11-35 拒絶! 白無垢の少女は欲深い!
それは脅迫とも、誘惑とも取れる提案であった。
黒衣の司祭カシン=コジの真なる目的は、世界を破壊する事。しかも、世界そのものが神々の遊戯盤であることに疲れ、滅びを望んでいるのだという。
しかも、ヒーサの狙いが、“英雄と魔王の八百長”という状態を生み出そうとしている事まで見えてきてしまった。
そして、黒衣の司祭は告げた。歪んだ世界を終わらせろ。それが魔王としてのあるべき姿だ、と。
(かつての僕なら、差し出された手を握っただろう。でも、今は違う!)
絶望と肩を並べて過ごしてきた十三年間は、すでに過去の事だ。その後の一年間で、アスプリクは取り戻した。
愛情と、温もりを、感じることができる心になったのだ。
今のアスプリクには、魔王と成り果てる心の闇など存在しない。
「カシン、残念だけど、僕はとってもわがままなんだ。だから、他人がどうなろうが知った事じゃない! 僕の好きなヒーサと叔母上がいればそれでいい!」
「結果、戦争が続き、億万の人々が神々の遊びの中で死ぬこととなってもかね?」
「ああ、そんなことは知った事じゃないね。僕は僕の隣にいる人と楽しめればそれでいい。ヒーサと叔母上と笑っていられるのなら、それでいいんだ!」
「世界の求めを拒絶するか。どこまでも利己的。想い人の思想が移ったかな?」
「かもね。ヒーサは僕の憧れだ。だから、真似の一つもしたくなる」
「憧れとは
「醒めぬ悪夢にうなされ続けるよりかは、心地よい夢を見続けていたいと思うのは自然じゃないかな?」
「夢は夢、現実ではない。掴めぬ幻を求めるものではない、大神官よ」
「ああ、そうだよ。でも、掴めないことはない。昨夜はどうも可愛がってくれてありがとうね。あれと同じことを、今度はヒーサにしてもらうんだ。それで僕の頭の中では上書き完了。後は、目の前の鬱陶しい奴を消し炭にすれば、全てが丸く収まるって寸法さ!」
「なるほど。それが君の答えか」
説得に失敗した。だが、カシンは特段残念に思っていないのか、なぜか満足そうに頷いていた。
おまけに、アスプリクの姿勢を称賛しているのか、拍手まで贈る始末だ。
「いや、素晴らしい! たったの一年で、絶望に打ち沈む一人の少女を、ここまでよくも拾い上げたものだ。それが例え、自己の利益のためとは言え、さすがは神に選ばれし英雄と言ったところか」
「ああ、そうだよ。僕の心は以前はスカスカだったけど、ヒーサのおかげで満たされつつあるんだ。魔王だなんだと御託並べようとも、入り込む余地なんかないよ。世界が歪んでいようが知った事じゃない。そもそも、歪んでない人間なんているのか、こっちが問い詰めたいくらいだよ!」
話はこれまでだと、アスプリクはその手に炎を宿らせた。
街中で戦うのは不本意ではあるが、折角姿を見せた黒衣の司祭を逃すわけにはいかなかった。
また余計な工作をされる前に、先程の宣言通り消し炭にしておく必要を感じていた。
「まあ、そういう結論に至るのであれば致し方ない。君の説得は諦めよう。だが、それでも世界を滅ぼすのには、魔王の力が必須なのだ。私は何においても、必ず魔王を生み出してみせるぞ!」
途端に、カシンを中心に巨大な火柱が立ち上がった。
周囲の建物の屋根よりも高くそびえ立つ火柱は、不夜城の賑わいを見せる祭りの街中にあっても、良く目立つ存在であった。
そして、その火柱はアスプリクが放ったものではなかった。
「え、なに!? 自爆!?」
アスティコスも困惑していた。なにしろ、アスプリクはまだ火を放っておらず、その手には用意した炎がまだ見えていた。
にも拘らず、この巨大な火柱だ。
「違う! これは幻術による炎だ! 実体がないから、見えているだけで熱を感じない!」
アスプリクの警告を聞き、アスティコスはようやくそれに気付いた。あまりに豪快に噴き上がる火柱を見て錯覚していたが、熱も何も感じない、見えているだけの炎であった。
「魔女だ! 魔女がいるぞ! 街が、街が焼かれてしまうぞ!」
炎の中からの大絶叫。カシンの声は思いの外にそこら中に響き渡った。
「余計な事を! 【
アスプリクは慌てて自分が持っていた炎を火柱にぶつけたが、火の玉が着弾すると同時に火柱も、カシン本人も消えていて、火の玉によって生じた地面の焦げだけが残った。
「ああ、もう! 逃げられた!」
アスプリクとしては痛恨の失敗であった。
火柱に気を取られて攻撃の機会を逸しただけでなく、周囲が敵だらけの状況で盛大な烽火を上げられてしまった。
「カシンめ、どこまでも嫌らしいことをしてくる!」
「文句は後よ! アスプリク、さっさと逃げないと!」
気配を探るまでもなく、鎧の擦れる足音が近づいてくるのを耳が拾っていた。
あれだけド派手に火柱を噴き上げたのであるから当然であるが、やられた二人からすれば最悪であった。
宰相暗殺に加え、王都での放火まで罪状に追加されてはたまったものではなかった。
「放火は火刑って相場が決まっているんだ! 火の大神官が火炙りだなんて、それこそ洒落にならない! 逃げの一手だ、【
「まったくね! 【
王都の中での術式の使用も、聖山同様に色々と制限がかかっているが、そんな体面を気にしていられる状況でもなかった。
王都での騒動は収支としては完全にマイナスだが、カシンから聞き出した情報は値千金である。
必ずヒーサの下にこれを届け、善後策を練らねばならない。
とにかく逃げなくてはと、二人揃って術式を発動させ、ふわりと体を宙に浮かせた。
その時だ。何かが空気を割いて、風切り音と共に、アスティコスの右肩を撃ち抜いた。
アスプリクは一瞬、何が起こったのか分からなかったが、落下して地面に叩きつけられたアスティコスと、その肩に刺さった“矢”を見て、悲鳴を上げた。
「叔母上!」
アスプリクは浮上を中断し、すぐに地面に降りた。
矢じりが肩を貫いたところで止まっており、
「ぐぅ!」
「叔母上、しっかりしてくれ!」
激痛に顔を歪めるアスティコスであったが、そこは戦場経験者であるアスプリクは手慣れていた。
自分を衣服を破り、それを包帯代わりにして、傷口を圧迫しながらグルグル巻きにしていった。
「よし、これで大丈夫だ」
「そこまでだ!」
応急措置をしている間に、巡察中であった兵士の一団に挟み込まれてしまった。
各々、剣がすでに鞘から抜かれており、戦闘態勢に入っていた。
手負いの連れ合いがいるが、相手は国一番の術士であることは誰もが知っていることなので、表情は緊張で満たされていた。
「アスプリク、あなただけでも逃げなさい! 私を抱えて飛んで逃げるのは無理よ!」
「叔母上を見捨てられるわけない!」
いざともなれば蹴散らしてでも逃げるつもりでいたが、そこは緊張で心臓がバクバクしていた。
逃げねばならないが、負傷者を抱えてそれができるのか、アスプリクは必死で頭を働かせた。
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