第40話 どんな物語においても正義と悪の対立を避けることはできない
翌朝、熱は嘘みたいに引いていた。
直接測ったわけではないが、昨日……というより早朝まであった症状がことごとく消失している現状から推測するに、快復した、と判断するのが妥当だろう。
こんな回りくどい考え方ができる時点で平常運転だよ。
ちらと視線をベッドの脇にやれば、すぅすぅ寝息を立てながら天が眠っている。
「ありがとう。おかげで無事完治したよ」
そっと頭を撫でると、天はむず痒そうに口をふにゃふにゃさせた。
いつか姉貴も同じような表情をしていたが、実は天と血が繋がってました、なんて超展開がこの先に待ってたりするのかな。
ま、同じ血が流れていようがいまいが天が妹であることには変わりないんだけど。
「起きろ天、新しい朝だぞ」
「ん~……希望の朝ですかぁ?」
どこでこんないらん知識をつけてくるんだか。
カーテンを開くと一面雪景色! なんてこともなく、普通に青空が広がっていた。
窓から差し込んだ朝日に目を細める。
うん。メラトニンが分泌されてる気がするね。
「ああ、希望に満ちた空だ。空を仰ぎたくなるね、天だけに」
「……なんだか鬱々としてきました」
はぁと疲れの滲んだ重々しい息をつき、ごしごしと天は目を擦る。
あれ? 昨夜……というよりは早朝の眠気払いは効果なしか?
天は幾分、眠たそうだ。
「どうしました? 狐に抓まれたみたいな顔して」
「ああ、いや」
実際その通りなんだが。
「それにしても、本当に一晩で完治してしまうんですね」
「まあ、超常的な力を行使してるからな。俺の願いはなんでも叶うらしい」
たった今、矛盾が生じたけど。
「知ってますよ。兄さんの望みはなんでも叶うということも。その力を絶対に私欲のために行使しないということも」
「なんでも叶っちゃつまらんからな。ロミオとジュリエット効果って知ってる? 人間、苦労して手に入れたものに価値観を覚えるんだぜ」
「わたしは兄さんの命を奪おうとしてました」
「……」
せっかく話題を逸らそうと試みたのに。
面と向かって告白されては、曖昧にはぐらかすことができないじゃないか。
「織姫職に就く神様なんて嘘なんです。わたしは悪魔なんです」
「知ってるよ」
俺が自分の力を把握していないことにつけ込んで利用したことも。
本当は一連の事態が天の想定内だったってことも。
「わたしがいるから、人類に危機が迫っているんです。わたしが『門』と異界を繋ぐ役目を果たしているから、世界は狂ってしまったんです」
一般人が秘められた能力に目覚めはじめた。
ゆかりや俺という前例がある今でも、信じられない話だ。
……姉貴もなのかな、一応は。
「わたしの任務は兄さんの暗殺でした。私欲に走った瞬間に呪いをかける、という単純かつ簡単な任務です。どうせ一日と経たず完遂してしまうだろうと思っていました」
長話になりそうだ。ベッドに腰掛ける。
「ですが、実際はてんでうまく行きませんでした。この方、おかしいんじゃないかってくらいに利他思考者なんです」
そんなつもりはないんだけどな。
「最初は偽善者だと思っていました。人前でいい顔をしてポイントを稼ぐというのは、恋愛・仕事・人間関係、ありとあらゆる面において有効かつ王道的な手段ですから」
「否定できないのが悔しいな」
きっと悪魔だから、そういう人間の汚い面をたくさん見てきたのだろう。天下りとかがまさに典型例だ。
国のトップでも狡猾な手段を用いてるんだ、当然中流も下流も老獪な立ち回り方を覚える。それが正攻法になっちゃうだから、悲しいもんだよな。
「なのに兄さんときたら、陰日向がまるでないんです。どころか、身内になるほど優しくなるんです。今だって、元凶がわたしだと告白しているのに少しも怒ってこない」
じっと天が訴えるように見つめてくる。
怒ってほしいのか?
「はい。悪いことをした妹を叱責するのは、兄の務めでしょう?」
気丈に言いながらも、天は肩を微かに震わせている。
兄。
天が今も俺をそう認識してくれていることが堪らなく嬉しくて、とてもじゃないが怒る気になんかなれない。
「まぁそうだな。よし、覚悟しろよ」
しかし、頼まれた以上は要望にお応えせばならない。
俺は心を鬼にした。
「は、はいっ」
きゅっと天は固く目を瞑る。
そんな身構えなくても。
「じゃあ行くぞ」
「ど、どんとこいですっ」
律儀に正座までしちまって。
その心意気だけで十分だと思うんだけどな。
が、感情を殺して俺は強く息を吸い込む。
肺が爆発するんじゃないかってくらいの勢いで。
「~~っ!」
天の瞼の震えを確認したところで、ぺちっとゆっる~いデコピンをお見舞いする。
はい、おしまい。
「……え、今ので終わりですか?」
「生憎、女の子に罵倒を浴びせる趣味も調教の趣味もないんでね。それに大切な妹なんだ。傷つけられないよ」
「兄さん……」
感心しましたとばかりに目を輝かせたと思うと、あろうことか俺の胸に飛びついてきた。
「ちょ、天さん⁉」
一週間で二回胸ダイブを喰らうって、一体どうしたよ俺の人生。
……は、これがモテ期ってヤツか⁉
ところが残念、二人とも親族でした!
……名目上はだけど。
「兄さん兄さん! わたし、兄さんのこと大好きです!」
ぎゅっと抱き締める力にいっそう力が入る。
ヤバい、妹がおかしくなっちまった。急性ブラコン症候群ってどう対処するんだ? 家内に二名、罹患者がいるんだが、WHOに連絡すればなんとかなるか?
「急に愛の告白されても困るんだが……」
「誰にでも優しい兄さんが好きです。自らの危険を顧みず、目上の相手でも果敢に立ち向かう兄さんが好きですっ。全部全部、兄さんの全部が好きです!」
「ああ、うん、ありがと」
重い、愛が重い……。
これはクラスの女子からの告白でも、受けるかどうか躊躇っちゃうレベルだぞ。
しかしどうしてこうなったんだ?
あることがきっかけで性格がガラリと変わることは珍しいことではないが、如何せん、そのきっかけに心当たりがない。
昨夜の俺の頑張りが天のハートを射貫いたって言うのか?
いやいや、にしてもこれは異常だろ。
「……ひとつ確認したいんだが、天がカルマの妹ってのはほんとか?」
真実か否か、このことに関してはまだ耳にしていない。
「はい。でも今は兄さんの妹ですっ」
にっこにこの天さん。
戸籍変更した覚えはないんだけどなぁ。
「えっとそれはつまり、もう危機は訪れないってこと?」
「はい。『門』は直に塞がります」
なんと。こんな形で十日間に渡る物語が幕を閉じるっていうのか。
なんとも呆気ない。振り返れば、失うものどころか得たものしかない。
……ん?
「ゆかりの力とバトラーはどうなるんだ?」
ひっきりなしに俺の胸に頬を擦り続けていた天が顔を上げる。
「明日にでも地上は元あった姿に戻るでしょう。ゆかりさんは本来の記憶を取り戻し、バトラーさんは元いた場所に戻られるはずです」
「そっか」
うん。拍子抜けするほどにハッピーエンドだ。
誰一人して不幸にならない、理想的なラスト。
問題は、正式に妹になりそうなこの子をどうするかくらいだ。
天が妹って記録だけが継続するのかな。
「そろそろ良い時間だ。リビングに行ってご飯食べよう」
天はすりすり運動をやめて、世界の明るい側面しか知らない子供のような、眩しい笑顔を浮かべた。
「はい。わたし、お母さんの料理大好きなんです」
「そ、そっか……」
今まで無表情で食べてたけど、実は大絶賛だったんだな。
なにかの圧力から解放されたように感情を曝け出す天は、目に見えて精神年齢が退化していたが、なにはともあれ、自由闊達なのはいいことだ。
ツンデレも好きだが、元気溌剌な女の子も好きだぞ俺は。
まあ天の場合、オラオラではなく、ドタバタの方が的確なんだろうけど。
こうしてすべては終わり、めでたしめでたし――と大団円を迎えるはずもなく、人知れずラスボスはウォーミングアップを終えていたのである。
まぁビジュアル解禁一切なしで、エンドクレジットにラスボスの名前だけってのは駄作にもほどがあるもんな。
……俺としては、そんなオチで締め括られたほうが嬉しかったんだけどさ。
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