崇徳上皇といきなりの対面、いったいどうなるのでしょうね。
あと崇徳上皇はのちに三大怨霊に数えられたりするので、私の中ではかなり激情家なイメージなんですが、今作ではどうなのでしょう?
その辺を楽しみにしながら続きを読んでいこうと思っています。
作者からの返信
う~ん、一般的にはそういうイメージですよね。
崇徳上皇の祟りで貴族の世が終わりを告げて武士の世になったと昔は信じられていたみたいですし。
「太平記」の終盤でも日本第一の怨霊として金色の鳶(トビ)の姿で登場しますし(そしてなんと、その傍らにはやはり怨霊となった為朝が控えてる!)
ただ、いろいろな状況を考えるに、私はそれはちょっと違うんじゃないかなと思ってます。
素直で善人であったが故に藤原兄弟の権力争いに巻き込まれ、最後は後白河天皇とその取り巻きに邪魔者扱いされ、頼長に泣きつかれた事もあって決起に追い込まれた被害者ではないかと。
その辺は本文で後々に詳しく描写するつもりです。
ですから本作での崇徳上皇の性格設定は通説や「弓張月」とは全く違います。
早くも次話でその一端が表れますので、乞う御期待です (^_^)
"勢いありますかね。むしろ飄々としてません?"
悪癖がががが……飄々としたリズムと話す言葉の勢い?スピード?という、相性の悪い日本語をくっつけてしまいました……
"だからこそ法華の教えは尊い"
この前後やっぱすごい好きだな〜かさねてすき
"その無念はいかほどであっただろうか"
うわ〜つら……
作者からの返信
ああ、なるほど。
飄々とした「リズム」を「言葉の勢い」と表現されたんですね。
理解しました。
法華経ですが、比叡山で修行しているなら、法華の教えに対する言及無しという訳にはいきませんよね。
なんといっても「天台法華宗」ですから。
なので、最低限ですが取り扱ってみました。
「人は皆、仏になれる」と宣言したのが、それまでの南都・奈良の仏教とは大きく違うところです。
だから比叡山延暦寺の開祖・最澄さんも随分と奈良の僧たちと論争されています。
崇徳上皇の無念に関しては…… 察するに余りありますね 😞
この頃からあまり経たない鎌倉時代に書かれた「古事談」という書物に、崇徳の出生の秘密が書かれており、当時の人々も、それからずっと時代の下った例えば江戸時代の人々も、崇徳は実は白河法皇の胤であったと信じていたようです。
もちろん真実は藪の中ですが、現代でも小説やドラマなどの中では事実として描かれています。
でも、本当かどうかはともあれ、崇徳上皇が父親であるはずの鳥羽上皇に疎外されていたのは歴史的事実です。
う~ん、毒親というかなんというか……
しっかりと法華経で学んでいってるのかな?極楽浄土とかに行く方法とか仏になる方法をすごく知りたがっていたけど、どうなるんだろうなぁ
作者からの返信
どうもなりません (笑)
法華経を学んだのは功徳院のある比叡山、天台宗の最重要な経典だったからで、「浄土」とか「仏になる方法」について疑問が多いのは、「知りたがってる」というよりは、それが皆が行える方法として明確にされていないことについて「おかしいと思ってる」ってことです。
善弘さんとの出会いは八郎が精神的に成長する大きなきっかけにはなりましたが、これ以上に仏教にハマることはないと思いますよ。
「成仏」や「極楽浄土に行く」方法を探し求めていくのは、これから先の善弘さんの領分です。なにしろ後の法然上人、仏教を真の意味で民衆のものにしたという鎌倉仏教の開祖ですから。
八郎はこの人と以降も深いつながりを持ちながらも、武士としての彼なりに衆生を救済する道を選びます。
その辺は数話前の「祇園闘乱」の最後で描いた通りです (^_^)
「叔父子」ってすごい皮肉のきいた呼び方ですよねえ。
藤原璋子、祖父のお手つきではないか、疑わないわけではないであろうに、それでも鳥羽天皇は愛したのでしょうねえ。藤原璋子、きっと、女性として魅力ある人だったんでしょうね。
(これが我が身を罠に嵌めたという玉藻前の息子か。)
おっ、ここで、玉藻前の名前が。
作者からの返信
崇徳院の出生、その後の曽祖父・白河法皇や父・鳥羽天皇との関係については、皇族や公卿、僧のスキャンダル的な話を多く集めた書物である「古事談」に載っています。
鎌倉初期の書物ですから、崇徳の時代からあまり時がたっておらず、ある程度は信憑性があるのではないでしょうか。
実際、その頃の人々の多くが「崇徳は白河の子である」と考えていたようですし、物語やドラマなどでもそう描かれることが多いようです。
ところで玉藻前、出ました!
もう少ししたら再登場です。
お楽しみに!
最高位の天狗である天魔になった大怨霊の生前か…
作者からの返信
太平記の終盤にも、崇徳上皇が金の鳶の姿で「日本第一の大怨霊」として現れる場面がありますよね。
で、その傍らには為朝が控えてる (笑)