第29話 優秀すぎる弟子よりもおっちょこちょいな弟子のほうが愛嬌があるし師としても助かる
脳の片隅にしこりのようなものを覚えながらもついにその正体を特定できないまま、7時間に及ぶ授業は幕を閉じた。
今朝から感じるこの妙な胸騒ぎはなんだろう。
意識を削がれるってほどではない。幼少期の友人の記憶が綺麗さっぱり抜け落ちてしまったかのような……。
そんなえもいわれぬなにかが今朝からずっとわだかまり続けている。
「どうかしましたかお師匠様?」
「ん」
視界のボヤが取り除かれて、ゆかりの面妖な面持ちが見えてくる。
いけないいけない。ゆかりの魔法の総評をしなくては。
「授業で聞いたことを反芻してただけだよ。なかなか溶け込まない英単語があって」
「どんな単語ですか?」
その場凌ぎの言い訳に言及されたときって一番困るんだよな。
それっぽく三秒ほどためて口を開く。
「デンスって単語」
「濃いって意味ですよ」
ん?
「イシュー」
「論点」
「ペンタゴン」
「五角形」
「ランチ」
「すいません、その発音ではどちらのランチか。この一問一答も魔法の上達に必要なことなのですか?」
「あ、いやそういうわけじゃ……」
驚いた。
授業始めの小テストの範囲で、俺も今朝知ったばかりの英単語なんだけどな。
でもおかしくないか? 先週までゆかりは『げぇむ』なんて独特なイントネーションをつけるほど世俗に疎かった。
なのに英語はわかるって……異界の公用語だったりするのか?
「今日のじゅぎょうで覚えたんですよ」
やはり『授業』という言葉は、半可通を振り回すような独特のなまりをもっている。
「この惑星はすごいですね。地域によって文化が独自に発展していて、あろうことか言語さえも固有のものが存在するなんて。興味深くて『えいたんごちょうはっぴゃく』という支給品を一日で読み上げてしまいました」
へへっとあどけなく笑う仕草には、面映ゆさと達成感が滲んでいて。
「は、ははっ……」
一方の俺は、ぎこちない笑みを漏らしていた。
800もの英単語を一日で覚えるなんて馬鹿げた話だが、今の反応速度を見るに、誇張しているわけでも見栄を張っているわけでもないのだろう。
姉貴といい百合といい、俺の周りは聡明な奴ばかりだな。天とバトラーは言わずもがなだし、魔法という一芸にだけ秀でているのかと思っていたゆかりもこれだ。
クラスでは中の上、ないしは上の下に位置する学力を有しているはずなのに、こうも周りが秀才ばかりだと自分がとんだ劣等種に思えてしまうね。
まぁ神にしてみれば劣等種なんだろうけどさ。
「で、で、今日の出来はどうでしたか?」
オレンジの瞳がトパーズのように輝いている。
「ああ、うん。先週より格段に飛躍してるよ」
今日も今日とてゆかりが放った魔法はリーフブレードである。鉄塔は破壊しないようにと命じたにも拘わらず、街に電波障害が生じたのは三回ほど。週明けの今日は、鉄塔を破壊することなく、見事に黄緑の曲線をブーメランのように操ってみせた。
幸運なことに魔法を思うように操れないことは、ゆかり自身悩みの種だったらしく、なら簡単な魔法を意のままに操れるようになってから難度を上げてみては? という俺の提案は、少しの異論もなく二つ返事で快諾された。
弟子が優秀すぎて参っちゃうね。
「明日からは市民グランドの大樹の幹を狙ってみよう。で、次は商店街の赤提灯。最後に俺が用意した風船を割ってミッションコンプリートだ。先は長いぞ」
「望むところです」
ふんすと鼻息を荒くして、ゆかりは決意を露わにする。
とりあえず、ゆかりの魔法問題はなんとかなりそうだ。不安要素がひとつなくなって、心が一時弛緩する。
「ではお師匠様、部室に行って修行に励みましょう」
「おう。百合は部活でいないから、今日は俺が相手だ」
「天とバトラーも呼んで4人対戦しましょう。人数は多い方が楽しいです」
修行なんて名目上のもので、完全に娯楽の一環と化しているがツッコんだりはしない。
計画通りだ。こうやってゆかりは少しずつ新天地に馴染んでいけばいい。
復讐なんざ忘れて、どんちゃん騒ぎしていればいいんだ。
ほっといたって季節はめくりめく。気づけばまた春がやってきていて、そんときゃお前の家族も故郷も元通りだろうさ。
「いきましょうお師匠様。みんなが待ってます」
急かすように、制服の裾をくいくい引っ張ってくる。
「どうかな。俺とゆかり以外の奴は掃除当番だからなぁ」
今頃は生徒会室で七転八倒して……って誰が?
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