第48話 日常はいくつもの奇跡の上に成り立っている

「お前……本当にカルマか?」


 バトラーは驚愕に目を見開いている。


「オレ以外にカルマという名を冠するものはいない。無論、地上のどこにも」

「そういう意味合いではないと思いますよ。……〝カルマ兄さん〟」


 と、今まで沈黙を貫いていた天が口を開いた。


 カルマは鎌首をもたげるが如く鈍重さをもって首を巡らす。


「まだ、オレを兄と認めてくれるのか?」


 しかし返された疑問はまるで見当違いで。

 けれどその言葉には、これまでで一番感情が籠もっていて。


 だから、なんだよ気づいてないだけじゃないか、と心の中でつぶやいてしまう。


「痛かったですけど……すごくすごく痛かったですけど、なんとなく意中を察したので許してあげます。痛かったですけど」


 根に持ってんなぁ。けど、治ってもその瞬間の痛みまではなくならないからな。 


 気のせいか、カルマが少しまごついた気がした。具体的には眉がミリ単位で下がるという形で。……うん、これは気のせいの範疇だな。


「謝りなどしない。王たるもの、易々と頭を垂れてはならない」

「自覚、あるんじゃないですか。悪いことをしたら謝る。それは階級問わず、当然のことですよ?」

「……すまなかった」


 天に圧されてボソッとつぶやくカルマさん。


 さてはこの魔王、妹に弱いのか?


「まったく、やり方が不器用すぎるんですよ。本当は誰も殺すつもりなどなかったのでしょう?」

「そんなことはない。オレは本気で……」

「ならどうして、三人の転移を見逃したのですか?」


 確かに。

 俺の能力はことごとく封じられたというのに、姉貴他二人はこの場所にいない。 


 つまり、俺が危険を察知して咄嗟に願ったことが叶ったということで。


「……」


 少し違うが、語るに落ちた。

 詰問責めの合間の沈黙は、肯定と同義だぞカルマさん。


「用は済んだ。帰還する」


 おたおたすることも、妙な強がりを見せることもなく、カルマは首を向き直して歩き出す。


 道すがら、カルマは俺にそっと耳打ちした。


「妹を任せた」

「え?」

「一年だ。一年遣いの者を送っても成果が出なかったら、その時は観念しよう。せいぜいオレを退屈させないよう最善を尽くせ。つまらん見世物に現を抜かすほど、オレは寛容ではないんだ」


 ぷつんとカルマの姿が消えると同時に、街の喧騒と風音が耳朶を打った。


 ワンワンと泣き声がして振り返ると、舌を出してぶんぶん尻尾を振るチワワと主婦と思わしき女性がいた。


「こらっ、人様に迷惑かけちゃ駄目よ。すいません」

「いえいえ、こちらこそ道を塞いでしまって申し訳ありません」


 会釈して道を譲る。愛想を振り撒く女性と、発情してんのかってくらいに吠えまくるチワワを見送りながらふと思う。


 そういえばカルマとの接触中、自然音が一切聞こえなかったな。


「……まったく」


 抜かりないお兄様だ。どこまでが演技かはわからないが、天の仮説はおおむね的を射ていたのだろう。


 奇跡なんて存在しない。努力の過程で偶発的に生まれた産物を人が勝手にそう呼んでいるだけ、と勝手に定義を改変していたのだが、どうやら今回の一件は元来のニュアンスの『奇跡』と思う他なさそうだ。


 これまでの出会い自体は必然だったのかも知れない。

 

 けれど、過程や結果に関しては無数の可能性が広がっていた。


 ――ゆかりが俺に懐かず、一人で魔法の修行に励む可能性があった。


 ――誰も気づくことのないまま、バトラーが人類を滅ぼす可能性があった。


 ――目が覚めたら、姉貴のいない世界になっている可能性があった。


 ――天に見放されて、凍え死んでしまう可能性があった。


 可能性なんて、枚挙に暇が無いほど存在する。


 そんな数多の分岐点が存在するなかで、今ここにある未来にたどり着く確率はどれくらいだろう。


 二人の異世界人の懐柔に成功し、姉貴も百合も無事で、天が地上に残ることを選んで、カルマがその意志を尊重した未来。


 思考を巡らせなくとも、今が『奇跡』の上に成り立ってるんだってことはよくわかる。平凡な毎日がいかに幸せか、この期に及んではじめて理解したよ。


「天、バトラー」


 背後から丁寧な返事と砕けた返事が戻ってくる。


 人類滅亡の危機は去ったが、完全に可能性が潰えたわけではない。


 あと一年、俺の行動次第で世界は存続するかも知れないし、滅びてしまうかも知れない。


 まったく……とんだ大役を担わされたもんだよ。


 けどまぁ、肩肘張ったところでどうしようもないから、これまでと同じ態度を取っていくしかないんだけど。


 ……それでいいんだろ? カルマ。


 日の落ちた夕空に手を伸ばし、俺は決意を新たに振り返って言った。


「帰るか」


 三人の待つ家に。


 大切な繋がりをもった人たちがいる場所に。


 そういえば、三人に今日は帰れないなんて呪縛をかけてたっけ。


 無駄にだだっ広い家だから、三人分の寝床くらいなら容易に確保できるだろう。

 小学生以来だが、母さんも友人の宿泊を憚ったりしないはずだ。


 明日は土曜日。

 たまには夜通しどんちゃん騒ぎするのも悪くない。

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