13-68 棒引き! これで借金はチャラです!

 ヨシテルは負けを認めた。そして、倒れた。


 倒れ込む先には自分に“死出の一刺し”を入れた梟雄の伴侶ティースがいたが、そこはマークが素早く動き、ヨシテルが覆いかぶさる前にティースの体を引っ張った。


 氷の上にそのまま倒れ込み、顔面から突っ込んだ。


 すでに力は失われ、起き上がる事の叶わぬヨシテルであったが、突っ伏したままでは格好がつかぬと、最後の力を振り絞って体を転がし、仰向けとなった。



「ふふ……、見上げる天のなんと眩しい事か。ああ、負けた。またあいつに負けた。口惜しい限りだ」



 その呟きをティースもマークも耳の内に収めたが、その意味をすぐに理解した。


 止まっていたのだ。目に見える速度で塞がっていた傷口の再生が、明らかに止まっていた。


 ティースの入れた“死出の一刺し”がヨシテルの呪いを解き、普通の体に戻した。


 それどころか、今まで逃れていた負荷が一斉に暴れ出し、ヨシテルの体を破壊しつつあった。


 決着はついた。それは明らかであり、ティースもマークもようやく勝利を確信した。



「結局、テアの見立ては大正解ってわけね。ほんの一刺しで決まるなんて」



 ティースは手に握ったままの剣を見つめ、それからゆっくりと立ち上がって鞘に納めた。


 もう力が残されていないヨシテルに歩み寄り、そして、それを見下ろした。


 仮にも一国の皇帝に対する態度ではないが、かと言って膝を付くことはできず、抱きかかえる事など以ての他なので、この構図となった。


 だが、無礼の廉を咎める者はいない。ヨシテルもまた、なぜか笑っているだけであった。



「あなたさ、本当に剣の腕前に自信があったのね」



「いかにもその通り。剣こそ我が人生。剣こそ至高。それだけに生きたかった」



「あれだけの剣技を見せられたんだもの。最強の剣豪だったわ」



「ああ、最高の評価だ。負けたというのに、それでいて満足してしまっている自分が腹立たしい」



 ヨシテルはティースに微笑みかけ、本当に満足しているという態度を示した。


 悪鬼のごとき形相はすでにない。まるで何かに取り憑かれ、それが剥がれたかのように穏やかになっていた。


 そんな変わり果てた姿を晒す中、いつの間にヒーサがそこに立っていた。


 すべての邪気が打ち払われ、穏やかな凪のごとき因縁の相手の姿に対し、膝を付いた。



「公方様、あなたは生まれてくる場所を間違えた。足利家になど生まれて来ず、ただ一人の剣士として生を全うできれば、あるいはより良い人生を歩めたでしょうに」



「汝からそのような言葉を聞くとは、思わなんだわ。あれほど我を嫌っておったのに」



「嫌っていたのは、為政者としての足利義輝であって、剣士としての足利義輝ではない。室町将軍と言う立場に引っ張られ、幕府の復古を成し遂げようとして、時代の荒波に押し潰されただけだ。あるいは、一人の剣豪として、諸国を漫遊しておれば良かったのにな」



「ああ、それは素敵だ。師の塚原卜伝つかはらぼくでんのごとく生きられたら、それは実に良き人生であったろうな」



 かつての世界では“立場”に縛られ、生まれ変わったこの世界では“呪い”に縛られ、思うに任せる生き方を否定され続けた。


 それからの解放は、ヨシテルにとって“死”を意味していた。


 死こそ自由をもたらしてくれた。


 だが、清々しい気分にもなれた。刀一本で戦って、戦って、戦い抜いて、敗れたとはいえ、最後まで刀と共に駆け抜けたのだ。


 一己の剣豪としては、満足し得るものだった。



「まあ、汝を討ち取れていれば、猶の事、気分爽快であったろうがな。その点だけは残念でならん」



「一人でなら勝てなかった。勝てぬ戦に赴くは、阿呆のする事よ。ゆえに、勝てる状況と手駒を揃えた。それだけだ」



「おまけに、大嘘付きだ。『三人で仕留める』とか言っていたが、汝とその妻、わっぱに加え、エルフ女も加わっていたではないか」



「おっと、そちらも気付いたか。まあ、嘘は騙される方が悪い。それもまた、戦国の作法にて」



「ええい、どこまでも癪に障る奴よ」



 口から飛び出る言葉は悔しそうではあるが、表情は穏やかなままだ。


 勝ちに不思議な勝ちはあれど、負けに不思議な負けはなし。もう自分が何をされたのかを、すべて把握していたので、よくぞそこまで周到な準備と連携をこなしたと感心すらしていた。



「汝が放った炎の攻撃、あれは我を攻撃するというより、視界を塞ぐことが主目的だな。同時に、氷の“表面だけ”を溶かし、滑りやすくする事。その滑りやすい氷の上をそこな女剣士が滑り、さらにエルフ女の風の術式を乗せて加速。その勢いのついた状態のまま、膝に蹴りを入れた」



「強いと言っても、体の作りは人間と同じだからな。関節は鍛えられん。ゆえに、折れる」



「それを実行できる女剣士を用意していたことには驚きだな」



「我が自慢の麗しい伴侶でございますよ。なにしろ、借金の払いを体で返済するという、実に勇ましい女子ですから」



「ヒーサ、まだそれ覚えていたの!?」



 ビックリして抗議の声を上げたのは、もちろんティースだ。


 結婚に先立ち、金欠に苦しんでいたティースに金子を差し出し、財政的困窮を救ったのはヒーサであった。


 その際、「返済は体で払ってもらってもいい」と言っており、図らずも今回それが達せられたというわけだ。


 皇帝親征の帝国軍襲来と言う危機に際し、敵総大将を討ち取る大金星を挙げたのはティースだ。


 広い視野では王国を、狭く見てもヒーサを始めとするいつもの顔触れを救ったことになる。



「と言うわけで、ティースよ、約定通り借金は棒引きだ。これで一つ、枷が外れたな。おめでとう!」



「今更ですね。それ以上の枷をはめ込んでおいて、軽めの枷が外れた事に何の意味があると!?」



「少なくとも、借金をカタに、体を要求される事はなくなったというわけだ。喜ばしくはないのか?」



「それが今更だというのです! それとも、大きい方の枷を外してもらえますか!?」



「それは無理だ。我が子を生贄に捧げるという、母親にあるまじき所業を肯定したのは、ティース自身だからな。誘ったのは私だが、決めたのはティース自身だ。自分でハメた枷を他人に外させるのは無理と言うものだ」



「ああ、もう! 魔王以上に、あなたがムカつくわ!」



「そりゃ、会った事もない相手より、目の上のたん瘤の方が鬱陶しいだろうよ」



 まぁ~た夫婦喧嘩いちゃらぶが始まったと、それを見守る面々は苦笑いを浮かべた。


 だが、その光景こそ“いつもの”事であり、戦が終わった事の証でもあった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る