45.憂える王女
他人に興味はなくも、経験した記憶は残る。
無の表情で湯の心地好さに目を閉じたフロスティーンは、侯爵と夫人、そしてその娘の顔を……。
──今夜は余計なことをしてしまったわ。
思い出してはいなかった。
彼らとの騒動について考えながら、フロスティーンの頭の中に浮かんでいたのは別のものとなる。
──ただこれからもあの白くてふわふわの美味しいパンを食べたかっただけなの……。
これまで食べてきたお気に入りのパンを思い浮かべていたら、なんだかお腹が空いてきたフロスティーン。
うっすらと目を開けて俯くフロスティーンの顔に作られた長い睫の影が、侍女たちには大層に憂いを帯びて見えていた。
こうして勘違いからの双方の意識のすれ違いは勝手に大きくなっていく。
──天上では欲を出してはいけないのかもしれないわ。
ゼインの予測が外れていることもあった。
フロスティーンにだって、願うことはある。
──そうね。ここは天上だから。同じようにしても上手くいくわけがなかったのよ。どうして気付けなかったのかしら?
フロスティーンの世話をする侍女たちも大分想像力は豊かであったが。
その世話をされているフロスティーンもまた、想像を飛躍させたうえに真実からかけ離れた結論を導き出して自己完結する王女だったのだ。
このようなことだから、双方の理解が一致するまでにはかなりの時間が掛かりそうである。
──天上で余計なことをしたせいで、もうあの白くてふわふわの美味しいパンを食べられなくなってしまったらどうしましょう?
フロスティーンはずんと胃が重たくなるほどに落ち込んでいたが、しかし表情は悲しいくらいに無のままだった。
それでも今宵の侍女たちは勝手に可哀想な王女に同情し心配していたので、まるで奇跡が起きたかのように、互いの心が通じ合えているかのごとく。
いつも以上に腕を見せる侍女たちの手によって身体が癒されていくほどに、フロスティーンの心は上向きとなっていく。
──そうよ、パンが無ければ、他のものを食べればいいじゃない。天上には温かくて美味しいものが沢山あるわ。
ミュラー侯爵一家をさっくり切り捨て、自身の明るい未来を描き始めたフロスティーンはまた思い出す。
もちろん夜会で会った貴族たちの顔などはそこにない。
その脳裏に次々と浮かんでいたのは、このひと月食べてきたものだった。
そしてフロスティーンはその素晴らしき料理の材料へと想いを馳せる。
野菜のほとんどはこの城に併設された畑で作られていることは聞いていた。
鶏も飼われており、卵の心配もないだろう。
ミルクは毎朝一番近くの牧場から届けられていると言うし。
牛肉は城から二番目に近い牧場から必要分が提供されているとのこと。
その材料で最高の食事を作ってくれているコックたちも、いつも城にいて、彼らは貴族ではない。
──良かったわ。大丈夫そうね。小麦がなくても食べるものはまだ沢山あ……待って。大変だわ。
せっかく気分が上向いていたフロスティーンは、ここで重大な問題に気が付いてしまった。
──小麦がなくて、甘いものはどうなってしまうの?
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