第45話 無力感に打ちひしがれた人間はバッテリー切れの乾電池と大差ない

「なぜ今、呪いをかけなかった?」


 俺など眼中にないのか、男は険のある目を天に向け続ける。


「……」

「どうして呪いをかけなかったかと聞いているんだ。その男にほだされて、口も利けなくなったのか?」

「……ます」


 肺腑から絞り出したような掠れた声。


「わた、しが……わたしが自分の意志で決めたこと、です。〝兄さん〟を悪く言わないでください」


 キッと天は力強いまなざしで応戦する。


 恐らくは、本当の〝兄さん〟に向けて。


「そうか」


 気分を害した様子も翻意を促す素振りも見せることなく、男は無表情にそう一言、つぶやいた。 


 そこでようやく男は俺を一瞥し――次の瞬間、男の姿が消えた。


「カッ……!」


 と、息が詰まったような声は隣から。


 見れば、天の腹部に拳がめり込んでいる。


「なら躾けるまでだ。オレに服従を誓うまでな」


 冷淡に言い放って拳を引き抜くと、男は天の髪を引っ張り上げて頬に蹴りを入れはじめた。


「ぐぁっ……!」


 膝で何度も何度も。


 その度に天は苦悶の声を漏らす。


「……なに、してんだよ」


 突然はじまった躾と称される虐待。


 鈍い音が二回ほど聞こえた辺りで、俺は正気を取り戻した。


 そして理解した。


 妹が激しい暴行を受けているという現状を。


「天になにしやがんだてめぇ!」


 相手が誰か、彼我の差はどれくらいか。激情に身を委ねたが故に、思考はろくに機能していなかった。


 そして、蛮勇をふるうことが常に最善の結果を導くわけではないという当然の理を、数秒後に俺は身をもって知ることになる。


「落ちつくんだ紫音!」


 進路に忽然とバトラーが現れて、俺の両腕を強く握り締める。全体重を乗せて前進を試みるが、身体は前傾姿勢になるばかりで、一歩も天に近づくことができない。


「離せよッ! 天が傷つけられてんだッ!」


 激昂して叫ぶも、バトラーが膂力を緩める気配はない。


「だからこそ、一度熱を抑えるんだ! 紫音もわかってるんだろ⁉ アイツはカルマだ!感情任せに挑んで勝てる相手じゃな……っ」


 その時、信じられない光景を目の当たりにして、苛立ちはたちまち驚愕に転じた。


 あのバトラーが、英雄とまで称される男が。


 歯を強く噛み締めながら、瞼をぴくぴくと震わせている。


 やがてバトラーは両膝を地につき、後ろを振り返る。


「……卑劣な。お前には矜持というものがないのか」


 声を発するのもやっとのようで、バトラーの声はひどく嗄れていた。


「勝負の世界においては勝利こそが絶対だ。オレにくだらん騎士道を押しつけるな、英雄バトラー」

「……くそっ」


 バトラーがなにをされたのか、それは二瞬のちに明らかとなった。


 男――カルマの一方の手は天の髪を握ったままで、もう片方の手には注射器のようなものが握られていた。


 それだけ見れば、なんとなくなにがあったか見当がつく。


 恐らくバトラーは、俺の動きを封じて両手が塞がったために、毒か麻痺か、いずれにせよ身体に支障を来す薬剤を投与されたのだ。闇討ちのような形で。


「大丈夫かバトラー。すぐ治すから」


 と熱りの冷めた脳が最適解を導き出すが、


「それは叶わない」


 カルマは天に暴行を加えることも、バトラーにトドメを刺すこともせず、心底つまらなさそうに俺を見下ろしている。

 

 今なら三人を鏖殺することなど、雑作でもないだろうに。


「オレが識閾上にある限り、オレの許可なく力を行使することは叶わぬ。今のお前は、一人類にすぎん。特異性をもたない、ありふれた存在だ」


 冗談だと言ってほしいね。

 なんて、眉をピクリとも動かさない鉄仮面に思うのも望み薄だけどさ。


「マジかよ……」


 言いつつも、目で見て確認するまでは諦めまいとバトラーの治癒を試みるも、バトラーの憔悴した顔が頬笑みに変化することはない。マジかよ……。


 そりゃカルマが俺を使い古されたアルカリ電池みたいに扱うわけだ。


 危険性など皆無なのだから。逆上しようと、なにもできないのだから。


「フィレンゼルの血を失ったお前に興味はない。己の無力さに悲嘆しろ」


 なんだよフィレンゼルの血って。


 ……ああ、もしかしてルクシア皇女のラストネームかな。

 なんて、今知ったところでなんの役にも立たねぇよ……。


 ゴスゴスと鈍い音が響き出す。天が傷つけられている音だ。


「ごめんなさいごめんなさいっ」


 痛ましい声。


 妹の嘆きに対して、俺はなにをすることもできない。


「謝罪はいらない。オレが欲しているのは服従の言葉だ」


 超常的な力がないから。抗う術をもたないから。


 膝を抱えることしかできない。


「ごめんなさいごめんなさいっ」


「強情を張らず諦めろ。オレとて実の妹の命を奪いたくない」


 ならそんなことするなよ。


「……嫌、だ。〝兄さん〟が絶対助けてくれるんです」


 舌足らずの弱々しい声だった。


 けれど、瞳の輝きは消えていなくて。


「怜悧なお前はどこにいったんだ。兄さん兄さんなどと、まるで赤児のように」

「〝兄さん〟はいつだって助けるんです。奇跡なんかに期待しないで、身の危険も厭わないで。だからきっと、この絶望的な状況だって打破してくれます」


 だって、と天は一呼吸おいて。


「神様はそんな一生懸命な人の味方をしますから」

「天……」


 どくんと、身体の内側でなにかが流動しはじめた気がした。




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