第39話 普段ツンツンしてるヤツほど体調を崩した途端に優しく接してくる

 瞼を開くと、見慣れた天井が視界に飛び込んだ。


 節々が痛い。頭がぼうっとする。


 完全に発熱の症状だ。


 気怠さに苛まれながらも身を起こすと、額から濡れたタオルがずり落ちた。


「あっ」


 と、甲高い声は部屋の入り口から。


 目に覆い被さったタオルをどけると、洗面用の桶を持った天がいた。


 妹の姿を確認できたことで気が抜けたのか、視界がぐわんぐわん揺れはじめる。激しい耳鳴りもしてきた。


「ちょ、無理しないでください」


 慌てて駆けよって来た天が、ゆっくりと俺の身体をベッドに倒す。天の微力に抵抗する余力すら今の俺には残されていないようだ。身体がまるで言うことを聞かない。


「すごい高熱なんですから、安静にしててください」


 俺の鼻っ柱に乗ったタオルを引っ張り上げ、冷水に浸して絞ってから再び額に乗せる。 


 ああ、気持ちいい。

 なんて思う時点で、自分がかなり重症なんだと改めて理解する。


「今、何時だ?」

「二時です。夜中の」


 ってことは俺が意識を失ってた時間は……起点がわからないから計算できないな。ただ、こんな時間に天が起きてるのが異常事態だってことはわかる。


「俺はもう大丈夫だから。天は自分の部屋で寝なよ」


 むっと天は渋面を作った。


「嫌です。今日は寝ずに兄さんを看病すると決めましたから」


 そっか。


 とりあえず、明日の朝まで天が地上に留まり続ける方針であることに安堵の息を漏らす。


「ほら、今のため息にも熱が籠もってます。こんな状態で一人にしては兄さんが死んでしまいます」

「大袈裟だな。別に一人になったって死にやしないって」

「駄目です。今夜は絶対に兄さんの側を離れません」


 頑固な奴だ。いつもと変わらない天の勝ち気な態度に安心感を覚える。


 天がいる。


 その現実が、今の俺にとってはどんな処方箋よりも効き目のある薬だった。


「もう早朝だけどな。……わかった。なら朝まで俺の側にいてくれ」


 天は柔らかな笑みを浮かべた。


「はい。今夜だけ、ではなく、紫音兄さん専属のナースになります」

「……ああ、頼んだ」


 バトラーの話は真実だったようだ。

 けれど、ここに天がいるってことは、俺を見捨てることに未練があるってことだ。


 それに天は、俺が勝手に死ぬことを許さなかった。

 こんだけ証拠が揃ってりゃ十分だろ。


「あのさ天」

「はい」

「お前と出会ってから毎日が楽しくなった。姉貴と百合は元々騒がしかったけどさ、けどやっぱり、三人より四人、四人より五人の方がうるさくて心地良くて。だから、ありがとう天。面と向かって言ったことなかったよな」


 テレパシーで何度か感謝を伝えた覚えはある。

 けれど、こうやって互いに向き合って感謝を伝えたことはないような気がする。


 感謝された妹のリアクションはというと、


「べ、別に感謝されるようなことなんか……」


 初々しいねぇ。顔を真っ赤にして身悶えしてるよ。


「な、なんですかぁ! まじまじ見つめて!」

「べっつに~」


 今ので今日のことはチャラにしてやろう。元々がみがみ言う予定はなかったけど。


 天がいる。近くにいる。


 それだけで十分なんだ。


 明日の6時、熱が引いて俺は万全の状態になる。

 天に熱は移らない。ついでに、眠気も払拭してやって欲しい。


「後の二つは余分ですよ」


 そうかな。俺の完治に欠かせない必須条件のはずなんだけど。


「呪いをかけられないからか?」

「……できるわけ、ないです。〝兄さん〟にそんなこと」


 今の兄さんは、これまで口にしてきた兄さんとはまるで重みが違った。だから都合良くこう解釈することにした。


 天が俺を本当の兄と認めたんだって。

 天が本当の妹になったんだって。 


「ありがとな」

「感謝されることなんかないです。全面的に悪いのはわたしですから」

「それでも、ありがとうは訂正しないよ。……妹でいてくれてありがとう天」

「……それはわたしの台詞なのに」


 消え入りそうな声で天はつぶやく。


 いつも主導権を握ってばかりだから、受け身の体勢に慣れていないのだろう。さっきからずっと、天の頬には紅が差したままだ。


「おやすみ天」


 しかしまあ、たまには風邪を引くのも悪くない。


「はい。おやすみなさい兄さん」


 最高に可愛い妹の百面相が見放題なんだからさ。

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