第44話 巨悪は平和のぬるま湯に浸かっているときに襲来するのがお約束
精も根も尽き果てたと言わんばかりの疲れ切った表情を浮かべながらトンボがけする野球部員を脇目に、無名・活動内容不明・部員数未定の不確定要素三冠を達成した謎集団6名は、玄関を抜けて軽い足取りで校門へと足を向ける。
「さ、咲月様! お疲れ様です!」
「うん。お疲れさま。先週、昨年の地区大会優勝校に勝ったんだってね」
「な、なんたる光栄ッ! たかだか練習試合のレコードが咲月様のお耳に触れていようとは……ッ!」
「いつも頑張ってるから当然の結果だと思うよ。来週の大会、頑張ってね!」
「は、はい! 絶対に……絶対に優勝旗を持ち帰るであります!」
「うん。その意気だよっ」
姉貴の激励を受けた野球部員は深々と頭を下げ、踵を返す際に垣間見えた彼の顔つきは十代くらい若返っているように見えた。
姉貴、もう野球部のマネージャーになれよ……。
と、姉貴の人望の厚さは言わずもがなだが。
「ば、バトラーくん! そ、その……読んでくれませんか⁉」
「もちろん。明日には返事をしたいから名前を教えてくれないかな?」
「っ⁉ は、はい! わ、わたしは――」
右を向けば、金髪転校生(今日で四日目)がラブレターにしか見えないお洒落な小封筒を四枚手にしており、
「ゆ、百合先輩! そ、その……わたしの気持ち、受け取ってください!」
「あ、ありがと……じっくり、読ませてもらうわね」
「はい! 来週から部活が再開することを切に願ってます!」
「う、うん。……その、気をつけなさいよ」
「っ⁉ あ、ありがとうございます! 気をつけて帰ります!」
「ええ。……夜道を心配したわけじゃないんだけどなぁ」
左方で展開される百合の百合ルートは、気の毒というかなんというか……。
男子の枯渇した運動部においてクールでカッコいい系の女子がモテるというのは、それほど珍しいことではない。吹奏楽部なんかだと、マドンナの取り合いで内部分裂が起こるのだとかなんとか。
土俵を間違えてないか?
「兄さん聞いてますか?」
「ん。ああ、ごめんごめん」
日向あれば日陰あり。三人からやや離れて歩く他三人は、益体のない会話をしながらゆっくりと歩いている。
この下校風景にも慣れたものだ。いつも姉貴と百合の周りは騒がしくて、俺と天とゆかりの周りは森の深奥部みたいにのどかで、今週の頭からは学園二代スターに匹敵する期待の新星バトラーが加わって……。
こんな日々も、今日で最後になってしまうのだろうか。
ゆかりは本来の記憶を取り戻し、バトラーは元いた場所に還る。
少なくとも、部員が一人減ってしまうことは確実だ。
近い将来に思いを馳せるなり胸の奥の寂寥感が肥大していき、俺はこの時間を心地よく思っていたのだと改めて気づかされる。
当事者としての責任なんてものが原動力になっていたのは最初だけで、この場所を守りたいという切な思いが、俺を獅子奮迅と動かしていたのかも知れない。
人類の存亡なんて、はじめからどうでもよかったのかもな。
頭上の絶景は、新たな門出に際しての神様からの些細な贈り物だろう。
からすの歌が街に響き渡りはじめた。
「――なにをしてるルカ」
なんて。
放課後の何気ない日常を事細かに解説できるくらいに、俺は気を緩めていた。
今日も何事もなく終わる。明日ですべてが終わる。来週からこの日常はなくなる。
そう割り切っていたから。今日を既に終えた気でいたから。
だから、青天の霹靂に気づくことができなかったのだろう。
「…………ぇ」
隣を歩いていた天は、首を巡らすや否や顔面蒼白となった。
「どうした天?」
「ど、どうして……」
さほど寒くないのに天は全身を小刻みに震わせている。
視線の先に立つのは赤髪の男。一見細身だが、腹筋は遠目でもわかるほどにヒビ割れていて、上腕二頭筋にははち切れんばかりの血管が浮かんでいる。
下はややくるぶしより高いチノパンツ。上は開放的で……。
「どうしてここにいるのですか――〝兄さん〟」
待て待て、半裸で歩く一般人がいるわけないだろ。
低く見積もっても、そいつは変質者。
ただこの場合に至っては、変質者である方が断然ありがたいのだが……。
「それはオレの台詞だルカ。誰が人間と戯れろと命令した?」
男の語勢は横柄で起伏がなく、そこに感情は感じられなかった。
琥珀色の瞳に、頭部から生えた角のような突起物。
「――姉貴と百合とゆかりは俺の家から今日一日出られない!」
理解するより早く、口早に叫んでいた。
背後にあった人の気配が消える。
場所は閑散とした、夕暮れ時の一本道。
人通りの少ない場所で助かった。
街中だと、どう対処すべきか考えあぐねてしまうに違いないからな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます