第36話 緊急事態は計画的な予定調和から生じる現象だったりする 

 けったいな事態に巻き込まれてからというもの、授業に対してのモチベーションと集中力が著しく低下しているように思う。


 そんなよろしくない兆候が目立つ中、俺は流し聞きしながら板書を写すという奥義を知らず会得していた。


 ぼんやりとしか教師の言葉が耳に入っていないのに、家に帰ってから予習なり復習なりし出すと、これがびっくり、恙なく問題を解けてしまうのだ。


 姉貴の遺伝子が俺の中で活発に流動しはじめたのかな。入学直後の実力測定テストの結果は、学年で真ん中ちょい上くらいだったから、次はもう少し上の、学年トップ100に躍り出たいもんだ。


 帰りのホームルームが終わるなり、教師に用事があるからと(架空の)諸事情で遅刻する旨を天に伝え、足早に約束の場所である中庭へと向かう。


 快晴でよかった。土砂降りでも中庭ミーティングなんてことはないだろうが、連絡手段がない以上、二の舞を演じるとわかっていても一度は中庭に行かなきゃならん。


 リストバンドに願ったからと言って、意思疎通できるわけではないからな。天の能力とバトラーの能力が合わされば文句なしなんだが。


 一階の渡り廊下の左手には黄緑の絨毯が広がっている。

 深緑の葉が木製ベンチの周りに群生していて、加えて日当たり抜群となれば、そこは山の腹部さながらのセラピースポットだ。

 少なくとも、校内でこの場所ほど空気が澄んでいる場所はないと断言できる。


 そんな心安らぐ風景に調和している金髪の男がいる。


 周りに無数のハトが群がっていて、男はそれに微笑みかけているが、さては動物とコミュニケーションをとれるのか?


 青臭い匂いを感じながら、ベンチに腰掛けた男の元に足を進める。


「悪い。待たせたか」


 男はピクッと肩を震わすと、「じゃあまた後で」とハトに声をかけて俺を振り向いた。


「いいや。5分48秒しか待ってないよ」

「秒単位で測定してたのかよ」


 春の穏やかさに負けない和やかな笑みを見るに、恨み節ではないと思う。


 そこは嘘でも今きたところだって言うのが礼儀なんだけどな。


「へぇ、そうなんだ。今の地上は暗黙の了解が多いんだね」


 その通り。ビジネスマナーなんて腐るほどある。今や食事の順番にだってケチをつける世の中だ。フランス料理の作法ってほんとなんだろうな。


 などと形式張った現代社会に苦言を呈しつつ、バトラーの横に腰掛ける。


「お前は現界した直後に地上の知識がインプットされたわけじゃないんだな」

「天様は……神様だから。僕みたいな凡人とは違うんだよ」

「既成概念を覆す凡人がいてたまるかよ」

「それは僕ではなく神具の力だよ。神力も魔力も、与えられたものにすぎない。元を辿れば僕も紫音と遜色ないひとりの人間だ」


 人間という言葉の定義を疑いたいところではあるが、哺乳類ヒト科を人間と定義するのならお前も立派に人間なんだろうさ。


「変身、とかできたりするのか?」

「まぁ少しなら。ドラゴンくらいなら、できるかな」

「普通の人間はドラゴンくらいも変身できねぇよ……」


 ア○ン先生かお前は。


 前言撤回。こいつは神様サイドの存在だ。 


「それで、秘密裏に話したいことってなんだ」


 頼むからぶっ飛んだ話はやめてくれよ。

 異界に来てほしいとかな。


「ああ……天様のことなんだけどね」


 と、至極言いづらそうにバトラーが口にしたのは、俺もよく知る妹の名前だった。


「一連の騒動の黒幕なんだ」


「…………は?」


 確かに俺を非現実的な世界に誘ったという面では黒幕と言えるが、そういうことか?


「そうじゃない」


 バトラーはかぶりを振る。


「ゆかり様が突如魔法に目覚めた件も、僕が洗脳された件も、咲月様がサキュバスに襲われた件も、すべては天様にとって予定調和だったんだ」

「待て待てっ。さっぱりわからん。どうしてそうなるんだ?」


 こめかみを押さえてぶんぶんとかぶりを振るも、依然混乱は拭えない。


 理解が追いつかないなんて生易しいものではない。今や脳内大パニックの混沌状態だ。


 天にとってすべては予定調和だって? 


 そんな未来スケジュールを誰が組んでるって言うんだよ?


「カルマだよ」 


 逡巡も躊躇いも戸惑いもなく、バトラーは言った。


「天様は恐らく紫音にこう仰せられているはずだ。黒炎のカルマが紫音の願いに際して生まれた、と」


 真剣な表情で語るバトラーから、冗談めかした気配は一切感じられない。精悍な顔から零される言葉の数々が、確かな重みを持って胸に突き刺さる。


「その通りだよ。俺がゆかりとはじめて顔を合わせた日。何気なくその名を口にしたことがきっかけでそいつは生まれたって、天は言ってた」

「やっぱりそうか」


 知ったような口振り。

 こいつは俺の知らないことをどこまで把握しているのだろうか。


「もし紫音がこの現状を招いたことに罪悪感を覚えているのなら、それはとんだ思い違いだよ。なぜなら、カルマは最初から存在していたんだから」


 嘘だろ? なんて驚愕が生じるも言葉になることはない。


 バトラーが言った。

 それだけで、真実であると立証されているから。


「……だとしてだ。カルマと天になんの関係があるんだ? カルマは悪の帝王で、天は織姫職に就く一抹の神様。真逆の存在だぞ」


 善が悪に追従するなんて話は聞いたことがない。逆ならまだしも、勧善懲悪はどの世界においてもお約束じゃないのか? 


 バトラーの話を聞く限りだと、まるで天がカルマに服従しているかのように思えてしまう。


「……ああ、わかった。操られてるってパターンだろ。お前のときみたいに」


 ゴキブリ退治ならバトラーのお手のものだ。俺は傍観者でいられるね。


「いいや。天様は常に正気だよ」


 そんな推測が的外れであることを、バトラーの冷静な指摘が教えてくれる。


「そもそも天様は神様じゃない。『悪魔』なんだよ」


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