11-17 訪問! 宰相の邸宅にお邪魔します!(3)

(分かっていた事とは言え、緊張する)



 それがアスプリクの今の心境であった。


 兄ジェイクと和解し、以て過去のわだかまりを清算する。それこそ、この屋敷の訪れた目的であり、同時にヒーサからの依頼であった。


 現在、シガラ公爵家は宰相ジェイクと協力関係にあり、これを今後とも続けていく必要がある。



(そう、王国への侵攻を企図している帝国と言う“外敵”が存在する以上、国内の取りまとめは必至。この協力体制をより強固にするためにも、僕とジェイク兄との仲直りは必要なんだ)



 現在、アスプリクは実質ヒーサの庇護下にあり、なにかと面倒を見てもらっている状態だ。王都や聖山の情勢が分からなかったため、色々とやらかしたアスプリクを守れる存在が必要であったからだ。


 だが、聖山も法王選挙コンカラーベを経て、新法王の下、風通しが良くなってきており、実質的には和解が成ったようなものだ。


 あとは、アスプリクとジェイクの和解が成れば、全てが丸く収まり、三者の間に横たわるわだかまりが消えるというものだ。



(分かってはいる。これで何もかもが上手くいく。僕がジェイク兄と握手を交わせば、いい方向に持っていける。でも……)



 部屋に現れたジェイクを見て、どこか一歩引いてしまう自分がいることに、今更ながらに気付いたアスプリクであった。


 歩み寄れない理由は、かつての心的外傷トラウマが脳裏をよぎるからだ。


 十歳の時に神殿に放り込まれ、その類まれた術の才能を引き出すために過酷な訓練を施された。そこまでならばまだよかった。


 術士として一端になると、途端に戦場に放り込まれ、亜人や悪霊と戦い続けた。


 一応、立場上は火の大神官という最高幹部の一人ではあるが、実際やっていることは使い走りと何も変わらない。ひたすら戦いに明け暮れる日々だ。


 客寄せとして説法や祈祷を行うこともあれば、あるいは歪んだ欲情を抱く教団幹部に弄ばれ、心が歪む一方であった。


 そして、そんな妹の状況を知りながら、何もしなかったのが目の前にいるジェイクだ。


 教団には“不入の権”があるため、宰相と言えど下手に介入することはできず、結局は“城内平和”を優先し、沈黙を選択した。


 それを知ったアスプリクはますます歪み、妹を見捨てた兄ジェイクを憎んだ。



(でも、今は違う。ヒーサが行くべき道を指し示してくれた)



 今度は昨夜の出来事がアスプリクの頭に浮かんできた。


 心的外傷トラウマに上書きされた、優しい貴公子の笑顔とその温もりが少女の心に光を刺し入れる。あれほど嫌だった男に抱かれるという行為も、昨夜の一件で反転した。


 またもう一度抱き締めて欲しい、口付けを交わして欲しいと、少女は吐き出された生の感情を制御することができないでいた。


 それでも必死に熱を抑え、今目の前のことに集中しようとしていた。



(これが終わって、上首尾に事が片付いたら、また僕を抱き締めてくれるかな)



 十四歳の少女らしからぬ欲情丸出しの願望であったが、今のアスプリクにとってはそれが全てであった。


 誰かを好きになり、あるいは逆に愛される。そんな“当たり前”すら許されなかった生活を、ヒーサが一変させてくれたのだ。


 自由を、叔母上かぞくを、そして、愛することの悦びを、全部与え、教えてくれた。


 だからこそ、ヒーサへの想いは誰よりも強く、恩返しをしたいと考えていた。


 久しく出ていないが、戦場に出る事すら厭わないし、貧相な体で申し訳なく思いつつも、欲望のままに貪ってくれても構わないとさえ考えていた。



(大丈夫。上手くやれる。今日この日を以て、過去の自分を振り払うんだ!)



 もう臆さない。そう覚悟を決めて、アスプリクはジェイクと向き合った。



「ジェイク兄、久しぶり。前に会ったのは、アーソでのゴタゴタ以来かな?」



「そう、だな。あれからアスプリクはずっと公爵領だったからな」



 ジェイクはアスプリクの変化があまりに露骨すぎて、却って肩透かしを食らっている状態であった。


 嫌味もなしに話しかけて来るし、名前で呼んでも不機嫌な反応を見せない。以前会った時とは大違いだと、まずは妹が随分と落ち着いた雰囲気に変わっていることに安堵した。



「まあ、少々暗い話題で済まないのだが、父上がそろそろ危ういかもしれん。医師の見立てでは、半年もてばいい方だと」



「そう……、ですか」



 アスプリクにしてみれば、反応に困る話題であった。


 確かに血を分け与えられた親ではあるが、子として何かしてもらったわけではない。十歳まで王宮で育てられたのも、類稀な術の才能を有していたからであって、アスプリクを娘として扱ってくれたことなど一度もなかった。


 死の床で話すことなど、ただの一言もないのだ。



「……会う気はないのか?」



「今更、です。会って話すこともないですし、あるとすれば十四年分の小遣い銭をよこせ、くらいしかないですよ」



「そうすればいいのでは?」



「いえ、もうヒーサから代わりに貰っちゃいましたから」



 アスプリクは横に座っているアスティコスに視線を向けた。


 ヒーサと初めて会った日に、エルフの里についての話が出て、生まれてからの小遣い銭をせびってやれ、などと冗談めかして語り合った。


 そして、ヒサコが里に赴き、叔母であるアスティコスを強奪して、アスプリクに引き渡した。


 里を丸焼きにした点は暴挙も暴挙であるが、アスティコスは気にかけていた姪に会う事が出来たし、アスプリクも初めて“家族”と呼べるほど親密な同居人を得て、今ではいつでも一緒に過ごしている。


 十四年分の小遣い銭としては、これ以上に無い品であり、更なる追加など必要としない完璧な贈り物と言えよう。


 これ以上欲張る必要もないし、無理して“父親”と呼ばれる男に会う必要も感じないアスプリクであった。


 “家族”というものは、アスプリクをとかく困惑させる。


 世間一般ではごくごくありふれた“最小の社会単位”ではあるが、アスプリクにとってはわずらわしいな存在でしかない。


 どうすれば“家族”と接する事が出来るのか、誰も教えてくれなかったからだ。



(思えば、予行演習だったのかもね)



 アスプリクは家族とのまともな接し方を知らない。


 知らなかったというべきか、今は知っている。


 想い人ヒーサ家族アスティコスを用意してくれたからだ。


 出会ってからずっと二人は一緒で、アスプリクはアスティコスが気に入ったし、アスティコスもまた姉の忘れ形見を愛おしく思っている。



「それを今度は目の前の兄に向ければいい」



 遠回しなヒーサの囁きが、アスプリクには届いていた。


 いつも最高の贈り物を用意してくれる貴公子に、無言の内に礼を述べた。

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