40.それはふらふらと揺れていた


「わたくしは祝いの席であることを知りながら、夫の告発をしようと考え、本日の夜会に参加しておりました。けれども祝いの席を穢すつもりはなく、夜会が終わってから持参した証拠をこちらにてお世話くださった方にでも託そうと考えておりましたのです。ですが、いざ夜会が始まってもなお、迷う心というものは消せませんでした」


 ここで振り返り娘を見た夫人は、眉を下げてにこりと微笑むと、また前を向いてゼイン、そしてフロスティーンへと語っていく。


「娘のあの失言は、お二人にはどれだけお詫びをしても足りないことで、心から申し訳なく思っております。ですが大変に身勝手なことながら、わたくしにとっては弱い心を支え、背中を押してくれる行いとなりました」


 ほんの一瞬息を吸い込んだあと、夫人は先を朗々と語った。


「娘が分かってそうしたわけではございませんし、娘はただ夫に言われるがまま発言をしただけのこと。けれどもそれで、もう後戻りは出来ないのだと、わたくしは覚悟を決めたつもりでおりました」


 また息を吸い込んだ夫人の表情がはじめて悲しみに澱んだ。

 しかし続く声には変わらぬ張りがあって、その内にある確固たる決意を受け取ることが出来る。


「ですのにまだ、迷いは立ち切れなかったのです。このように夫に従うままに愚かな行いをする娘を育てた母親として、最後まで娘に何もしてやることもなく。あげく娘を切り捨てるような行いをすることは、はたして許させるのだろうかと」


 娘の失言で覚悟を決めた母親が、同じ娘の失言で心を揺らがせる。

 人の心の動きはいつも複雑で、簡単に白黒つけられるようなものではない。


 ということは、ゼインも戦中におけるさまざまな経験から教えられてきた。

 だからこの夫人の心の動きをゼインはおかしいとは思わない。

 いざ決行というときにも、人がなお迷い続けるものであることは、国のためにと重い決断を繰り返してきたゼインには痛いほど分かることでもあった。


 そんなゼインだからなのか。

 最初からまったくもって心の動きの見えなかったフロスティーンに、ゼインは強く興味を惹かれてしまった。


「その後に夫が失言を重ね、娘はもう助からないことを悟りました。たとえ一人若いからと恩赦を与えられ生き延びたとしましても、今までのように貴族社会で生きていくとなれば、苦しむだけとなりましょう。わたくしは今度こそ、覚悟を決めたつもりでおりました。それでも……」


 身内を告発するためには大いなる勇気が必要となる。

 自身の破滅は覚悟のうえだとしても、娘がいるとなればいつまでも迷う心は出るだろう。


「どこまでも甘いわたくしは、持って来た証拠を提出することで、娘だけは助けていただけないかと考えてもおりました。そのようなことを願って、たとえそれが実現したとしても、かえって一人になった娘が苦しむだけと分かりながらです。ここまで来てまだ迷い、愚かな選択をしようとするわたくしは、夫の悪事を告発する権利が本当にあるのでしょうかと、いつまでも迷い続けておりました」



 ──結局は娘の減刑を願いたいということか?



 真意を見定めるようにして、ゼインの鋭い目が侯爵夫人を捉えている。

 それはかつて謁見の間でフロスティーンに向けていた視線と重なるものだった。


 しかしそれはあのときのようには長く続かない。


「その迷いを立ち切ってくださったのが、王女様のご発言だったのです」





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