第4話 八郎誕生

 六月も終わりに近いある日、玉藻から懐妊の兆候を知らされた時、為義はまず驚き、信じられなかった。


 あれから江口に通い詰めることひと月あまり。

 それでは飽き足らず、渋る長者に多額の金子を積んで遂に玉藻を我がものとし、洛中に屋敷を与えて住まわせた。堀川の源氏やかたよりは勿論はるかに小さいが、かつてはある公家が住んでいた、随所に趣味の良さを感じさせる邸である。

 為義が評判の白拍子を囲ったことは、すぐに京の人々の噂に上った。

 少し表を歩いただけで目立つ器量であるし、更には為義自身が頻繁に堀川の館で宴を開き、人を招いて玉藻の舞を披露したからである。

 為義は得意の絶頂であった。

 常日頃、自分たち武士を走狗のように見下していた公家共が、今は玉藻の舞を見たさに為義の宴に招かれることを乞い願う。その数は日を追うごとに増していくばかり。

 玉藻から子ができたらしいと告げられたのは、ちょうどそんな頃であった。


 為義はいぶかった。初めて契りを交わしたあの夜から三月みつきと経っていないではないか。

 いかにも早すぎる。一夜の交わりで子を成すということも聞くが、おそらくは稀であろう。


薬師くすしには診せたのか」


 尋ねてみると、まだ、という返事である。


「気のせいということもあるからな。あまり期待すると、そうでなかった時の落胆も大きい。まずは様子を見て、今の兆しが続くようなら薬師を呼ぶと良い」


 とだけ言っておくことにした。玉藻もそれ以上は何も言おうとしなかったので、この時はそれだけで終わった。

 ところが、月が改まり十日ほど経つと、この頃では堀川にも出入りの若い薬師が、身の回りの世話に玉藻に付けた下女と現れ、


「おめでたいことで。玉藻様、やはり御懐妊のようです」


 と言う。


「うーむ」


 為義は思わず唸った。

 子供が増えるのは喜ばしいことだ。自らもそれを願って玉藻を囲ったのである。ただ、やはり時の短さに疑念が残る。

 もしかすると、あの女…… 既に誰ぞのたねはらんで、それを承知で儂のものになったのではないか。白拍子ならばそのような相手も多々あらん。

 左様に考えれば、いつも何を考えているか得体の知れぬあの女が、その時ばかりは儂の申し出に意外にも素直に頷いたのも辻褄が合うというものだ。


 一度そう思い出すと疑いは更に深まる。

 玉藻自身はその後は再び懐妊のことは口にせず、何もなかったかのように振る舞ってはいるが、心なしか日毎に腹は膨らんでいくようにも思われる。

 いっそのこと誰の胤か問い詰めてみるか。いや、この源為義ともあろう者が、そんな見苦しい真似ができようか。


 更にふた月あまりが過ぎ、玉藻の胎に子が宿っていることは誰の目にも明らかになった。

 女の子であってくれればよい、と為義は思う。

 娘ならば、いずれはどこかのしかるべき相手に嫁にやるのだ。たとえ自分の実の子でなくとも大した事ではない。血の繋がらない美貌の娘をあえて養女となして、権勢盛んな家の嫁や側女にし、後の出世栄達を図る親さえ世上には多々いるではないか。


 だが、もしも男子おのこであったら如何せん。

 為義にはこの時、長男の義朝を筆頭に息子だけでも七人。今更それが一人増えることは大した問題ではない。

 しかし、長子相続の定まっていない時代である。現に、自らと折り合いの悪かった長男・義朝は東国に下し、二男の義賢をそれに代えて嫡男として扱っているのだ。

 もしも、新たに生まれた男子が後々思い上がり、他の息子たちを押しのけて源家の棟梁にならんとすればどうするか。その時、自分が老い、あるいは既に死んでいて、何もすることが叶わぬとすれば。


(歳が相当に隔たっている故、まさかとは思うが、この玉藻の産んだ子ならばあり得る)


 為義の懊悩は深まるばかりであった。


 とうとう臨月が近づく。

 晩冬になると例の薬師が頻繁に館を訪れ、玉藻の様子を知らせていくようになった。為義はこのところ玉藻の住まいを訪れていない。懊悩に耐えかね、考えないようにしていたのである。

 そして、年が明けた保延五年一月のある日、若党の一人が為義の居室であるぬりごめに来て告げた。


「薬師の某、只今門前に参り、今日こそは御目通りをと申しております」


 そうか、と為義は観念する。腕組みをして瞑目した。

 ここ暫く毎日のように訪れるのを煩わしいと感じ、何かと理由を付けて会うのを避けておったが、これ以上は無理であろう。

 以前に聞いた話では確か今日あたりがその日であったはず。さすがに会わずばなるまい。

 立ち上がった。歩きながら思う。

 忌々しい。あの若い薬師はきっと、子が生まれたのを自らの手柄のように誇るのであろうて。儂の気も知らずに。

 いや待てよ。他の男の胤と決まった訳ではない。何せ確証は無いのだ。ただの思い過ごしかも知れぬではないか。それに、まだ息子か娘かも……

 ところが、門前で待たされていた薬師は為義の顔を見るなり大声を上げる。


「玉藻様、お手柄でございます! つい先ほど若君をご出産なさいました」


 満面の笑みである。

 為義は一瞬、眼前が真っ暗になる思いがした。危うくふらつきそうになったが、それに耐え、何とか平静を装って応じる。


「そうか。それで、産後の具合は」

「母子共に御壮健でございます。どうかくお褒めの言葉をかけてあげて下さいまし」


 為義は心中に深い溜息をついたが、顔に出す訳にはいかない。


「生まれながらにしていかにも勇壮、利発そうな若君ですぞ。身体は常の赤子よりふた回りも大きく、既に眉目秀麗。宋伝来の高価な秘薬の効能でござろうか。全く、私も力を尽くした甲斐があったというもので。これで御家は安泰」


 一気にまくし立てようとするのを遮り、


「馬引けい!」


 と付近の郎党に声高に命じ、後は無言で歩き出す。

 薬師は当然のように後に続く。為義はそれに対し、


「そなたは何用じゃ」


 今度は厳しい声でただした。

 薬師は目を丸くして仰天し、不審げに尋ね返す。


「と仰いますと」

「母子共に壮健と言ったではないか。ならば最早そなたの出る幕ではない。帰るが良い。褒美は追って取らす故に」


 決めつけるように言い、引かれてきた愛馬にひらりと跨った。唖然とする薬師を尻目に馬を歩ませ始める。

 郎党の一人が供を申し出るが、それも、


「無用じゃ」


 と断った。今は誰とも一緒に居たくない心地なのだ。

 いつ眉間に皺が寄った、苦虫を嚙み潰したような顔に変じるか分らぬ。息子が生まれたというに、そのような顔をしていれば周りは何と思うか。

 六条通りには寒風が吹きすさび、空はどんよりと曇っている。


「ふん。儂の気分には似合いの天気じゃわい」


 為義は誰にともなく呟いた。

 急げばすぐの距離を、わざとゆっくりと馬を歩ませる。

 途中何度も馬を止めて引き返しそうになるのを、その度に思い直し、玉藻の邸に着いた時には四半刻が過ぎていた。


「為義じゃ。入るぞ」


 一声かけて小者こものが守る門をくぐり、庭を横切って母屋に向かうと、その入り口には見覚えのある老人が立っていた。驚いたことに江口の長者であった。

 老人は挨拶をする。


「お久しぶりでございます」

「おう、長者殿ではないか」

「この度は若君の御誕生、誠に祝着至極に存じ上げます」


 聞けば、一昨日からここに詰めていたらしい。


「玉藻には他に身寄りも居りませんから、まあ、父親代わり、爺代わりに駆け付けた次第で。さあ、早く会ってやって下さいませ」


 勧められて奥へ入ると、屏風ととばりで隠された一隅の前で下女が迎え、中へ向かって告げる。


「為義様、いらっしゃいました」


 既に産婆はおらず、全てが綺麗に片付けられた後だった。

 置き畳が敷かれ、玉藻がしとねの上で上体を起こして待っている。

 少し頬がこけているようであったが、その他は全く常と変わらず、とても産後とは思えぬ様子であった。相変わらず毅然として、憎らしいほど美しい。

 その隣で赤子が小さな寝息を立てている。


「このところ色々とあって、顔を見せずに済まなかった」


 為義は立ったまま、まず小さく頭を下げた。

 すると玉藻は、


「御懸念は無用です。毎日お会いしなければ生きていけない訳ではございませんから」


 と、静かにうそぶいた。この返答に為義はあらためて呆れ、続ける言葉を失った。

 儂が敢えて謝っているというのに。こういう時は世辞にも寂しかったとか言うものではないのか。しかし儂はなぜ、こ奴のこんな所に因果にも惹かれてしまうのか。

 玉藻は為義のそんな様子は気に掛けるでもなく、


「八郎でございます」


 と、視線を赤子に向けた。もう名前まで決めてしまっているらしい。


(全くこの女は。だが、まあ良い。八番目の息子であるからには幼名を八郎とするのに異存はない。しかし、それにしても……)


 為義は赤子を凝視した。

 信じられぬ。これが本当に生まれたての赤子であろうか。

 髪は生え揃い、顔は白く、鼻筋が通って整っており、言われなければ三月みつき四月よつきを過ぎた子供の寝顔と見まがうほどだ。

 赤子とは皆、猿のように真っ赤な皺くちゃの顔をしているものではないのか。

 今まで生まれたどの息子、娘とも似ていない。

 確かに玉藻には似ているようだが、とても自分の息子とは思えぬ。

 しかし、それを言う訳にはいかない。どうしても子供の誕生を喜んでいるふりをしなければならぬのだ。


「男子とは手柄であったな。急ぎ乳母の手配をしよう」


 これだけの言葉を発するのにも努力を要した。

 ところが玉藻は言う。


「それは御無用に願います」


 為義は漠然と不安を感じた。

 この時代、しかるべき家の赤子には必ず乳母が付くものだ。

 当然にその理由を問うと、玉藻は低い声でゆっくりと返した。


「この子は私がこの手で育てたいのです。長く一緒に居てやれるとは思えませんので」


 謎めいた言と呪術のような声音こわねに為義は不覚にも痺れ、言葉の意味を探るのも忘れて陶然となった。


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