第28話 夢と雪は語呂とか儚さとかあっけなく散ってしまうところがよく似ている
目を覚ますと、歯の抜けたような感覚を覚えた。
なんだろう。なにか大切なことを忘れているような……。
まぁいいか。夢の残滓かなんかだろう。鮮明どころかにわかにすら夢の記憶はないが、ま、そんだけ熟睡できたってことだろ。なんだか今日は肩が軽いね。
明かり取りから注ぐ朝日に浄化されながら廊下を歩き、軽快な足取りで階段を下りればそこは客間。突然妹となって現れた少女が、自身が神様であると激白してきたメモリアルポイントである。
なぜこのような大層な部屋があるかというと、もともと祖父がこの家に探偵事務所を構えていたからで、親父が言うには、祖父は先見の明に長けており、それはもはや予言の域に達していたのだとかなんとかで、客足が絶えなかったそうだ。
実に胡散臭い話だね。
マルチ商法かなんかじゃないかと訝しんでしまう。
が、ご近所さんの愛想の良さを見る限り、詐欺に手を染めていたわけではなさそうだ。今も我が家の入り口には『川野探偵所』という古ぼけた木製の看板が立て掛けられている。文字も読めないほどに廃れているけどね。
そんな経緯で生まれた客間を通り過ぎ、フローリングをすいすい滑れば間もなくリビングだ。
引き戸を開くと、俺を除く川野家一同は既に雁首を揃えていた。
「おはよう紫音」
と、新聞片手にコーヒーを啜りながら出迎えたのは、特技は朝帰りの親父だ。
純粋培養の社畜である親父は深夜帰りがあたりまえで、加えて上司の太鼓持ちとして飲み会に呼ばれるなんてことが多々ある苦労人だ。
なのに愚痴らず、むしろ会話の種にしてしまうだから、その大らかな性格には恐れ入る。なんだかんだ誇らしい親父だ。
「おはよ親父。今日は火曜日か」
火曜日と日曜日は親父の公休日である。
「僕が判断材料か」
ははっと、親父は耳馴染みのいい笑みを漏らす。
寝癖のついた髪にだぼっと素朴なスウェットを着た親父は、これから自宅でエンジョイする気満々といった様子だ。テレビ台の脇に置かれたレンタルDVDの山は本日のノルマだろう。一日であんなに消化できるのかね。
「今日は随分早いわね。寝冷えでもしたの?」
新たな朝食を一食分用意しながら母さんが言う。
ハンディエプロンをつけた母さんは、その姿から受ける第一印象を裏切らない働きぷりを毎日見せる。朝食、洗濯、掃除と、分単位のスケジュールをこなす姿はもはや専属メイド。なのだが、実状は十時出勤、17時あがりのOLだ。
親父の稼ぎだけで充分家計は回るのに、俺の進学や将来に備えて貯金してくれてるんだそう。小遣いに加えてそんな援助までされたら無職で定住しちゃうぜ? なんて考えは少しも浮かばないから不思議だ。
これだけ尽くされた以上、二人には将来多大な恩返しをせねばならない。
俺は義理堅いんでね、借りたものは返さないと気が済まないのさ。
「たまたま目が覚めただけだよ。もう寝冷えするような季節じゃないし」
「そう? 4月ってまだ霜張るくらいには冷え込むけど」
日中は20度近いのに早朝は一桁か。
えげつないな、春の寒暖差って。
「毎朝早くからありがとうママ。愛してるよ」
なんて自然の摂理に関心を抱いていたら、親父が人為的な発熱反応を起こすようなことを言い出しやがった。
親父の熱烈な視線を受けた母さんは、ぼっと顔を赤く染め上げる。
「も、もうっ、アルコールが抜けきってないんじゃないの?」
頬を膨らませて睨み返すその姿は、まさしく戯れ合う高校生カップル。
早朝からなにを見せつけられているのだろうか。
「はは、もうとっくに素面だよ。照れてるママも可愛いよ」
まだラブコールするのかよ……。
聞いててこっちが恥ずかしくなる。
「し、紫音と天もいるっていうのにあなたは……有給休暇の使い所かな」
反発的な態度を取りながらも乗り気な母さんである。
この二人、付き合って以来、倦怠期が一度も訪れてないんじゃないか? ま、夫婦円満なのはいいことなんだけどさ。
有給休暇は元来、心身共に休ませるために作られた制度だと言われている。
だから、母さんが休暇申請をしようと誰も糾弾することはできないだろうが、にしても当日連絡は好ましくないだろう。
ソースはいつか友人と遠出したとき。ドタキャン連絡後の会話はそれはもう、人間の闇を具現化したようなもので、あれ以降俺は約束を破ったことがないね。陰口を耳にするのが怖くて。
「いいんじゃないですか。お母さんもお父さんもいつも頑張ってますし」
どうやって翻意を促そうか、なんて考えていたら、暢気にパンを頬張る妹に先を越されてしまった。あろうことか、悪いベクトルに追い風を立てる言葉である。
「夫婦の営みも大事ですよ。お父さんも本当は旧作ではなく、劇場放映中の新作が見たいのではないですか?」
「さすが天。目聡いね」
親父は人のよさそうな顔に、柔らかな笑みを浮かべる。
ん? なんだかその表情には既視感があるような……。
「頭痛でもするの?」
と、心配げに声を掛けられて顔を上げれば、母さんが眉をひそめて俺の顔を覗き込んでいる。
たちどころに俺の額に手を当てると、うんと頷いて頬を綻ばせた。
「熱はないみたいね」
「ちょっと考え事してただけだよ。母さんはいつも大袈裟なんだって」
「だって大切な息子だもの。心配性は親に後天的に備わるスキルよ」
よく臆面もなく言えるもんだ。
言われた方はこんなに恥ずかしいってのに。
「お待ちどうさま。ベーコンエッグとトーストの洋食A定食です。お顔が火照っておりますが、おしぼりはどうされますか?」
そんな息子の動揺を親ともあろう者が見過ごすはずもなく、こうして俺は母さんに連続で白星を取られてしまう。
「いらない。あと、おしぼりなんて端から用意してないでしょ」
「細かいことは気にしないの。揚げ足取る子はモテないよ?」
「……」
最後の抵抗で減らず口を叩くも、あえなく撃沈。いつか神様も口にしていたような言葉でとどめを喰らい、30秒足らずで母さんのコールド勝利となった。
「お母さん。ベーコンエッグのおかわりください」
「僕もコーヒーお願いしていいかな」
「はいはい、ちょっと待ってね~」
ハンディエプロンで手を拭くなり、母さんはパタパタと台所を駆け回って、注文の品を用意し始める。
「業務作業よりも、ウェイトレスの方が天職だと思うんだけどな」
隣に座った父さんが染み入るように呟く。
「その暁には、父さんが別の人になってるんだろうなあ」
「それは杞憂だよ紫音。僕とママは運命の赤い糸で結ばれてるんだから」
「さいですか……」
よくもまあ、抵抗なく言えるもんだ。運命の赤い糸なんて、もう死語じゃないか? 今時、小学生でも使ってるのかどうか怪しい。
家族4人揃っての団欒は、週に二度しかない貴重なイベントだ。親父も母さんも年を食ってる割りに青々しいが、そんな欠点も含めて俺は二人が好きだし、尊敬もしている。
自慢の親だ。誰にもバカにさせやしない。
ま、そんな大切な両親がのどかに暮らす街なんでね。異界からの侵略者に対して、はいどうぞと、快く道を譲るわけにはいかないのさ。
昨日伝説の騎士様が来訪したから、本日の闖入者なしと約束されたわけではない。精神的疲労は承知の上で肩肘を張って過ごさなきゃならんのがここ一週間の日課だ。そろそろ慣れてきたと言ってもいい。
さぁて今日はどんな一日になるのかね。
「生きますよ兄さん」
「おう」
英単語帳を片手に、俺は天と並んで家を出た。
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