  • 拝読致しました。
    お寺に入ってからは、周囲の人に恵まれましたね!(^^)
    これだけ本質しか見ないと、なかなか俗な人間に囲まれて息苦しそうなのに、至尊の人から最底辺の鬼若さんまで、さまざまな階級の縁に恵まれてよかった。
    そして源家を飛び出してしまう。
    これでもし、源家に為朝さんが残って助力していたら、歴史はどうなっていたのかと思わないでもないのです(^_^;)

    作者からの返信

    善弘さん(後の法然上人)はもちろんですが、時葉も鬼若も実は歴史上の有名人物でして、それが誰なのかはもう少し先になって明かされます。
    皆、為朝と同世代か、同じ時代に生きていた人々なので、史実では接点が無いんですが、八郎と絡ませてみたら面白いだろうと思って登場させたら、こんな出会いになっちゃいました。
    皆さん、これからも大活躍です。
    崇徳院に関しては、滝沢馬琴の「椿説弓張月」では為朝が終生忠義を尽くす主君ですが(「太平記」でも日本第一の大怨霊として金の鳶の姿で登場され、その横に為朝が控えてる!)、その切っ掛けが「熊野権現の守り札を下されたから」でして、現代人から見ると、なんだかな~ (笑)
    で、こんな出会いにしてみました。
    この先も重要な場面で再々登場されます。
    ていうか、そもそも玉藻前のモデルとなったと言われる美福門院が(保元の乱や平治の乱の一因を作ったと評される方です)、ちょうど為朝の母親ぐらいの生年なので、思いついて書き始めたのがこの物語なんですけどね。
    源家に為朝は…… 残らないでしょうね。
    そんな性格じゃない。
    それに、おとなしく源家に残って助力するような為朝だったら魅力半減で、物語にもなりにくいんじゃないでしょうか (^^;)

  • コメント失礼します。

    22話まで読みました。読みやすい文章で、私が参考にしたいぐらいです。

    私自身、西洋史の方が専門で日本史はさっぱりなのですが……。読んでいて、頭の中で為朝くんが生き生きと動いている映像を思い浮かべてることが出来るのです。

    おそらく、Evelyn様の構成や「史実と虚構」と組み合わせ方が上手だからだと思うのです。例えば、「文献での記述からして、為朝くんならこの場面で、具体的にこんなことを言いそうだな」って感じで作品を紡いでいらっしゃる……のだと勝手に考えています(違っていたら申し訳ありません)。

    史実を基にした人物の「イメージ」を創るのが上手いな、と。説得力のあるキャラクターが構築できているから読んでいて、つまづくことがないのだと思います。

    つまりは良い作品だってことです! 

    長文でお目汚し失礼いたしました。

    作者からの返信

    ありがとうございます。
    人物の性格を念頭に置いて、この人物ならばこの場面ではこうする、っていうのはありますよね。
    よく言われることですが、演技の世界でもそうする役者さんが居られるとかで。

    「映像」ということで、言われて思い当たるのが、私、自分でも思うに「視覚派」なんです。
    実は英語が専門なんですけど (笑)、話す時でさえ頭の中で文章を書いているぐらいで (^^;)
    まあ、視覚7割、聴覚3割というところかなあ。

    だから何かを考えたり書く時も常に、頭に思い浮かぶ映像や、目に映る字面に頼ってる。
    そんなところはありますね。
    興味深い御指摘、感謝です 😄

    編集済
  • 八郎様、御立派になられて。

    親父!ほんまにダメ男ちゃんやね!

    作者からの返信

    八郎はどんどん成長し、反対に為義は老人になっていますので……
    あ、でも、この先、当時としては超老人なのに超元気で賢く剛毅な人物が登場しますよ。
    それはなんと、とっくの昔に死んだと思われていたあの人…… ゴホンゴホン、ゲフン (^^;)
    お察しください。

    編集済
  • ついに元服……重季さん目線で読んでしまうと「あの八郎さまが……ご立派になられて」と爺の歓喜の涙を流しそうになります。

    作者からの返信

    そうでしょうね。
    でも、重季の苦労は実はこれからが本番だったりして (^^;)

  • Evelyn様 御侍史

    御作を拝読致します度に、Evelyn様の豊かな教養に目を見張るだけでなく、人の心の深淵を愛情深く洞察なさいますEvelyn様の鋭敏な感性、頭脳、そして深い人間愛に感嘆致します。
    どうか、その筆で多くの人々の魂を救って下さいませ。

    このたびは、私の近況ノート「TAVI」にコメントを賜り、有難うございました。
    あらためて御誠実で愛情深いEvalyn様の御人柄がしのばれ、感銘を覚えました。

    私もいたたまれない気持ちになり、日本でいつからTAVIが行われていたのか調べずにはいられませんでした(もしも10年前、既に日本でTAVIが行われていたと判明したら、自分がどんなに嘆き悲しむか分かっているのに、調べずにはいられなかったのです)。
    結果は・・・TAVIはフランスで開発され、フランスでは2002年から施行されましたが、日本に入って来たのは2013年。 
    日本では、大学病院などの大病院でも2015年以降に開始したところが大半で、今なお大学病院でさえも「現在までに20数例行いました」といった状況です。
    因みに日本では、年間約10万人が従来の開胸式人工弁置換術を受けて居られますが、手術死亡率は1.9%。 実際には高齢や体力低下のため、適応患者様の半数以上は受けられないのが現状です。
    それを克服したのがTAVIです。
    しかし、世界的に見ても、TAVIを受けた方はまだ10万人という報告もあるくらい、いまだ普及して居りません。

    TAVIを全人類が協力して普及させるべきであり、一旦普及したら、価格競争が起こって必ずデバイス(現在450万円)の価格も下がっていくでしょう。
    そこまでやるのが政治の力、国政の使命だと思います。

    コメント、本当に有難うございました。
    その御知人のためにも、決意を新たに致しました。
    今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。

    作者からの返信

    過大に褒めて頂き、正直なところ恐縮しております。
    何と返事申し上げて良いか。
    とにかくTAVIの件、頑張ってください。
    少しでも稲邊 富実代様の納得のいく結果が出るよう、祈っております。
    こちらこそ今後ともよろしくお願い申し上げます。

  • 鵜丸、って本当にあるんですね。剣らしくないネーミング。
    霊剣・宝剣の類は中国のはいくつか知ってますが(ゲームや小説で)日本のはまったく知らなかった。

    八郎、かなり落ち着いて来ましたね。比較して、お父様のまあ小さなこと。

    作者からの返信

    鵜丸は「保元物語」の中に出てくる刀で、物語だけではなく、鎌倉幕府の正史と言っていい「吾妻鏡」にも記載があるので、まあ実在したのではないかと。
    保元の乱に参陣した為義に崇徳上皇から与えられ、乱の後に朝廷に戻ったものを、平家が都落ちの際に奪って持ち去ったのだとか。
    それを壇ノ浦の戦いの後に源範頼が回収したそうです。
    ただし、その後さらに、後白河法皇、佐々木盛綱、平賀太郎、諏訪神社、安達泰盛と持ち主が変わって、安達一族は1285年の霜月騒動で滅ぼされたため、鵜丸も行方知れずとなっています。
    そんな訳で現存していないんですが、違う由来を持つ同名の刀もあるようです。

    とまあ、こんな謎に満ちた代物なので、本作では太刀ではなく短刀にして(だって、鵜が水の中から咥え上がってくるって、太刀では大き過ぎ、重過ぎじゃないですか?)、為義ではなく、叡山で修行時代に八郎に与えられる設定にしちゃいました。

    ちなみに八郎は段々と成長してきましたので、やはり落ち着きも出てくるかと。
    逆に為義は老いの影が忍び寄ってきたので……

    編集済