第43話 誰しも幼い頃は空への飛び方を知っているのに大人になるに連れて忘れていく
四人の奥の窓辺から光が差し込んでいる。シースルーに遮られて彩色までは確認できないが、西日が射しているのは確かだ。どうやら悪天候は去ったらしい。
部屋のリフォームに際して窓をほんの少し開けていたことを思い出し、戸締まりしようとシースルーの裏に回る。
瞬間、俺の意識は完全に外に向いた。
「……おぉ」
立ち尽くして一人感嘆を漏らしてしまうほどに、儚く神秘的な夕空だった。
千切れ千切れの墨色の雲が仄かに滲む茜色の空で燃える夕陽。
山の山頂に乗っかった夕陽は煌々と薄暮の街を照らし出しており、東の空では今か今かとまんまるな月が出番を待ち兼ねている。
知らない景色だった。
いや、正確には忘れていた、というべきだろう。
記憶にないだけで同じ光景を何度か目にしていたとは思うのだが……何年ぶりだろうか。夕暮れの街を一望するのは。
「お師匠様?」
疑問の滲んだ声を漏らしたゆかりが、とことこと小走りに駆け寄ってくる。
「どうしたのですか?」
お師匠様、なんて大それた呼ばれ方をされてもうすぐ二週間か。
早いもので、あと一週間もすれば5月だ。
直に桜は深緑の葉へと移り変わる。
「……ゆかりはさ、俺と出会えてよかったって思ってるか?」
「えっ? きゅ、急にどうしたのですか?」
「後悔、してないか?」
その言葉に込められた二つの含意を、ゆかりが察することはないだろう。
この子が額面通りにしか言葉を受け取れない素直で健気な優しい子だってことは、この二週間を通して十分理解している。
「と、とんでもないです!」
視界の端でショートカットがぶんぶん揺れる。
「後悔なんてするはずがありません。お師匠様がいなければ、きっとわたしは今も放課後の屋上で鍛錬に励んでいました。見栄も外聞もなく、一人冷たい風に吹かれながら」
殊更に噛んで含めるような切々とした語調であるように感じられたのは、気のせいではないだろう。
「こんなにも毎日が楽しいのは、お師匠様がわたしを導いてくれたおかげなんです。だから……お師匠様はわたしの恩人だから、いつまでもお師匠様なんです」
どうやら俺はまだまだ理解が浅かったらしい。
先ほどの言葉の含意の少なくともひとつは、明け透けのようだった。
「……そっか。ならよかった」
夕焼け空からゆかりに視線を移すと、ゆかりははにかむように微笑んだ。
「はい。いつまでも一緒です」
「……」
その言葉には、果たしてどんな含意があるのか、はたまたそんなものは存在しないのか。
深読みはやめて、俺は曖昧に微笑み返した。
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